第17話 洗浄の意外な人
あの後。僕は一人で宿へ戻ったので、物ぐさ太郎と侍従の局がどうなったのか、知らない。と言うか、考えたくもなかった。
一晩たてば、さすがに物ぐさ太郎も帰ってくると思っていたが、一向に戻ってこなかった。代わりに宿にやって来たのは撫子で、
「あのような薄汚いままにはしておけないので、ただいま風呂に入らせて、下女二人で磨いております」
と説明された。
それからさらに待つこと七日間。再び撫子がやって来て、
「本日、ようやく洗いあがりました」
と告げられた。
豊前守様の屋敷を訪ね、物ぐさ太郎と対面させてほしいと頼むと、先日の局まで案内された。しばらく待っていると――。
上等な
きちんと
くすみ一つない玉のごとき肌の。
男は僕を見て軽く手を挙げ、ほがらかに
「おお、忠助。まだ都にいたのか」
誰だ、おまえ。
七日前の記憶と今現在の光景を結び合わせかねていると、侍従の局と撫子も入ってきて、物ぐさ太郎のそばに控えた。侍従の局は物ぐさ太郎を見つめながら、
「手をかけて洗った
と、うれしそうに
信濃への帰郷はどうするつもりなのか、とたずねると、物ぐさ太郎よりも先に侍従の局が答えた。
「そのような
事実と言えば事実だが、自分の故郷が見下されているようで、面白くはない。
当の物ぐさ太郎も、のんびりした調子で帰郷を否定した。
「ここにいれば、腹が減った時にすぐに飯にありつけるし、どれもこれも
悪かったな、貧相で。おまえに恵んでやってた食事は、僕たちが普段食べてるのと変わらない物ばかりなんだが。
それなら僕一人で帰る、と告げて、僕は屋敷を後にした。背後で侍従の局が、
「豊前守様も、あなたに会ってみたいとおっしゃってます。ぜひお会いなさいませ。そうして実力が認められれば、きっとそのうち、宮中へも招かれるでしょう」
と話しているのが聞こえたが、振り向く気も起きなかった。あの男を見張るために費やした何もかもが、もはや、どうでもよかった。
屋敷を出ると、僕は宿に荷物を取りに行き、そのまますぐに信濃を目指した。当然、一人で。
それゆえ、物ぐさ太郎があの後どうなったのかは、すべて
物ぐさ太郎と対面した豊前守様は、容姿の
あいつの評判は、次第に屋敷の外にも広まり、やがて宮中にまで伝わった。ご興味をお持ちになられた帝が、ぜひにも、と
それでも再三、帝の使者が「参内を」と要請したため、とうとう断り切れなくなった。大勢の
帝は歌二首を
「うぐいすの ぬれたる声の 聞こゆるは 梅の花笠 もるや春雨」
と詠んだ。
折しも梅の季節。宮中の梅も花盛り。うぐいすがその枝にやって来て、春を告げるように鳴いた――そんな光景を目の当たりにして、作歌したらしい。
帝は、
「そなたの居た所でも、あの花は『梅』と呼ぶのか?」
とおっしゃったが、それに対して、
「信濃には
と、歌で返答してみせた。
帝はたいそう感心され、
「これほど巧みに歌を詠むとは、相応の家の出に違いない。そなたの先祖はどのような者なのだ。申せ」
とおたずねになった。
物ぐさ太郎の答えは、あっけらかんとしたものだった。
「私には先祖などおりません」
それならばと、帝は信濃の
そこに書かれていたのは――。
ところが、その御子が三歳の時、二位の中将もその奥方もお亡くなりになられた。親の
帝はこれ以上ないほど驚嘆された。
「なんと。まさか、私と血筋を同じくする者であったとは」
このままにはしておけない、とお考えになった帝は、物ぐさ太郎を信濃の中将とし、甲斐と信濃の二国をお与えになられた。
物ぐさ太郎は侍従の局とともに信濃へ下り、御所を建てた。と言っても、信濃の中将の正体が、かつての物ぐさ太郎だと気づく者は誰もいなかったし、
あたらしの郷の地頭様は重臣として取り立てられ、実際の政を取り仕切った。食料を恵んでやっていた百姓たちにも所領が与えられ、これまでより豊かに暮らせるようになった。
そうこうしている内に、信濃の中将夫妻には何人もの子供ができた。これで
信濃の国は争いもなく穏やかな日々が続き、みんなが幸せに暮らし、信濃の中将の善政に感謝した――。
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