烈しい瞳

 さてそういうわけで七日めということなのですが、コロは日に日に生気を失っていきました。動きの幅が全体的に小さくなり、歩行訓練もただ黙々とこなすようになり、癇癪も起こさなくなりました。いよいよ疲れてきたのでしょう。反抗するのもエネルギーを消費するものですから。それ自体はよくあること。理不尽で残酷な事態に巻き込まれたときには人間、防衛機能が働きますから。それはこの年齢でも、いえ、だからこそよく働くものなのでありましょう。


 けれどもこの子、生気と反比例してその瞳のぎらつきの深さを増していくのです。もうなにを考えているでもない目だった。かといって虚ろというわけではない。意思はある。わたくしがこの子のリードに手をつけるときなどとりわけそういう目をしました。睨む、といっても足りないくらいの。じっ、と見つめてくるのです。まるい瞳。そうやはり、なにかを考えているわけでは、ないのです、まったく。ただ、感じているのかもしれません。わたくしがその世界を塗りつぶしたのだと、ただそう感じて、このような目ができるのやもしれません。



 わたくしはどうであったか。――薫子さまに最初にかわいがっていただいたとき、絶望はすれど、このような烈しい瞳をしていたものか。



 平然としているかのごとくこの子を紐でつないだりその頭をぶったりしながら、わたくしは……ああすでに才能で言えば自分はこの幼子にとっくに負けているのだわ、と思った。



 未来さまは相も変わらずコロに優しい、……ただし飼い犬に対してという意味で。未来さまはもうすでにコロをまったき犬だと認識しているようでした。そりゃそうでございましょうよ。幼児です。周囲のおとながそうと言ってそうと示せば、そう思い込むものなのだ。


 コロだっておない歳なわけだからそのあたりの葛藤はクリアに認識することができる。そうやって理性的な思考を放棄して目をぎらつかせているときがあったかと思えば、休憩時間にいい子でお座りしながらひとの顔してうつむいてぼろぼろ泣いているときもある。あっさりと自分が犬だと受け入れられる子であれば楽だったのでしょう。……しかしそうであればまた、薫子さまに拾われることも、なかったのでございましょう。



 どちらが幸せなのか……わたくしは子どもに対するおとなとしてはまあ単純にクズで、わたくしこそが檻に入れられ鎖につながれるべき存在であると自覚しているので、まあ無責任にそんなことを考えておりますよ。――それを言ったら薫子さま、あのかたこそが檻に入れられ鎖につながれるべきなのですが、まああのかたは人類総がかりでもはたしてかなうものなのかどうか。上位者なのです。表面の皮だけが人間とおなじ素材でできあがってるだけだから。



 ……そういえば薫子さまにおうかがいせねばならぬ。七日め。いかがですか、コロというあの子は貴女さまにとってよい子犬ですか、ということを、ね。

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