第7話 示すべき範


 吉宗様からの命を拝領した俺達は、ダンジョンについての簡単な説明を受け、いくつかの資料を受け取って、そうして早速事に当たりますと江戸城を後にした。


 ダンジョンにいつ潜るのか、どれ位の頻度で潜るのか、何処のダンジョンに潜るのかは俺達の判断に任されていて……その判断は俺よりも数段頭の出来が良い、御庭番の頭脳担当であるポチが下すことになるだろう。


 そのポチは早速とばかりに、夢中でダンジョンの資料を読みふけっている訳だが……ポチのこの、興味深い本や資料を前にした時に見せる悪癖はどうにかならないものだろうか。


 そこに書かれた文字だけが世界の全てだと言わんばかりにのめり込み、声が届かないのは勿論のこと、何をしようとも何があろうともその場から一歩たりとも動かなくなってしまう。


 吉宗様の部屋でそうなってしまったポチを、俺は仕方なく抱きかかえて江戸城を後にした訳だが、ポチはそのことにすら気付かないまま、資料の中の世界にどっぷりと浸かり込んでしまっている。


 普段であれば俺に抱えられるなんてことは絶対に許容しないポチがこの有様……まったく本当に悪い癖だよなぁ。


 そんな風にポチを抱きかかえながら街道を進んでいると、資料を読み終えたのか正気を取り戻したポチがどすどすと俺の胸板を殴りつけてくる。


 口で降ろせと言えば良いだろうに、どすどすどすどすと拳を繰り出し続けてくるポチをそっと地面に下ろすと、ポチは居住まいを正し、きりりと表情を引き締め……何事も無かったかのような態度で声をかけてくる。


「……それで狼月さんは、ダンジョンに潜る皆さんにどんな範を示すつもりなのですか?」


「あん……? どんな? 

 どんな範を示すって……藪から棒にどういうことだよ」

 

「吉宗様は範を示せと僕達に命じましたが、具体的にどういう範を示せとは命じませんでした。

 ……吉宗様の性格から察するに、そこら辺のことは僕達が考えろと、そういうことなのでしょう。

 つまり僕達はダンジョンに潜るよりもその支度をするよりも先に、皆にどういう範を示すのか、その指針を定めなければならないのです」


「ああ、なるほどなぁ。

 吉宗様の名代としてどんな範を示すのかの指針、か……」


 行き交う人々の流れに沿って足を進めながら、そんな会話を交わした俺は……頭を悩ませながらゆっくりと視線を動かし、周囲の景色をじっくりと眺める。


 昼時が近づいたのもあって、江戸の街並みはどこも昼食の準備やら、外食をしようと飯処を探る客やら、その客を獲得しようという飯処の客寄せやらで活気づいていた。


 エルフ達がもたらした農学の知識により、田畑の収穫量が何倍にも膨れ上がった江戸の世では、そうやって昼食を取るのが当たり前となっている。


 豊富な食材と、味噌、醤油、エルフハーブを中心とした数多の調味料と、洗練された調理法で作り出される滋養と美味に満ちた食事。

 それを求めて人々は笑顔を浮かべ、あるいは口にしながら笑顔を浮かべ、早々と食べ終えたのか満足そうな笑顔を浮かべ……そんな笑顔の数々を眺めた俺は「うん」との一声をぽつりと漏らし、しっかりと頷く。


「……俺達が示すべき範は、ダンジョンから無事に生還すること、これに尽きるだろうな」


 頷くなりそう言った俺の顔を見上げたポチは、じぃっと俺の表情を見つめて……「なるほど」との一声と共に頷いてから声を返してくる。


「戦国の世はとうに終わった。

 死に花を咲かせるなんてのはもう古い、この江戸の世に無事に帰ってくることにこそ、真の価値がある……と、そういうことですか」


「ダンジョンに潜ることになる者達もまた、誰かの子であり父母であり、家族の一人であり、友人の一人なんだ。

 ……無闇無駄に命を落とし、誰かを泣かせるなんてのはこの太平の世に対する反逆みたいなもんだろう。

 ……それに、アレだ。生きて還らなきゃぁドロップアイテムも持ち帰れねぇからな」


「ああ、確かに。そもそもの目的がソレなんですから、死んじゃったら元も子もないですね。

 ……うん、僕もその指針には賛成です、無事に生還すること、これを第一の目標とし、皆さんに示す範としましょう」


 そう言ってポチは後生大事に抱え込んでいた資料をぱらぱらと捲り……その中身を改めて眺めてから、言葉を続けてくる。


「では、まず僕達がすべきは防具と旅具の調達からでしょうね。

 戦国具足や南蛮具足でも悪くはないのでしょうが、あれはあくまで対人、戦を考慮しての品物です。

 ダンジョンと、そこで相対する魔物達を意識した新しい形の防具を仕上げる必要があるでしょう。

 無事の生還を範とするならば、これには特に力を入れなければなりません。

 次に旅具。資料によるとダンジョンは……場所によっては攻略に数日を要することもあるとか。

 よって雨よけの外套やカンテラ、野営の道具に携行食に各種薬……これらも疎かにする訳にはいきませんね」


「ああ、そこら辺のことはポチの判断に従うよ。

 蓄えは十分にあることだし、それらの品を揃えるくらいはなんでもないだろう。

 ただ一から防具を作るとなると、職人の選定はしっかりやった方が良いだろうな。

 ……防具だ職人だに関しては親父が詳しいだろうから、家に帰り次第相談してみるか」


「……えぇ、それが良いでしょう。

 えぇっと、それでー、ですね。……狼月さん、その、少しばかりお金のことで相談があるのですが……」


 俺のことを露骨な上目遣いで見上げながら、なんとも歯切れ悪くそう言ってくるポチに、俺は半目と低い声を返す。


「……ポチ、お前まさか……蓄えを全くしてねぇのか?

 御庭番としてあれだけの給金を貰っているのに……?」


「しっ、仕方ないでしょう! 印刷技術が発展しつつあるとはいえ、それでも本は高価なものなのですから……!

 お給金が今の十倍あっても足りやしないのですよ!!」


「お前ってやつは……まったく。

 そういうことなら、読み終えた本を売ってしまえば良いだろうよ。

 写本なり暗記するなりしたら元の本なんか不要だろう」


「なー! なー! 何てことを言っているのですかアナタって人は!

 僕の大事な大事な本達を売るだなんて、まったくもって非文明的にも程があります!!

 この野蛮人! 筋肉頭!! 汗臭すぎてモテない男!!!」


「よぉーし、よく言った! この毛むくじゃらめ!!

 その喧嘩、買ったろうじゃねぇか!!

 家についたら道場で取っ組み合いだ! それで俺を唸らせたら金でもなんでも融通してやるよ!!」


 いきり立つ俺と、グルルと唸るポチはそんなことを言い合いながら、激しく罵り合いながら足を進めていって……そうして昼飯が出来上がったばかりの丁度良い時間に、我が家へと到着するのだった。





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