第25話 受け止めてくれる存在(1)




「どう? しょうもない人間でしょ」と、私は自嘲気味に言うしかありませんでした。


「師匠って、旦那さんがいるような素振りも見せないし、彼氏さんがいるような雰囲気もなかったから、実は不思議に思っていたのです。でもお話を聞いて納得しちゃいました」


「でしょうね。私みたいな人間が他者と関わりを持つと、大抵の場合相手が不幸になる。私はそういう人間なのよ」


 人と交際しても、それが長続きすることはありませんでした。私の性格のために、相手が愛想をつかして離れていくだけです。


「でも」とまつりは一度区切ってから、「わたしは不幸じゃないですよ」と柔らかい口調で言いました。それまで彼女の反応を見るのが怖く、視線はまっすぐ柏の街に固定したままだった私は、さすがに彼女の方を振り向きました。私に倣って噴水の縁に座り込んでいるまつりは、年相応なあどけなさのある微笑みを浮かべていました。


「わたしは、師匠と出会ったからこそ、今のわたしがあるんです」


「それは……」と、私は口籠る反応しかできませんでした。自分の都合だけで他者を振り回してしまう性質の私としては、実感のない言葉だったのです。


「そもそも師匠は、なんでわたしと関わってくれるのですか? こんな路上ライブをやるような得体の知れない子供に、どうしてここまで接してくれるんですか?」


 どうして、と聞かれれば、私としては「下手くそな演奏を何とかしてほしかったから」と答えるしかありません。事実私は、人の帰り道の途中で不愉快な雑音を垂れ流しているライブをなんとかしてほしかっただけの理由で、彼女に声をかけたのでした。私は自己都合でしかない理由で、見知らぬ金髪の少女に話しかけたのです。そのあとは、純粋にまつりと一緒にいて楽しいから関係を続けていました。愉悦も私の行動原理でもあります。


「それです、師匠」と、まつりは私のことを指さして言いきります。


「確かに師匠のお話を聞く限りですと、ご自身で仰っている通り、師匠はそのソシオパスというものに該当するのかもしれません。でも、皆誰しも自分勝手ですよ。わたしだって、わたしのママだって、パパだって、家族全員身勝手なことばっかやっていますし、学校の同級生も先生も、皆自分が一番大事だと思って行動してます。師匠だけではありません。世界中の皆が、それぞれ思惑を抱えていて、自分の思想に忠実になって好き勝手しているのです」


 それはそうだろう、と瞬間的に思いましたが、私が何か反応をする前に、まつりは一度深く呼吸をしてから続きを言いました。



「師匠は、人との関わりに理由を求めてしまうだけなんです」



 その言葉は、私にとってあまりにも衝撃的で、思わず目を見開いてしまいました。今まで自分のことをそう解釈したことがなく、しかもそれを指摘したのが自分よりもニ十歳も年下の女子中学生だったものですから、目から鱗が落ちるとはまさにこのことを指す言葉なのだろうと感じました。



「師匠があのときわたしに話しかけてくれたことで、のちにわたしはそれまで誰にも話したことがなかった家族の話をすることができたのです。師匠にあの話をしたことで、わたしの内側にしまい込んでいたものを開放してくれました。話を聞いてくれてすごくスッキリしました。そのあとだって、黒髪に戻してまた学校に通うようになりましたし、今も受験勉強に励むことができたのです。もしあのとき師匠が話しかけてくれなかったら、わたしは未だに家族のことで思い悩んでいて、学校にも通うことなく受験勉強すらすることもなく、金髪のまま路上ライブをしていましたよ」


 私は視線を落として、「結果としてそうなったに過ぎない」と自嘲しました。しかしまつりは「そうかもしれませんけど、そうじゃないかもしれない」と否定しました。


「あのとき師匠が自分の身勝手な行動をしたことで、わたしは救われたのです」


 そう明るく話すまつりのことを見ることができませんでした。目頭が熱くなって、今にも溢れ出しそうなものを堪えるのに必死だったのです。彼女より二十も歳が離れているいい大人として、あまりにも無様な恰好は見せられません。


「師匠はソシオパスなんかじゃないです。理由を求めちゃうだけです。小学生のときも中学生のときも、人気者になりたい理由を求めちゃった結果、友達はステータスっていう目的になっちゃったんです。社会人になってからも、急にできた信頼の意味を見出そうとして、悪い方向に考えてしまって、ただお為ごかしが失敗しちゃっただけなんですよ」


「……そんなことを言われたのは初めてだよ」と反応した声は震えていて、三十歳を過ぎた大人としてあまりにもみっともなくて、私は咄嗟に口を押えて震えを抑え込もうとしました。


 本当に、誰かが私という人間を認め肯定してくれたことなど人生で一度もなかったので、傍にいるただの女子中学生から、まるで女神か聖母のような神々しさを感じずにはいられませんでした。


 ふと、私の頭頂部に感触が生じました。そのまま反射的に顔を上げると、隣にいたはずのまつりが目の前にいました。例の枯れた噴水に座り項垂れていた私に、中学校の制服姿のまつりは真正面から向き合い、私の頭に手を置いていました。彼女の細い腕越しに見える柏の空はとうに日没していて、暗幕のような闇色に微かな茜色を残しているだけでした。


「……なんの真似?」と、私はたまらず尋ねていました。するとまつりは「お返しです」と答えます。


「わたしの家庭の事情を打ち明けたとき、師匠はわたしの頭を撫でてくれました。で、今はわたしが師匠のお話を聞いたので、わたしが師匠の頭を撫でる番です」


 そう言ってから、脇役のように街灯が灯っている駅前の路上にて、暗い夜の空を背景に、月の代役だとでも主張するかのような輝かしい笑みを、彼女は浮かべました。


 私はその光景に見惚れると、フッと吹き出すように笑ってから「バカ」とだけ呟きました。まつりの行動に対しての言葉であると同時に、これまでの人生であまりにも不器用な関係しか築けなかった私自身に対しての言葉でもありました。


 いい大人が他者に頭を撫でられることと、女子中学生に頭を撫でられるという二つの経験は、おそらくもう二度とないある意味貴重な体験でしょう。その貴重な体験を噛みしめるかのように、小さく優しい手に任せるまま撫でられ続けました。


 そうして、母親が子供を寝かしつけるかのような安らぎを感じたところで、私は私の内側に立ち込めていたソシオパスとしての瘴気が浄化されていく感覚を抱きました。そうなってから「もう、大丈夫だよ」と伝えて、まつりに礼を言いました。まつりは愛おしそうな表情のまま手を引いていき、私はそれに言い知れない寂しさのようなものを感じたのです。見上げた空は、いつの間にか完全な夜と化していました。



「なんだか師匠が、わたしと同じ人間なんだなって思いました」


「なによ。今までは人間じゃない何かだったの」



 三十代独身の私と、女子中学生のまつりは、柏の閉店した百貨店のシャッター近くにて、お互い向き合っていました。その状況で、二人は同じ人間だ、という話をしていれば、奇妙以外の何ものでもないでしょう。私とて客観的に捉えて、実に奇妙だと感じました。


 目の前のまつりは悩む素振りをしたあと、「師匠は、師匠です」と答えました。彼女にとって「師匠」とは、すなわち「すごい人」という意味だったはずです。


「師匠はわたしと歳が離れた大人で、凄腕の楽器職人で、広く深く物知りで、悟った感じの価値観を持っていて、わたしが知っている大人とは全然違うタイプの人。本当にすごい人なんだなって、ずっと憧れていたの。どこか別次元の存在のように思えて、それこそわたしを救いに現れた神様なんじゃないかって、そう思ったりもした」


 私が「随分と俗っぽい神様だけどね」と茶化すと、まつりは笑顔を浮かべることで返事しました。


「でもそんな憧れるくらいすごい人の話を聞いて、実はわたしと変わらないちゃんとした人間なんだってわかったの。わたしと同じように悩んで苦しんでいる様子に、とても親近感を抱いたの。ずっと遠くにいる師匠が、実はわたしと近い位置にいる人なんだって思ったら、師匠のことがまた少し理解できたような気がしました」


「理解した上で、こんな人間で失望した?」と意地悪く聞くと、まつりは「ぜーんぜん」と可愛らしい言い方で否定しました。




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