第14話 もぐりびと

 物ぐさ太郎がどこへ向かったのか――を考えた時、当然ながら女房の局が真っ先に浮かんだ。

 とは言っても、数ある局のうちのどれなのか、すでにその中に入り込んでいるのか、それとも外で様子をうかがっているのか、まったくわからない。とりあえず局のある建物まで来たが、どの辺りを探せばいいものか。

 この中のどの局なのかは、あいつだってわからないはずだ。それをどうやって探す気でいるんだろう。

 かたぱしから女房を呼び出してみる……いや、それではあっという間に不審人物あつかいされるだけだ。手当たり次第、局に忍び込む……これも危険性が高いし、手間も時間もかかりすぎる。

 とすると――僕はふと思いつき、建物の縁の下をのぞき込んだ。床の上は壁やら几帳きちょう(棒を二本立てて上部に横木を付け、布を垂らした物。部屋の間仕切りなどに使う)やらで区切られていても、下は所々に柱があるだけだ。

 僕は身を低くして縁の下にもぐり込み、局が並んでいる辺りを目指した。

 最初は薄暗さで見通しがきかなかったが、しばらくすると少しずつ目が慣れてきた。体をぶつけないように気を付けながら、うように進んでいくと――。

 いた。物ぐさ太郎だ。

 あいつが薄闇の中にしゃがみこんでいる姿は、正直なところ少々不気味だ。じっと身じろぎもせずにいるのは、隠れるためというより、床上の音に耳を澄ませるためだろう。

 この狭さと暗さだと、どうしても素早くは動きにくいが、それはあいつも同じはずだ。そうそう逃げられまいと思い、僕は呼びかけてみた。

「どの局にいるのか探って、その後どうする気だ?」

 物ぐさ太郎は僕に気づくと、ひそめた声で答えた。

「おう、忠助じゃないか。よく逃げられたな」

 少しもあわてず、悪びれてもいない。

 腹が立つのを通り越して、どっと疲れた。いくらかでも申し訳なさそうな態度が返ってくると、心のどこかで期待していた自分に、嫌気いやけが差す。

 物ぐさ太郎は僕の問うたことに、あっけらかんと答えた。

「どうするかなんて、決まってるだろ。信濃に連れて帰って、俺の妻にする」

 彼女の意向は……などと言っても通じないのは目に見えているので、やめておいた。

 その時、床の上から人の話し声が聞こえてきた。それも、聞き覚えのある声が。

「本当にひどい目にあいましたね、撫子なでしこ

「ええ、侍従じじゅうつぼね様」

 最初の声は、あの時の女房だ。この屋敷では「侍従の局」という女房名で呼ばれているらしい。それに対して返事をしたのは、おそらく一緒にいた下女だろう。こちらは「撫子」という名のようだ。

 侍従の局は深々とため息をつき、

「ようやく逃げ切れて、ほっとしましたが……もしもあの男がここまで追いかけてきたらと思うと、どうにも気が休まりません」

 と不安を漏らした。撫子はま忌ましげに、

「ご安心なさいませ。いくらなんでも、この屋敷には来られませんよ。あのような者のことで思い悩むなど、無駄などころか、心が汚れます。もうお忘れなさいませ」

 とさとしたが、それでも侍従の局は安心できないらしく、また小さくため息をついている。

 ここまで嫌がっているんだから、さっさとあきらめてくれればいいのに……と思いつつ、ちらりと隣りに視線をやると。

 すでに物ぐさ太郎の姿はなかった。

 ぎょっとして辺りを見回すと、物ぐさ太郎はすでに縁の下から抜け出すところだった。獣のように機敏きびんな動作だ。そして、あっという間にどこかへ行ってしまった。

 僕はあわてて後を追ったが、薄暗いし足がもつれるしで、うまく進めない。おまけに、頭を上にぶつけそうになる。もどかしい思いをしながら、ようやく縁の下を抜け出した。

 当然ながら、もはや物ぐさ太郎はどこにも見当たらない。だが、どこへ行ったのかは容易にわかる。

 先ほどの会話が聞こえた局がどこなのか、目で探していたら――。

 その局で、ガタガタと何かが激しく動き回っているような音が聞こえた。

 僕は急いでえんに躍り上がった。これはきっと、あいつの仕業しわざに違いない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る