わたし、捨てられるの?

 家事やら生活必需品の配達の手配やらを済ませて、使用人会議に向かいます。



 天王寺てんのうじ家の使用人はなにもわたくしのような酔狂ばかりではない。相応の金で雇われ、その額に相応の価値の仕事をする、そういったプロフェッショナルだって多いのです。いえむしろそちらのほうが、人数としては、多数でしょう。


 わたくしは使用人のなかでもすこし特殊ですのでね。

 いちばんのベテランで、当主、薫子さまにもっとも近い使用人。使用人頭ということにもなっております。


 だがわたくしは、多くのひとたちとつきあうのがそう得意ではない、たとえ天王寺家の使用人というおなじ職場の人間であっても。

 不細工な犬のようで愛想もうまくふりまけないわたくしです。そういった性質は、薫子さまはもちろん使用人のみなさんですら理解してくれてましたから、わたくしは名ばかりの使用人頭で、じっさいには小娘でもできるような地味な仕事を日々ひっそりとやっておりました。家事や物質調達、あとはときどき未来さまの遊びのお相手をする、と。


 ……薫子さまのひとり娘、良子りょうこさまのお相手も、わたくし、むかしはよくいたしたものです。


 つまりしてそういうわけですので、わたくしは、使用人会議に遅れても問題のない立場であり、そもそも行かなくたってよろしいのでした。どうせあとでひとこと、結論の簡単な報告だけは受けるのですから。



 しかし、まあ、本日は行かざるをえない。

 天王寺公子さん。……彼女を、迎えた日なのです。



 午前のうちに使用人のひとりが公子さんを車に乗せてこのお屋敷まで運んできたはず、……もちろん、彼女は、自分がこれからどのように処されるのかを知るよしもありませんでしょう。


 会議は熱をもっているようでした。外にも声が漏れ出ています。会議は、ふだんはもうちょっとひっそりとしているはずですから、やはり、紛糾していますね。



 わたくしは、ふすまを開けました。一瞬、しんと。使用人たちはそれぞれに仕事特有のきれいなお愛想笑いをして、頭もぺこりと下げて、すぐに議論に戻っていきました。



 わたくしは、部屋の隅に座りました。……公子さんがそこで体育座りをしていたからです。真っ黒でひらひらしたドレス。


 だれがこの子に着せたのだろう。この子の親は、ただ自由奔放で天真爛漫としか表現しようがない、愚かな貧乏人でした。……こんなきれいなドレスを着せることなど、思いもつかなかったことでしょう。



 すこし離れた対角線上からわたくしは彼女を観察します。



 公子さんは、暗い目をして、戸惑っていました。……ふむ。五歳にして、戸惑い、ですか。なるほどたしかに利発なのだろう。

 こんなにも広いぐるりの和室で、知らないおとなに囲まれて、話の内容は正確にはわからずともどうやら自分が中心になっている、この状況。子どもらしく愚かな子どもでしたら、はにかんで喜ぶか、あるいはかたくなに怯えるかの、どちらかでしょう。


 この子どもは、畳よりもすこし浮いたところ、どこでもないところをひたすらに見つめて、暗く沈みこんだ目で、なにかを必死に堪えていました。



 わたくしは、この子どもに好感を抱きました。



 さてだれに尋ねようかと視線をめぐらすと、入り口にいたももさんが目につきました。発言もせず、薄くにこにこしています。


 桃さんはうら若い女性で、地元の短大を卒業したあと天王寺で使用人として勤めはじめて二年め。数年後には結婚するとのことで、こちらもそれは前提として桃さんを雇いました。


 ……ああ、それはわたくしはね、人事くらいはね、最終面接くらいはやりますよ、名ばかりだって、それはいちおう、わたくしは天王寺家の使用人頭でありますから。


 桃さんのようにそうやって年数限定で割り切ってくれてるひとのほうが、かえってやりやすいんですよ、そのこと前提で仕事を割り振れますから。



 ……たとえばね、そう、きょう公子さんを送り迎えしてくれたのだって、桃さんです。




 桃さんの隣にわたくしも腰を下ろします。よっこいせ、っと。会議の邪魔にならないように、小声で桃さんに話しかけます。


「桃さん」

「あー、はい。お疲れさまです、飯野いいのさんー」

「いえいえそちらこそね。あの子。公子とやら。車のなかでどうでした」

「んー、まあ、ふつうでしたよ?」

「ふつうとは?」

「うーん、ぐずったりもしなかったですしー、子どもらしいおしゃべりとかもなくて。あ、でも、ひとことだけ聞かれましたね」

「――なんて」

「わたし、捨てられるの? って。かわいそうですよねー。なんでしたっけ、お母さんが失踪? でしたっけ? あの子のお母さんってたしかご当主さまの、えーっと、弟さんの、息子さんの家のー……」

「そう、末端。天王寺家の一員とも言えない、卑しい、貧乏人です。ありがとうございます。有意義な話でした」



 わたくしは、立ち上がりました。よっこいしょ、っと。

 そうしてしみじみ、思ったのでした。

 ――ああ。ほんとだ。さすがは、薫子さまでいらっしゃる、と。

 その子どもを、いわば狙って連れてきただなんて――。



 自分が捨てられるのかどうかを五歳の段階にしてすばやく察知する能力。そしてそのことを喚き散らすこともできず、かといって、ずっと黙っているほどにはおとなではない、そのあやふやにも絶妙な段階。



 薫子さまはいちど、あの子と対面したという、……そのときひと目でなにかを見抜いていたとしたら、やはり、天王寺薫子さまという人間は、




 ――人間などをはるか超越した存在だ。




 わたくしは、向かいます、こんどこそ。




 ……おそらくはきょうが人間として生きられる最後の日である、数奇な運命を背負ってしまった、少女のもとへ。

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