5章 黒幕 その1

 翌朝、マルクの顔を見ることなく、シャルロットはアンヌと共にシュルーズメア城に向かった。マルクには会いたかったが、アンヌと愛し合っていると聞いてしまった今、どう接していいのか分からなかった。


 帝国を出るまでは、好きか嫌いかだけだった。


 会いたければ我慢することなく会っていた。


 会いたいのに会いたくない、などという複雑な気持ちになったのは、シャルロットは初めてだった。


「あんたに、手紙が届いてるらしいよ。一度、部屋に戻んな」


 出勤すると、シャルロットは女中長に声をかけられた。


「手紙?」


 シャルロットとアンヌは顔を見合わせる。


「ったく、休みっぱなしで、働かないなら辞めちまいな!」


 女中長の小言から逃げ出して、住み込みのために宛がわれた二人部屋に移動した。ベッドが二つ置いてあるだけの簡素な部屋に、一昨日持ち込んだ荷物がそのまま置かれていた。そしてまだ使っていないシャルロットのベッドの上には、手紙が置いてあった。封蝋で閉じられた封筒で、そのシンボルは王室のものだった。

差出人は、開けなくとも分る。


「ウィリアムじゃな」


 早速開いて読んでみると、次第にシャルロットの顔が赤く染まっていった。


「シャルロット様、私も拝見して宜しいですか?」


「う、うむ」


 アンヌは手紙を受け取って文面を読む。シャルロットをミューズに喩えた熱烈な告白文が長々と書かれており、最後に、


“今夜月が輝くころ、初めで出会った回廊で待っています”


 そう結ばれていた。


「まさにこれですわ、シャルロット様。恋の始まりは」


「会ったばかりで、ここまで気持ちが高ぶるものか?」


「ええ。愛に時間は関係ありませんのよ」 


 シャルロットは目を閉じて、手を胸に当てた。ドキドキしている。恋文を嬉しく思う。ウィリアムに好意も持っている。


 だがやはり、恋と呼ぶには、なにか足りない気がした。


「ウィリアム殿下とお会いすることですわ。私も今朝、フランシス殿下に手紙をお出ししました。早ければ今夜か明日か、お返事が来るかもしれませんわね」


「アンヌは、どんな文を書いたのじゃ?」


「ふふ、殿下のこの恋文に、負けず劣らずの情熱的な内容ですわ」


 アンヌはにっこりと微笑む。


「後でじっくり聞かせてもらおう。仕事に戻らんと、女中長は怒ると怖いからの」


 手紙を鞄にしまい、シャルロット達は持ち場に戻った。


 夜、シャルロットは回廊に来た。所々に蝋燭が灯されているが、城の端に位置するこの場所は殆ど利用されないため、薄暗かった。


 シャルロットは仕事が終わって着替えてはいたが、女中として城にいるので、質素なドレスを纏っていた。髪は頭部だけ結ったハーフアップにしており、長いブロンドの髪は腰まで伸びている。


「まだ、来てはおらぬか」


 シャルロットは空を見上げた。雲ひとつなく、星が瞬いていた。


「シャルロット!」


「ひゃあっ」


 急に声をかけられてシャルロットは驚いた。振り向くとウィリアムが微笑みながら立っている。


「そなたは脅かすのが好きじゃの。どこから来たんじゃ」


 シャルロットは静かな回廊の中央付近にいたので、足音なり気配なりで、誰かが近寄ってくれば気づいたはずだった。


「そこの部屋だよ。来てくれて嬉しいよ、シャルロット。ね、来て」


 ウィリアムはシャルロットの腰に手を添えて、すぐ近くのドアを開けて室内に促した。部屋の中は真っ暗で、窓から青白い月明かりが差している。


「この部屋は普段使われていない部屋なんだ。誰も来ないから、ゆっくりできるよ」


「明かりはないのか?」


「ない。だから、こっち」


 ウィリアムは腰辺りに桟のある、大きな窓を開けた。


「この外、ポーチみたいになってるから出られるんだよ」


 ヒョイと窓の外の張り出しに降りると、シャルロットを手招いた。少し狭いが、手すりもある。シャルロットはウィリアムの手を借りて降りた。


「いいでしょ、ここ。遠くに海が見えるし、空も綺麗に見える」


 そう言ってウィリアムは、窓を閉めてから座った。シャルロットも隣に座る。


「ほら、こうしてしゃがむと部屋の中からは見えくなるんだ。僕の秘密の隠れ場所。教えたのは、シャルロットが初めてだよ」


「光栄じゃ」


 ウィリアムの銀髪が、月明かりをキラキラと反射している。ほっそりした顎から柔らかな曲線を描く頬の輪郭、そこに一つ一つ秀麗なパーツがバランスよく配置されていた。

やはり美しい、とシャルロットは改めて思った。


「ねえシャルロット、手を握っても?」


「う、うむ」


 ウィリアムは肩が触れる位置までシャルロットに近づき、愛おしそうに両手でシャルロットの右手を握った。シャルロットは手紙の内容を思い出して、頬を赤らめた。


「シャルロットは僕のこと、だいたい知ってるでしょ? でも僕はシャルロットのこと、殆ど知らない。名前と、ダンスが上手いことと、歌声が綺麗なことと、嘘が下手なこと。ね、もっとシャルロットのことを教えて」


 こんなに思いを寄せてくれるウィリアムなのだから、あまり隠してばかりいては失礼なのではないかと、シャルロットは考えた。


「妾は、ヴァージナルを弾くのが好きじゃ。作曲もする。刺繍をするより、剣や乗馬をするほうが好きじゃ。あまり淑やかではないの。語学は好きでな、五ヵ国ほど話せるの」


「シャルロット……」


 ウィリアムは目を見張る。シャルロットの告白は、暗に上流階級であることを告げていた。


「妾は、もうすぐ結婚せねばならん。年齢的なもので、相手は決まっておらん。だから妾は自分で選びたかったんじゃ」


 シャルロットは申し訳ない気持ちで、ウィリアムを見た。


「ウィリアムの気持ちは嬉しいと思うのじゃが、妾はどうやら、ずっと前から好いた人がおったようじゃ。昨日まで、自分でも気づかんかった。しかしその者は、別の者を好いていた。人を愛するというのは、単純なものではないのじゃな」


 マルクやアンヌを思い浮かべる。恋は一人でするものではなく、相手あってのものなのだと、シャルロットは今更ながら思い知った。


「僕、初めてなんだ、こんな気持ちになったのは」


 ウィリアムは姿勢を正し、シャルロットの手を顔の高さまで上げ、よりしっかりと握る。


「僕じゃだめ? 傍にいれば、お互いにもっと好きになれるよ。シャルロットを幸せにする。絶対だ」


 ウィリアムはシャルロットを正面から見つめ、真摯な眼差しを向けた。


 どこまでもストレートな気持ちを受け続け、心が揺れた。


 このまま王宮に戻れば、見知らぬ肖像画の相手と結婚することになるのだ。


 それならば。


「妾は……」


 ギイッと部屋の扉が開く音がした。


「……っ!」


 風もなく静まり返っていただけに、二人は驚いて、思わず身を屈めた。

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