第6話 ユウ①

 この人は私にとってなんなんだろうと思うことがある。最近では、ふと我に返ると考えているのは、癪なことにそのことばかりだ。また、それはときには「なんなんだろう」ではなく「なんだったんだろう」でもあるのだけれど。

 仮にA君としておこう。近頃、困ったことにA君と顔を合わせることが多い。

 入学してからそろそろ一年が経とうとしている。自分から避けていたのもあって、つい最近までは大学構内でA君を見かけることはあまりなかった。同じ大学に通っているんだからもう少しどこかにいてもいいんじゃないかと思っていたけど、こうして度々顔を合わせてしまう日が続くと、これはこれで気まずいものがある。

 A君とは、ほとんど一緒に育ったようなものだった。保育園が同じクラスで、親同士がママ友だったからなのだけど、小さい頃はいつもA君が隣にいた。A君のお母さんはフルタイムで働いていたから、お迎えの時間が間に合わないとき、パートで時間通りに帰れる私の母が一緒に連れて帰るようになって、やがてそれが日常になっていったのだ。だから私たちは、当然のように帰宅後もずっと一緒に遊んでいたのだった。

 よほど母親同士の馬が合ったのか、私達があまりに二人で仲良くするから、一緒の方が世話が楽だと思ったのか、A君は休みの日もしょっちゅう一人で私の家に遊びに来るようになった。A君は一人っ子だったし、私も姉とは年が離れすぎていて一緒に遊ぶのが難しかったから、A君が来るのは我が家にとっても好都合だったのだ。

 あの頃は、A君のことは、いつも「アキラ」と呼び捨てにしていた。なんでかって、アキラのお母さんは彼のことを「アキラ君」なんて呼ばないのだから、それなのに私が「アキラ君」なんて呼ぶのはおかしいと思っていたのだ。お母さんよりも私のほうがずっと一緒にいるんだから、アキラとより親しいのだから、とでも思っていたのだろうか、子供心に。まったく、本当に子どもだったんだから。


 A君、アキラ、やっぱり難しい、なんで今はあいつのことを「アキラ」って言いにくいんだろう。大学での知り合いは、誰ひとりとして私たちが幼馴染だったなんて知らないし、そんな中で突然「アキラ」なんて呼び捨てにし始めたら、いらぬ誤解を招くことは間違いない。それも理由の一つかもしれない。

 でも、それだけじゃない。アキラって呼ぶのが、しっくりこない。でも、あの頃のアキラをA君と呼ぶのも同じようにしっくりこないので、幼児期から中学生までの彼のことは、昔通りアキラとしておく。

 今からでは考えられないけど、アキラは、小さい頃は泣き虫だったのだ。私の方が背も高くて、四六時中動き回っていて、口も達者で、そしていつもアキラの面倒を見ていた。

 いつのことだったか、一緒に歩いていたら、アキラが全然ついて来ないことがあった。

「どうしたの、アキラ」

 後ろに人がいない気配がして振り返ると、アキラは今にも泣きだしそうな顔をして遠くにいた。可愛いけれども腹立たしい妙な気分になる。

「鳥がいるから、怖くて歩けないよ」

「なんで鳥が怖いの?」

「僕が通ると、糞を落とすんだよ」

 そう言えば、この前電線に止まったカラスの下を通ったときに、上から糞を落とされて大泣きしていたんだっけ。そんなの洗えば済むだけなのに、大げさなやつと思った。今止まってるのは雀程度の大きさの害がなさそうな小鳥だから、子供に糞を落として遊ぶだけの知恵はなさそうに見えるけど。そう諭しても、アキラは言うことをきかない。

「ユウ、そっち行くのやめよう、違うところへ行こうよ」

「やだ。今日はあっちの公園で遊ぶんだから。早く来て、置いてくよ」

 それでもアキラはこっちに来ようとしないので、私は道端の石を手にとり、小鳥に投げつけようとした。

「だめ!」 

アキラが走ってきて、私の手から小石をもぎ取る。

「なんだ、通れるじゃない」

「石を投げつけようとするなんて、ひどいよ。小鳥さんをいじめないで」

 泣きながら、そんなことを言っていた。変な子だった。

 それからは、鳥が電線に止まっていても、私がまた石を投げようとするのを恐れてか、ダッシュで下を通り抜けるようになった。そうこうしているうちに、次第に鳥のことは気にも留めなくなっていったようだけど。小さい頃の思い出なんて、そんなことばっかりだ。


 そんなアキラだったけど、あいつは生意気にも、小学校に上がる前からピアノを習い始めた。私が先に習い始めいたから、「ユウが習うなら、僕も習う」と、真似して始めたのだ。もっとも私はすぐに飽きて辞めたのだけど。

 自分はすぐに飽きてしまったくせに、私はアキラが練習している様子をきっちり見張っていて、一時間練習する前に止めようとすると、「まだ五十五分しかやってないよ」などと、厳しく叱責した。やがて簡単な曲はちょこちょこ弾けるようになってきたのを、それが気に入らなくて「二か所も間違えてたじゃない」「気持ちがこもってないよ」「弾き方が雑」などと、自分がピアノの先生から言われたセリフを懸命に思い出しながら、アキラの練習のあら探しをし続けた。アキラはその度に泣きながらも、懸命にピアノに向かっていた。健気に頑張る姿を見ながら、今に飽きるだろうと思っていた。


 小学生になると、アキラは一時期学童へも通っていたのだけど、すぐに嫌になったようで、再び私の家に帰ってくるようになった。母は、私を幼稚園ではなく保育園に入れたくて仕方なくパートをしていただけだったので、私が小学校に上がる頃にはパートの時間をさらに短くしたから、アキラが来ても特に問題はなかった。むしろ私がアキラと遊んでいれば、母は私の相手をしなくて済むから、楽なようだった。

 アキラはたまにほかの子と遊ぶことはあったにせよ、五時の鐘が鳴ると、常に私の家に帰ってきた。今から思えば私の家にはちゃんとしたピアノがなくて、キーボードがあるだけだったけど、アキラはそれでせっせと練習していたのだった。小学校のランドセルにピアノの本も入れて、常に持ち歩いていたらしくて。私の家で練習することがアキラの日々のスケジュールに組まれていたのだった。

 そして私は、アキラが練習している間はテレビが見られないので、炬燵に座って広告の裏に絵を描いたり、本を読んだりしていた。アキラは毎日きっちり一時間半練習するようになっていたので、私も頑張って、毎週のよう図書館に本を借りに行った。

 学校で「男のくせにピアノ弾いてやんの」と言われていると、私が追いかけて行って叩いてやった。自分はいつもダメ出ししているくせに、他人が彰のピアノについて「下手だ」というようなことをいうときには、「自分は何も弾けないくせに、文句言うんじゃない」と言ってやった。

 姉は私たちが小学生になる頃には中学校に行っていて、部活で七時頃まで帰らなかった。アキラと入れ替わりで帰ってくるようなものだったので、「あの子のせいでテレビが見られない、自分の家なのに他人がいて落ち着かない」などと、ぶつくさ文句を言われることはなく、ときは過ぎていった。


 三年生になったときだった。アキラはピアノを買ってもらった。ピアノを見に行くと、得意げに、

「これでユウが好きな子犬のワルツを弾いてやるよ」

 と言った。ちょっと前に、家にあったクラッシックのCDを聴きながら「何年も習ってるんだから、そろそろこういうの弾けるようにならないの?」と言った覚えがあった。私は単に難しそうな曲を選んで、アキラがあくせく練習しているところを見ていようと思っただけなんだけど、まさかそれがきっかけでピアノが買われてしまうことになるとは思ってもいなかった。とっくに辞めた私にはわからなかったけど、子犬のワルツは動きが速いから、鍵盤が軽いキーボードだと指が回らなくて弾きにくいのだ。それに、彼の両親も、今後もそう簡単にピアノをやめることはないだろうと思ったのだろう。だけど内心、ピアノを買ってしまって、アキラが私の家で練習しなくなったら嫌だな、とオロオロオしていた。それは杞憂に終わったようで、アキラはそれからも平日は七時になるまで、私の家で安物のキーボードを弾き続ける日々が続いた。なぜかほっとした。

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