第17話 母、襲来。

「どうしてここにお父さんが!?」


「有彩のことが心配で様子を見に戻ってきた。どうやら見に戻って来て正解だったようだな……!」


 音を付けるならじろりという擬音がピッタリなぐらいに分かりやすく俺を睨む有彩の父親はそのまま一歩俺に近づいてきた。


「どういうことか説明してもらえるんだろうな、有彩!」


「そ、それは……ちゃんと説明しました。友達のお家に住まわせてもらう……って」


「僕はその友達が男だなんて聞いてないぞ。その部分は説明してもらえるんだろうな?」


 有彩は明らかに顔を青ざめさせて言葉に詰まってるし、ここは俺が口を挟むべきなのか? けど、遅かれ早かれ多分こっちに話が回ってくることには変わりないよな。

 もう少し様子を見てみるか。


「……帰り道が同じなだけですよ。お父さんはたまたまその現場を目撃しただけです。別に私と理玖くんが同じ家に入っていくのを見たわけじゃないですよね?」


 有彩は腕を背中側に組んで、淡々と告げる。

 確かに一緒に家に入る場面を見たわけじゃないし、俺と有彩を見つけたのだって偶然だろうしな。


「ふむ、それを言われればそうだな。でも、お前は嘘を吐いてるな?」


「どうしてそんなことが分かるんですか?」


 メガネの位置を直し、眼光は鋭くしたまま有彩の親父さんは口元に確かな確信を浮かべ、口角を少し上げた。


「瞬きの速度がいつもより1秒程度早い。それはお前が嘘を吐いてる時の癖だ」


「「――は?」」


 一瞬何を言われたのかが分からなかった俺と有彩は思わずお互いの顔を見合わせ、呆けた声を口から漏らしてしまった。

 

「えっと……お父さん、今なんで私が嘘吐いてるって言いました?」


「瞬きの速度がいつもより1秒程度早いからだ」


「「――は?」」


 ダメだ聞き返しても全然分からねえ……!! むしろ謎が深まっただけのような気がする!!!


 ――有彩、失礼を承知で言うんだけどさ。


 ――なんでしょうか?


 ――お前の父さんヤバくね?


 ――はい、正直娘の私でも気持ち悪いと思います……!


 有彩と小声で話しながら2歩ほど後ろに後退り、距離を空ける。

 どうしよう、もう目の前の人が有彩の父さんじゃなくてただの娘大好きな気持ち悪い人にしか映らねえ!!


 さっきまで場を支配していた緊張感は見事に霧散し、別の意味で冷や汗をかいてしまう空気になってしまった。


「どうした? まるで理解の出来ないものを見る目をして」


「今お父さんが答えを言いましたよ……なんなんですか瞬きって!!」


「有彩のことは生まれた時から見てるからな、そのぐらい分かって当然だ」


「どこの世界に娘の瞬きの速度で嘘を見抜く父親がいるって言うんですか!? というより友達の前でそういうこと言うのやめてっていつも言ってるじゃないですか!! バカ!!!」


 え、これ初犯じゃねえの!? 瞬きのくだりと合わせて衝撃的なんだけど!? もしかして有彩に今まで友達がいなかったのってこの人のせいなんじゃねえだろうな!?


「……そんなことよりもどうして男と同棲なんて真似をしているんだ?」


 あ、自分の立場が悪くなったの察して話題逸らしたな? というかちょっと泣いてない? 娘にバカって言われたのがそんなに堪えたのか?


「そ、それは……」


「有彩、僕がお前を置いて泣く泣く海外に行ったのは同性の友達と住むならばと思ったからだ! 男と同棲なんて絶対に認めない!! お前には僕と一緒に海外に来てもらう。その方がいいだろう」


「勝手に決めないでください! 私は海外には行きたくありません!」


「僕は有彩のことを想って言っているんだ! 海外にいた方が将来色々な場面で有利に働く!! それに常識的に考えて高校生の異性同士が同棲なんて有り得ないだろ!! 親の言うことが聞けないと言うのか!!!」


 今まで毅然とした態度で接していた有彩だったが、大声で叱られたことでビクッとして目に涙が溜まっていく。

 

「有彩のことを想ってるなら、なんで娘のことを信じてやれないんですか?」


「部外者は引っ込んでてもらおうか」


「嫌だ、それにこの件に関しては部外者じゃないですから」


「そうだな、そもそもお前が有彩をそそのかさなければ有彩は僕と一緒に海外に来ていただろうしな。本当に忌々しい……!」


 俺がそそのかしたことになってるらしい。随分と都合のいいように解釈したもんだな。ちょっとムカついたぞこの野郎。


「子供の未来を決めるのは親のやることじゃないだろ!! 子供が選んだ未来を歩いていけるように見守ってやるのが親ってもんじゃねえのかよ!!!」


「知ったような口を利くな、子供が!! 子供が離れて別の場所に住んでいる親の気持ちが分かるのか、お前に!!」


「分かるわけねえだろ!! 俺、親になったことねえからな!! でも無理矢理やらそうとするのは絶対にやっちゃいけないことだっていうのは俺にだって分かる!!」


「減らず口を……! 親の顔が見てみたいもんだな!」

 

 頭を何かで殴られたように、衝撃で頭の中から言おうとしていたセリフも全部飛んでいった。親の顔、か。


 そんなもん……俺だって――!


「俺だって見られるなら見てみてえよ……!!」


「……なんだと?」


 拳を握りしめ、俯いて下唇を噛み締める。

 隣の影が自分から1歩遠のいて、歩いていくのが視界の端に映った。


「有彩?」


「……って……ださ……い……!」


 有彩は親父さんの前までゆらりと歩いていき、小声で何かを呟いている。

 

「ど、どうしたんだ? 有彩?」


 親父さんが有彩の肩を掴もうとすると、有彩は顔を勢いよく上げ、叫んだ。


「理玖くんに今すぐ謝ってください!!!!!!」


「はうあっ!?」


「いっ!?」


 親父さんの股間を蹴り上げた!? うっわ、痛そう……いや、痛いで済めばいい方だろうな……あれは……。


「お父さんなんて大嫌い!! バカァ!!」


「あ、おい!! 有彩!!」


「待っ……ぐおぉぉ」


 え、これこのまま放置していいのか? なんか男としての苦しみだし、放っていくのは良心が痛む……。

 ていうかするにしても普通ビンタだよなぁ、しかも完全に警戒してない状態でクリーンヒットだからな。


 まあ、有彩の方が優先か。

 悩んだ末、俺は有彩を追ってマンションに戻ることにした。荷物も置きっ放しで戻って行ったしな。


♦♦♦


「有彩ー? 何もあそこまでやらなくても良かったんじゃないか?」


 マンションに戻ると、リビングに有彩の姿はなかった。

 多分自分の部屋に戻ってるんだろうと判断し、部屋の外からやや大きめの声で問いかける。


「す、すみません……つい、カッとなって」


「俺に謝られても困る……俺も頭に血が上ってる時に急に言われたもんだからちょっとビックリしただけだからさ」


 まぁ、普通は両親が事故で亡くなってるなんてこと思わないわけだし、仕方ないとは思う。不慮の事故みたいなもんだ。


「とりあえず入るぞー?」


「だ、ダメです!」


「そりゃまたどうして?」


 扉の向こうが沈黙し、数秒経った後……。


「泣いてる顔、見られたくないんです……ぐちゃぐちゃですし……恥ずかしいですから」


「そうか、とりあえずお邪魔します」


「へっ!?」


 ガチャリと音を立てて入ると同時に有彩は俺に背中を向けてベッドに潜り込む。いい反射神経だ。


「……理玖くんは意地悪さんです」


「おう、知らなかったのか?」


 こんもりと膨らんだ布団の山の主に声をかける。

 

「……知ってますよーだ」


「そんな拗ねんなよ、子供か」


「どうせ私は子供ですよーだ」


 軽くため息を吐いて、近くに腰を下ろす。

 

「で、これからどうする?」


「……私、ここから離れないといけないんでしょうか?」


「それは有彩次第じゃないか? どうしたいんだ?」


「離れたくないです……! 海外に行ったら、せっかく出来たお友達と離れないといけなくなります! 毎日楽しくて、今……私は幸せなんだって思えます」


「でも、このまま理解してもらえないまま親父さんとケンカ別れみたいになるわけにはいかないだろ? 分かってるよな?」


 話し合いもせず、問題を先送りにして逃げてばかりいて、それで自分の主張を通そうなんてそれこそ子供のワガママってもんだ。

 

「でも、お父さんは分かってくれるんでしょうか?」


「ま、難しいだろうな。あの感じだと」


 大分頭が固そうだったし、娘大好きの人だったからな。

 それに言ってることが間違ってるってわけでもない。高校生の内から同棲して、何かあったらと思うと親としては気が気じゃないだろうし。常識的に考えてこの状況はやっぱりあり得ないものなんだってことも自覚してる。


「ただいまーっ! りっくんりっくん! 今外でさー! ……あれ? いない?」


「陽菜、ここだここ」


「あ、ただいまーっ。有彩は?」


「そこで布団の山の主してる」


 陽菜がベッドまで歩いていき、中をめくって確認して、俺とベッドを見比べるように顔を往復させる。


「りっくん何かしたの?」


「俺じゃねえよ。というかお前さっき何か言いかけてなかったか?」


「あ、そうそう! 今マンションの前で男の人が蹲ってたんだけど……」


「……やっぱまだダメージ回復してなかったかー」


 陽菜にさっきまでのことをかいつまんで説明すると、陽菜はなるほどねーと間延びした声を出しながら冷蔵庫から麦茶を取り出し始めた。


「じゃあ蹲った男の人に声かけてた女の人は有彩のお母さんかな?」


「それは知らんけど。単に近所の人が心配して声かけた可能性もあるだろ?」


「あー、そうかもしれないね」


 ――ピンポーン、とインターフォンが来客を伝える為に労働した。

 陽菜と2人で顔を見合わせ、開けっ放しになっている有彩の部屋の方に視線を向ける。


「……はぁ、俺が出るよ」


 見慣れたはずの廊下が謎の緊張感に包まれ、背中を汗が一滴滑り落ちる。

 

「はい、どちら様でしょうか?」


「私、竜胆有彩の母で竜胆彩りんどうあやと申します」


「有彩の……お母さん!?」

 

 てっきり父親が来るもんだと思ってたからちょっと大きめのリアクションを取ってしまった。

 扉を開けると、一陣の風が一緒に飛び込んできて、目の前の人物の長い黒髪を揺らす。

 有彩が大人になったらきっとこんな感じになるんだろう、と思える顔立ちと落ち着いた雰囲気を持ち合わせていて、語彙力が無く、分かりやすいシンプルな言い方をすると、とても綺麗な人だ。


「あなたが橘理玖さんですね。娘がいつもお世話になっています」


「あ、いえ! こちらこそ娘さんにはとても助けられてます! どうぞ上がって下さい!」


「お邪魔します」


 リビングに有彩のお母さんを通して、有彩の部屋に。


「有彩、お前の母さんが来たんだけど……」


「えっ!? お母さんが!?」


 ガバッと音を立てて布団を跳ね除け、リビングに小走りで向かう有彩のあとに続く。


「有彩、久しぶりね……とりあえず顔洗ってきた方がいいわよ。髪もぼさぼさになってる」


「あ、はい!」


 どたどたと忙しなく洗面所に向かう有彩をくすくすと笑いながら見送るのを見てると、この人が本当に有彩の親なんだということを実感させられる。


「ごめんなさいね、そそっかしい娘で」


「いえ……有彩のお母さんは……」


「彩、でいいですよ。理玖くんに……こちらは、陽菜さん、で合ってるかしら?」


「はい、高嶋陽菜と言います! 有彩とは仲良くさせていただいてます!」


「2人とも有彩から聞いていた通りね。とても素敵な縁に恵まれたみたいでお母さん安心しました」


 なんか話してるだけで心が安らいでいく人だな……そりゃ有彩も性格良く育つわ。

 有彩が戻ってくるまでに俺たちは軽い自己紹介を済ました。

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