第4節 氷月は緋色の魔法使いに別れを告げる

 まるで一陣の風のごとく、リトとラァラをのせた天狼はあっという間に見えなくなってしまった。


 途中、リトがバランスを崩しかけていたような気もするが、あまり心配はしていない。

 言葉も流暢に話せるあたり人に慣れているだろうから、リトを落としはしないだろう。


 精霊なのにエルディスと駆け引きまでしていたし、もしかすると以前に一度人と契約を結んだことのある精霊なのかもしれない。


 ——と、そこまで考えてから、ロッシェは振り返る。

 口角を上げてドアを見つめていると、ゆっくりと開いた。


「負傷を押してご苦労様。二人ならもう行っちゃったよ?」


 部屋に入ってきたのは壮年の魔法使い、エルディスだった。

 いつものように緋色の長い髪を肩に流し彼は堂々と現れたが、足元は少し覚束ない。おかげで気配をすぐに察することができた。

 魔法かそれとも別の方法で治したのかよく分からないけど、顔色は蒼白であまり良くはない。

 それでも余裕の笑みを浮かべているんだから大した精神力なものだと思う。


 エルディスは部屋を見渡してから、ロッシェを見て首を傾げた。


「どこに行ったんだい?」

「ディア君を迎えに、かな。天狼のねぐらなんか、僕は知らないけどさ」

「確かにそうだろうね」


 知りはしないが、実のところロッシェには大体見当がついている。


 カルスタ砂漠の近くを住まいにしていたのなら、風がよく吹き荒ぶ岩山のどこかだろう。

 かれはおそらく風も熱砂による暑さも入り込まないような洞窟に、ラディアスを匿っているに違いない。


 当然人が住めるような環境ではないが、リトが向かったのなら彼を【瞬間移動テレポート】で治療できそうな場所に運び込むことも可能になる。病院とか。

 だが、よくよく考えてみれば、ラディアスは家出中の身だったか。

 まっすぐ医療機関に駆け込むのは避けようとするのかもしれない。


 万が一ごねるようだったら、今回は自分が動いてやろうか。ライヴァンには色々と伝手があるわけだし。


 頭の中で色々と結論が出たところで、ロッシェは目の前にいる魔族ジェマの男を見る。


「僕もそろそろ帰ろうかと思ってるけどね。あんたは、これからどうするつもりだい?」

「仕方ないね。今回は諦めるとしよう」


 今回は、という言葉に引っ掛かりを覚える。

 刺されて怪我までしたというのに、この男はまだ懲りないのだろうか。


「次回があるなら、今度は僕が仕事をするさ。目障りな相手を消すのは御手の物だからね」


 油断すると外に出てきそうな仄暗い感情を押し込め、ロッシェは不敵な笑みを浮かべた。


「君が私を殺すのかい?」

「お望みなら、いつでも参じるよ? 死に方くらいは選ばせてあげてもいい」


 リトが聞いたら、また慌てて自分を止めるだろうか。

 けれど生憎、この場には自分とエルディスの二人だけ。誰も止めようがない。


 笑みをそのままにして向こうの出方を見ていると、なぜかエルディスはやれやれと言わんばかりにひとつため息をついた。なんか腹が立つ。


「君はライヴァンの者だろう。幾らリトアーユの友人だからといって、そこまでするのかい?」


 何をいまさら。リトを追いかけて、ライヴァンの王城まで乗り込もうとしていたくせに。


「食われる前に食うのが裏世界のルールだからね。僕にとってあんたは危険な存在だ、って理由があれば、条件は十分さ」

「むしろ私は君が危険な人物だと思うけどね。一体どうやって息子と知り合ったんだい?」


 こいつにだけは言われたくない。

 ロッシェに言わせれば、今まで知り合った人物の中でエルディスが一番の危険人物だと思う。言葉が通じない時もあるし。


 胃のむかつきがぶり返してきたが、怒りをそのままぶつける気にもならない。

 口もとを緩め、怪訝な顔をしている緋色の魔法使いへ視線を向けた。


「僕と彼とは、運命的な邂逅を果たしたのさ。切っ掛けはあの雨滴る夜の森……って長い話になるけど聞きたいかい?」

「是非聞きたいね」

「ああ、でも生憎だけど僕には時間がないんだ。続きは今度ゆっくり話して差し上げるからさ、諸々終わったらライヴァンに来たまえよ」


 話し相手でも探しているのだろうか。

 けれどロッシェとしても、早くライヴァンに戻ってルウィーニに報告したいところだ。

 ラディアスの治療をどうするかも気になるし。


 そう思い、皮肉を込めて思いつきで提案したのだが、彼が乗り気になっているのには驚いた。


「じゃあ、そうしようかな」

「一同諸手を挙げて歓迎してあげるよ。ただ、僕はあんたの息子みたいに心が広くもなければ、優しくもないんだ。少しでも不審な動きをすれば、ついうっかり殺ってしまうかもね。その辺は了承頂けるかい?」


 腕を組み、微笑みながら凄んでみる。

 するとエルディスは肩をすくめ、青い顔でくすりと笑った。


「随分と警戒されるようになってしまったね」


 逆に、なぜ警戒されないと思った。

 自分の胸に手を当てて考えてほしいものだ。


「当然の帰結という奴さ。さて、まだ話し足りないのかな?」

「私は暇人だからね。これでも隠居している身だし」

「老後の暇潰しには園芸をお勧めするよ。じゃ、僕は帰るとするかな」


 もっとも、エルディスに園芸があっているとはとても思えないが。

 思い通りに成長しなければ、自分で何もかも燃やしてしまいそうだ。息子の家を灰にしてしまうくらいだし。


 ドアを開けて廊下に出る。

 ロッシェは人間フェルヴァーなので【瞬間魔法テレポート】を使うことはできない。移動手段は徒歩のみになってしまう。


 エルディスは追いかけては来なかった。


 さて、まずはライヴァンの王城に戻って報告したいところだが、歩いて帰るには遠すぎる。

 ここは【瞬間魔法テレポート】で送ってもらえるよう、ティスティルの知り合いに頼むことにしよう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る