2101年5月14日午前7時21分 "辛木杏" -002-

時任杏泉と、時任夏蓮。

2人は私の方を見ると、ほんの少しだけ子供っぽい笑みを口元に浮かべて、疑似煙草を煙らせた。


「珍しい来客があったものね。今夜は眠れない夜になりそうなのに」

「……私がフランチェスカを起こさないと、彼女はずっと眠ったままですから」

「それもそうか」


私は夏蓮さんの言葉に冗談で返すと、カウンターに立っていたフランチェスカは少々苦笑いを浮かべて私の前にコーラのジョッキをドンと置いた。


「失礼ね。私だってこの前までは規律正しく過ごしてたのよ?」

「そこからの落差が問題だよフラッチェ。明日、君に仕事は無いとはいえ、明後日からはきっと激務だよ?」

「大丈夫ですよ。仕事になればスイッチがオンになる体質なので」


フランチェスカは杏泉さんにそう言いながら、2人分のコーラのジョッキをテーブルに置く。


「今日、何処かに行こうにも時間が無かったんでここに来たんです。お二人は何故ここへ?」

「元石に言われたの。偶には遊んできたらって。久しぶりにこんな所に入ったわ」

「そうそう。若い頃はよくやったものだけど…今でも出来るかな」


2人は少々初々しいカップルのように寄り添いながら、ほんの少しだけ砕けた笑みを見せて言う。

見た目は完全に中学生くらいに戻っても、その表情は大人のそれだった今までの彼らからすれば、随分と幼い印象を受けた。


「でも、丁度いいところで辛木さんに会えた」


急に幼い表情を掻き消した杏泉さんは、そう言ってコーラを一口飲み込むと、椅子から立ち上がって…咥え煙草のままビリヤード台の方に歩いていく。


「言おうかどうか迷っててさ、今日の昼までに会ったら話そうって夏蓮と決めてたんだ。まさかこんな朝早くから会えるだなんて思わなかったけど……」


杏泉さんはそう言って、ビリヤードで使う棒…名前は分からないが、弾を付く棒を手にすると、慣れた手つきで台に置かれた白い弾に狙いを定めた。


カコン!


杏泉さんはその先を話さずに白い球を勢いよく突き出して、その先に並んでいた9つのボールが弾ける様に散らばっていく。


「案外、昔取った杵柄は残ってるものさ。夏蓮の番」


クールな所作で帽を台に置いた杏泉さんは、夏蓮さんにそう言って戻ってくる。

夏蓮さんは咥えていた疑似煙草を灰皿にもみ消すと、何も言わずに頷いて椅子から立ち上がった。


「あとは任せた」

「なんで一突きだけやったのよ」

「何となく」


杏泉さんは、余程歯切れが悪いのか…何かを誤魔化すように小さく口元に笑みを浮かべたが、その笑みは少々ぎこちなかった。


「さて、辛木さん。今夜の仕事だけど、一つだけ…僕が気にしてることがあってさ」


杏泉さんは、ゆっくりと切り出した。

背後からは、夏蓮さんが弾を突く音が聞こえてくる。


「おじいさんのこと、探そうとしてるんじゃない?って思ったんだけど、違う?」

「え…?」


私は、ゆっくりと…それでも何時もの杏泉さんらしくストレートに言って来た言葉に少々目を見開いて見せる。

カウンターに立って疑似煙草を煙らせていたフランチェスカは、それを聞いてほんの少し首を傾げた。


「おじいさんを?」


私の代わりにフランチェスカが答える。

杏泉さんはコクリと頷くと、口を開いた。


「2090年の夏、幼い女の子を連れたリインカーネーションが攫われた事があったんだ。何てことは無い。あの時期なら、政府はそんなことをサラリとやってのける。だけど、その時は役者が違った」

「……2090年…?」

「攫う実行犯には元石が、そして偶々出くわした"一般人"は僕と夏蓮だった。元石は言わずもがな、政府の人間さ。僕が居ようと構いなく、幼い女の子からリインカーネーションを取り上げた」


杏泉さんはそう言うと、私の方に銀色の瞳を向ける。

私は、仕事の時よりも威圧感のある、杏泉さんの独特な視線を受けて何も言えなくなった。


「その時にいた女の子が、辛木さんだって知ったのはつい最近」


「!!」


だが、杏泉さんがそう言った直後、私は驚きと…それから何処からともなく湧き上がってくる怒りに支配されかける。

寸でのところで杏泉さんが手で制し、フランチェスカも、夏蓮さんも私に体を向けて身構えたところで、私は変化しかけていた右手を下に戻すことができた。


「最近知ったって事に意味がある。実行犯に元石が居た事に意味がある。辛木さん、元石は"ピンク・スターチス同盟"の設立メンバーだ。そんな奴が、リインカーネーションに近づく理由は一つ」

「…え?」


私は立ち上がった体を椅子に戻す。

フランチェスカも、夏蓮さんも、それを見てそれぞれが元に戻っていった。


「先に元石に接触したのは君のお爺さんだ。甘里英雄…母方だから僕達も辛木さんの親戚だとは思わなかった」

「そう…ですか…」

「保護を求めててね。あのままじゃ親族諸共消される所だったから、彼はそれを分かってツテを辿って元石に助けを求めたわけさ」

「消される…?」

「そう。あんな人のいない田舎町、家族が1つ消えても、噂になる程度でそれ以上にはならないからね。そこにいるリインカーネーションなんて、攫うのは造作もない」

「なら…お爺ちゃんは今どこに…?」

「城壁には居ないけれど、1月もすればここに来るだろう。今はピンク・スターチス同盟の支部長になってる」


杏泉さんはそう言うと、着ていた上着のポケットの中から一枚のプリントを取り出した。


それを渡された私は、そのプリントに印刷された写真を見て目を丸くする。

そこには間違いなく、あの日連れ去られた祖父の姿が映っていた。


「悪く思わないでくれよ?家族も承知だったことでね…これ以上は家庭の問題になるから僕はあまり言わないでおくけれど…」


杏泉さんは、私の表情を見たのだろう。

彼にしては、本当に珍しい、何とも言えない苦笑いを浮かべた顔をしてそう言った。


だが、その表情は直ぐに掻き消えて…仕事中のあの顔に戻ってくる。


「だから、今日の夜からの仕事は…お爺さんを目的にしないこと。それは切り分けてくれ…そう言った傍から、お爺さんにも関わる頼みごとをするわけだが」


そう言った杏泉さんの言葉に、私はどんな顔を浮かべているかは分からなかったが…ただ、その言葉を聞いて首を分かりやすいほどに傾げて見せた。


「お爺さんを探す代わりに、"核"を探し出して欲しい。デリケートな話だが、前に言っただろう?リインカーネーションが持つ"核"の事を」

「ええ…でも、当初の目的は…」

「ああ。そっちが最優先さ。だけれど、それと同じくらい重要な仕事だ。そして、それを遂行できた暁には、リインカーネーションで構成された世界はこの城壁の島のコントロール下に置かれる」


杏泉はそう言うと、疑似煙草を一本取り出して口に咥えた。


「きっと、これから君が行くところの近くにあるだろうからね」

「……そうでしょうか?」

「だろうよ。皆がその立場ならそうする筈だ。相手を知っていれば居るほどに確信度は増していく」


杏泉さんは咥えた疑似煙草に火を付けると、フーっと甘いバニラの煙を吐き出す。

私はまだ半分ほど残っているコーラを飲みながら、杏泉さんの話に頷いていた。


「でも、それがお爺ちゃんとどんな関係が?」

「甘里だけじゃない、僕や夏蓮も当てはまるんだけどね…」

「?」

「まだあの国に僕達の"核"が保管されているといったら?」

「あぁ…」


私は杏泉さんの言葉で全てを理解した。


「生憎、僕達もまだ何も知らなかった頃に、一番研究を進めていたのはあの国でね。その初期のうちに、僕達の"核"は捕られてしまったのさ。君のおじいさんも…時期は違えど、似たようなものでね」

「そう言うことだったんですね…」

「それを知った時には、もう遅かった。その結果がこの前の墜落事故だ」


杏泉さんはそう言って、夏蓮さんの方へと振り返る。

2090年の終わりに起きた、墜落事故のことを言っているのは明白だった。

私はテレビ越しに映った"白銀の粉"の様子を思い出す。


「そういえばさ、トキトウはそこまでしてあの国をどうしたいの?」


一連の話を聞いていたフランチェスカが、一瞬静まり返った席に言葉を入れる。

杏泉さんは疑似煙草を煙らせながら、ふーっと煙を煙らせてフランチェスカに目を向けた。


「まず、第一目標は昔から変わってない。その目標を達成する方法を変えただけ…」


杏泉さんはそう言うと、ほんの少し間を置いてから口を開いた。


「あの国に手を出すのは、枯れていく故郷を見たくないからさ。リインカーネーションでこの星を埋め尽くした暁には、歴史の教科書にしか残らなくなるだろう…別に、この島にいる限り、手を出さずとも勝手に消えてくれても構いやしないんだが…やはり自分の生まれ故郷に思い入れは残ってた。それだけだよ」


そう言った杏泉の口元は、ほんの少しの微笑を浮かべている。

私は、それでも真剣さと、何時もの何かを裏に持ったような独特な瞳を表情に浮かべた彼の顔をじっと見つめていた。

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