2101年5月09日午後13時02分 "テイラー・ジェラード・シャルトラン" -004-

「!」


ダリオですら何があったのかが分からない。

俺も声を上げる間もなく、真横にいた奴の生気が消え失せていくのを感じ取ることしか出来なかった。


目の前には余裕な笑みを浮かべた女が2人。

その片方…カラキの…失っているはずの左腕が先ほど見た巨大な刃に変貌して…それが一直線にダリオの腹部に伸びていた。


「あの日の殺人事件。こういうことだったんですよ?通りで証拠も残らないわけです」

「フランチェスカ!」

「おっと、お静かに…大尉。何も左腕だけじゃないんですよ?」


俺の怒号をすぐさま制した彼女は、もう一度カラキの肩をポンと叩く。

すると、刃に変わっていた左腕は一瞬の内に人間の左腕に戻っていき…既に立ち尽くしたままで亡骸になっていたダリオは崩れ落ちた。


「"白銀の粉"に充てられて人間の一部を失い…自我をも崩壊させて生物の本能のままに生き抜こうとする…そんな者たちが"イレギュラー"として巷を騒がせてたんです。分かってしまえば簡単な話でした……」


フランチェスカはどこか感心したように呟く。

俺は額に流れてきた汗も拭わずに、目の前に居る2人をじっと睨みつけていた。


「そんな"イレギュラー"達はもうじきこの世界から消えてなくなる。もうじき、この島の住民は"選別"されて、全員が"リインカーネーション"へと様変わりする」


フランチェスカはそう言って、滑走路を望める大きな窓に背を預ける。

その背後…すぐ目の前に見える、狭い島の滑走路に1機の飛行機が姿を現わした。

白い機体に流れるような緑色のラインが入った…巨大な4発機。

機体横に漢字で"城壁選抜旅客航空公司"と書かれていた機体は、空港のビルの分厚い窓をも少しだけ貫いてくるような…甲高いエンジン音を発しだした。


「今は15時38分…あの機体はモスクワまで飛んで行くの…そして、明日には現地で待つ"リインカーネーション"の人達を乗せて帰ってくる…ねぇ?大尉。どうしてこの島に"リインカーネーション"が集まると思う?」


彼女はそう言って俺を見据える。

俺は真横に倒れているダリオの亡骸を一目見た後で、再びフランチェスカを睨み返すが…何も言うことが出来なかった。


「ま、それは普通の"人間"には分かりえないことだし…私達だって、まだまだ"リインカーネーション"のことを知らない」


そう言ったフランチェスカは…側に居るカラキの肩に手を回す。

そして、瞬きを2つ…ほんの僅かに目を閉じた瞬間…2人の女はゆっくりと窓に溶けて行った。


「大尉。"人間"である限り、この島で暮らしていくのはもう無理だと思いますよ?脱出はお早めに…」


捨て台詞を言って…2人は窓の中へ溶けていく。

俺はようやく足を動かして、2人の消えていった窓に駆けていく。

一瞬、手にした銃を放つこともよぎったが…奥に見えるジャンボジェットの姿を見て思いとどまった。

2人が消えていった窓…それに触れても…感触は変わらない…普通の窓だ。


俺はこみあげてくる怒りを抑え込みながら、ゆっくりと肩を落とす。

フランチェスカと同じように窓に寄り掛かって部屋の中を見て回ったが、そこにある光景は普段見ることもない…それこそ、この島の裏側を覗き込んでいるような気がして気味が悪かった。


人の…"イレギュラー"の浮かぶ水槽に…不思議な結晶の並ぶ棚…そして今はただの物になったダリオ…

俺はガックリと肩を落とす。

何もできなかった…だが、さっきまでの俺に何が出来たというんだ?

人の手じゃ手に負えない化け物を2人敵に回して…俺は生憎銀幕のスターでもなければ、悪運も強くない。

第一、映画の中だっていうならダリオは死んじゃいない。


俺は一つ、唸りを上げて背を預けた分厚い窓ガラスに拳を叩き込む。

それはビクともしなかったが…俺の絡まりついた頭をクリアにするには丁度よかった。


倒れたダリオをそのままに、俺は入って来た扉とは別の扉を開ける。

そこは、普段見慣れた空港の裏側の施設に繋がっていた。

関係者のみが立ち入りできる空間だ。

俺も仕事で偶に使う通路だったから、見間違うはずがない。


通路に出ると、出てきた扉を確認する。

扉のネームプレートには"城壁秘匿転生者委員会 倉庫"と書かれていた。

俺はその部屋を後にして…とにかく空港の外に出ようと通路を歩き始める。

無線機も捨てた今…警察署のデスクに戻ってどうやって言い訳しようかなんて考える事は一切なかった。

頭の中は、フランチェスカの事のみ…死んだはずの人間が"リインカーネーション"と化した事一点のみ。


俺は自分の底から沸き起こるような恐怖を抑えつけて通路を駆け抜けて行き、扉を幾つか潜り抜けた。

途中で身分証が必要な扉もあったが…そこは手元にあった警察手帳を見せるだけで素通りできた。

誰にもすれ違うことなく通路を抜けきって、最後の扉の目の前までやってくる。

最後の扉についたモニター越しに警察手帳を見せて…ようやく最後の扉が開く。


ようやく空港の表側…外に繋がる出入り口まで出てこれた俺はホッと一息を付く。

手帳を見せて開いた扉の脇に立つと、ドンと壁に持たれかかった。

びっしょりと濡れたインナーシャツの感覚が気持ち悪く、徐々に暖かくなってきた時期だというのに、体中は芯から冷えるように寒い。

それでも俺は手にしたライトマシンガンを軽く点検して城北の街へ出て行こうと前を向く。


「……」


前を向いた俺は、周囲を見回すと…再び言葉を失う。

そして、何でもないと自分に言い聞かせて足を踏み出した。

何も見ていない…というわけではないが、過剰反応してしまえば、その時は自分が"イレギュラー"のようになってしまう。

俺は"リインカーネーション"しか居ない空間を一人歩き出した。


「もしかして、シャルトラン警部ですか?」


空港の中を抜けて回転ドアを潜り抜けた時、俺に声がかけられる。

思わずといった形でビクッとして、声のかかった方に振り向くと、視線の先に居たのはスーツ姿の日本人だった。

俺の姿を見て少々驚いたような表情を浮かべた胡散臭い優男に、俺はほんの少しだけホッとする。


「モトイシか…ああ、アンタはリインカーネーションじゃないんだな?」

「えぇ…。それより大丈夫ですか?顔色が優れませんが」

「ああ…ああ。今はヤバいな…」

「何かあったんですか?私で良ければ話を聞きますが」

「……」


俺はそう言って目の前に立ったモトイシの姿を見つめて押し黙る。

今の気持ちからいえば答えはイエスだったが…それでもまだ俺はコイツが信用に足る人物だとは思えなかった。


だが…パッと思いつく知り合いで、今直ぐに会話が出来る"人間"はモトイシしか居ないとしたらどうだろう?

…フランチェスカのように、この空港内に異常なまでに溢れかえったリインカーネーションのように…もうこの島の人間の大半がリインカーネーションに変貌してしまっていたのだとしたら……?


「なぁ、アンタの仕事部屋でなら話せると思うんだが」

「…それは、大使館ということですか」

「ああ」

「……良いですよ?車で来てますから、今すぐの方が良いですよね、きっと」

「頼む。すまない」


俺は結局、目の前に現れた日本人に頼ることにした。

モトイシはポケットから車の鍵を取り出すと、何も言わずに振り返り…空港の出口の方に向けて足を踏み出した。


「……アンタは何故ここに?」

「ちょっと時任さんに用事がありまして…留守でしたが」

「そうか…」

「そういえば、警部は現場に行かなくていいのですか?」

「と、いうと?」

「さっき非常事態宣言が出てたじゃないですか…もしかしてご存じないとか?」

「……そのもしかしてだぜ、モトイシ」

「にしては随分と白けた格好ですね」

「ああ。やりたくもない砂遊びの結果さ」


俺達は並んで会話を交わしながら、空港の駐車場へとつながる回転ドアを潜り抜けた。

空港内は、気味の悪い銀色の目の持ち主で溢れかえっていることを除けば何時も通りの空港だと言えたが…外はどうやらそうじゃない。

飛行機の轟音が聞こえるのは何時も通りだったが、その音に今はサイレンの音が鳴り響いている。


俺は"非常事態"を示すサイレンの音を耳にして思わず身構えたが、そんな俺の姿を横目に見ていたモトイシが小さく笑ったことで構えを解いた。


「なるほど、この状況すら知らなかったと。サボってました?」

「随分とストレートに言いやがって。誰よりも働いていたよ」


俺は冗談半分に言ったモトイシにそう返す。

2車線道路に描かれた歩道を渡り、モトイシに付き従って彼の車まで歩いていく。

趣味でしか選ばないような車たちの前を歩いていき…モトイシは1台の角張った車の前で立ち止まった。


「右ハンドルとは珍しい」


俺はその車の助手席に向かいながら呟く。

赤黒のツートーンカラーを繕った車。

モトイシは運転席のドアを開けずに、そのまま後ろまで回り込んでいった。


「?」

「流石に装備類は外してくださいよ…助手席粉まみれにする気ですか?」

「ああ、そうだった。悪い」


俺はそう言ってモトイシの方へと歩いていく。

開けられたトランクに、手にしていたライトマシンガンを置き…それから上着類を脱いで、適当にほろってから中に詰め込んだ。


「暑くないんですかその恰好」


上着を脱いで、そこら辺にいる警察官と同様の格好になった俺にモトイシが言う。

俺は何も言わず肩を竦めて見せた。


「慣れだよ慣れ」


トランクを閉めて、助手席の扉を開けて中に入る。

角張った日本車の助手席は、日本人よりはガタイの良い俺にとって窮屈な物だった。


「少し狭いですが、我慢してくださいよ?」


運転席に収まったモトイシはそう言って、手慣れた手つきでエンジンをかける。

すぐに目覚めたエンジンは、少々乱雑な振動と音を車内にもたらす。

俺は助手席の窓を勝手に開けると、薄っぺらなドアの上に肘を置いて頬杖を付いた。

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