第4節 狐の主治医と天狼の眷属

 数日後、エルディスが逮捕されたと報せが入った。

 兵を多く送り込むのではなく、女王はどうやら白き賢者を単身で行かせたらしい。


 身柄は地下牢へと収容され、肉親だけは面会できると兵士に言われたが、リトは会いに行かなかった。


 どうしても、まともに父の顔を見れる気がしなかったのだ。




 * * *




「リトー、さびしかったあ」


 この日、リトは朝早く起きてラァラと共に療養中のラディアスを訪ねていた。

 

 被害を届け出たり、事情聴取のため騎士団の詰所に通ったりしているうちに慌ただしく時間だけが過ぎていき、気がつけば一週間が過ぎていたのだった。


「もう、ラトったら。リトだって仕事に行けないくらい、この一週間すごく忙しかったんだよ?」


 腰に手を当て、ラァラは呆れた顔で養父を見、ため息をつく。

 だいたい娘ではなく、なぜ開口一番に自分の名を呼ぶのか。


「だってぇ、身体はあちこち痛いし怠いし。甥っ子には怒られるし……」

「それだけ家族に心配をかけていたってことだろ?」

「うう、そうなんだけど」


 三人は寝られそうな豪華なベッドに横になったまま、ラディアスはクッションのひとつを抱えている。

 死にかけたせいか、不規則な生活を送っていた頃の彼に戻っているような気がする。いわゆる甘えモードというやつだ。

 どうしようかなと考えつつ、リトはひとまず見舞い用に持ってきたリンゴを食べさせることにした。


 ベッドサイドに置いてある果物ナイフを借りて、するすると皮を剥いていく。

 身体を起こしてその過程を眺めながら、ラディアスはぽつりとリトの名を呼ぶ。


「なあ、リト」

「何だ?」

「リトとラァラって、どうやって生活してんの? 家、燃えちゃったんだろ?」


 そう。館は全焼し、炭と灰になってしまった。

 ウィントン家は代々、魔術師ウィザード精霊使いエレメンタルマスターを輩出する家系であり、当主は代々魔法道具マジックツール開発部の所長に就任する。つまり、領地を持たないので土地による収入はない。

 無一文でないだけマシだが、貴族なのに今は住む場所がない状態なのだった。


「ああ、俺も最初は本当に困った。別荘はライズに貸しているし、だからと言って本邸に住む気にはどうしてもなれなくてな。どうしたものかと考えていたら、女王陛下が生活を立て直すまでの間、しばらく王宮に滞在することを許可してくださったんだ」


 と、言ってみたものの、事実は少し異なる。

 銀行に金を預けていたのでしばらく宿で寝泊まりしようと思っていたのだが、女王に呼び出されそのまま半強制的に王宮滞在が決まってしまったのが事の顛末てんまつだ。

 「困ったことがあったらいつでも頼ってくださいと、わたくし言いましたわよね?」とあの黒曜姫が凄んできた笑顔は、かなりの迫力があった。


「女王さま、燃えちゃった教科書とか贈ってくれたんだよ。すごく助かっちゃった」

「ええっ、そうなの!? あとでナティにお礼言っとかなくちゃ」


 リトの隣で、ラァラはにこりと微笑む。

 翼族ザナリール一人で魔族ジェマだらけの王宮に寝泊まりするなんて、居心地悪く感じないだろうかと彼女を心配していたものだが、どうやら杞憂だったらしい。

 事件が収束してからは元気に学園へ通っているし、いつの間にか城仕えの女官たちとも仲良くなっているからびっくりだ。


「ラディアス、生きてるかー?」


 何の前触れもなく、カチャリとドアが開く。

 ノックもなしに部屋に入ってきたのは、初めて見る魔族ジェマの青年だった。


 袖の長い和国風の衣装に、ひだのついたズボン。いわゆるはかまというやつだろうか。

 前合わせの衣装の中には襟のないボタンつきのシャツを着込んでいて、首にはぐるりとショールを巻いている。


 パッと見た感じでは自分と同じ十代後半くらいの顔立ちで、短い金髪につり目がちなブルーの瞳。


 布にくるんだ荷物を抱えて、人懐っこく笑っていた。


「ん? なんだ見舞いの客が来てたのか」

「コウキぃ、リトとラァラがお見舞い来てくれたんだよー」


 抱き付かん勢いで甘えているところを見ると、懐いているのはラディアスの方かもしれない。

 それも彼の雰囲気が近づきやすいせいだろうけど。


 そういえば、とリトは思い返す。

 先日、謁見した時に、女王はコウキという医者を呼びに行かせていたっけ。

 ということは、彼がラディアスの主治医なのだろう。王宮付きの医者なんだろうか。

 それにしても口が悪すぎるような気もするのだが。


「良かったじゃん。だから言ったろ? ちゃんと家族が見舞い来てくれるって」

「うん」

「ヴァースだっているのに、こいつめちゃくちゃ寂しがってたんだぜ? おまえらも来てくれてありがとな」


 すがり付いてくるラディアスを引き剥がしもせず、コウキはマイペースに布の結び目を解いて荷物を広げる。

 中身は医療道具だったらしく、平たい袋の中から薬を取り出してラディアスに飲ませていた。手慣れたものである。


『コウキ君、診察ご苦労様。いつもすまないね』


 不意に、ぬっと窓から顔を大きな狼が顔をのぞかせる。

 思わず声にならない悲鳴をあげたリトだが、コウキは困ったように笑った。


「いつも言ってるだろ、ヴァース。窓は玄関じゃねえって。入り口はこっち」


 作業で手が塞がっているせいか、コウキはあごで部屋の扉を示す。

 天狼は困り顔で首を傾け、口を開いた。


『君たちの玄関は私には少々狭くてね。せめてもう少しサイズを広げてくれないだろうか』

「王宮で狭いなら、俺達にはどうしようもないぞ。ヴァース」

『おや、リト君。来てくれたんだね。それなら私もお邪魔するとしようか』


 目を輝かせてヴァースは人型になると、器用に窓を開けて入ってきた。

 この天狼、玄関から入る気はさらさらないらしい。


「相変わらずだな」

『君もね。コウキ君にはもう会っただろう? 彼は素晴らしい腕の医者なのだよ』


 ふさふさの青毛の尻尾を振って、ヴァースは機嫌良さそうに笑った。かれは日が経つにつれてラディアスが元気になっていくのが嬉しいのだろう。


「それは褒めすぎだっての。白き賢者に比べれば、俺の腕なんて大したことないぜ? そもそも俺はヨソモノなんだしさー」


 一通り処置は終わったらしく、道具を一箇所にまとめて布に包みぎゅうぎゅうと縛っている。

 言葉から察するに、やはり彼は他国からきた魔族ジェマなのだろう。


「もしかして、おまえは和国ジェパーグ出身じゃないのか?」

「ああ、実はそうなんだ。俺、妖狐の部族なんだよ。ジェパーグは鎖国中でまず外に出るのは難しいんだけど、医者の修行のために無理言って大陸に出てきたんだ。ティスティルに来てから職業斡旋所で仕事探してたんだけど、どこかでキツネだってバレちまったみたいで、王宮の仕事を紹介されたってワケ」

「妖狐の部族は狙われやすいからな」


 変化という幻術が得意な部族だったか。本性は九つの尾をもつ狐の姿で、ジェパーグにしかいないと言われている珍しい部族だ。

 おそらく個人情報を書類に記載した時に職員が気付き、王宮に通報したのだろう。

 王宮付きの医者として雇うという名目にすることで、黒曜姫は希少部族の魔族ジェマを保護したかったに違いない。


「リト、魔族ジェマでも狙われやすいひとっているの?」


 くい、と腕を引っ張られて見れば、ラァラが首を傾げて尋ねてきた。

 上目遣いの濃い藍色の瞳に見つめられ、思わずどきりとする。


「え、と……子供のうちはどの種族でも狙われやすいし、特に珍しい部族の魔族ジェマは大人になってからも標的にされることが多いな」

「そうそう。俺の従兄弟がいた村なんかは大陸からきた海賊に襲われて全滅。大人たちは殺され、子どもは一人残らず売られちまったって話だ。特に人前で本性トゥルースにならないよう、俺も気をつけてる」

「そうなんだ。ひどいね」


 悲しげに小さな肩を落とすラァラ。

 反対に、コウキ本人は人懐っこい笑みを崩さなかった。悲壮感を感じさせないところ、彼はリト達に気を遣っているのかもしれない。


「ま、故郷ではよくある話だからなー。でもさ、もしかしたら売られた先で生きてるかもしれないし、あんま悪い方向に考えねえようにしてるんだ。いつか再会できるかもしれねえじゃん?」

「そうだな」

「コウキ君のそういう前向きなところが私は好きだよ。狙われるといえば、リト君、私は君に渡したいものがあるんだ」

「え?」


 物騒な話の繋がりから、なぜ自分に話の矢が向くのか。

 はたと顔を上げると、ヴァースは大きな片翼を広げる。無造作に自身の羽を指でつまむと、満面の笑みでそれを引き抜いた。


「ちょっ……、ヴァース何やってんだ!?」

「大丈夫、痛くないよ? 私は風の天狼だからね」


 たしかに精霊には痛覚がないけども。

 にこにこと何でもないことのように天狼は言っているが、こちら側の気持ちをどう代弁したらいいものか。

 真剣に考え込んでいると、さすがのラディアスも慌てた。


「全然、大丈夫じゃないからね!? ヴァースが痛くなくても、俺達が痛いの!!」


 うん。ラディアス、ナイスだ。一番言いたいことを言ってくれた。


「ラディアスは大げさだねえ。私は意味もなく自分の羽根を引きちぎったりはしないさ」


 長い指でつまんだ蒼い羽根は、ヴァースの手から離れて宙に浮いた。

 思わず黙って見守っているとポンと音を立てて、蒼い小鳥に変化する。


「この子をリト君に贈ろうと思ってね」


 小鳥はピチィとひと鳴きすると、リトに向かって羽ばたいてきた。

 思わず目を閉じたが、なんともない。

 おそるおそる目を開けば、肩に小鳥が止まっていた。全然重さを感じないのが不思議だ。


「この子は私の眷属だよ。リト君になにか危険が及べば、すぐに助けを呼ぶといい。私は君のためならすぐに駆け付けるからね」

「それはありがたい話だけど。でも、もう俺に危険なんて……」


 元凶のエルディスが逮捕され、今は王宮の地下牢にいることはヴァースも知っているはずだ。

 一枚の羽根を犠牲にしてまで、なぜラディアスの守護以外にかれは力を使うのか。


 もしかして、ヴァースはこの先、リト自身に危険が迫ることを予感しているのだろうか。


「そんなこと言わずに持っていてもらえると嬉しいな。きっと、君の役に立つはずだから」


 にこりと笑って尻尾を振るだけで、天狼はそれ以上教えてくれなかった。


 体重を感じさせない小鳥が、リトの肩で再びピィと鳴いた。

 触るとふわふわしていて、そのへんにいる鳥とあまり違わないように見えるけど、多分この子も精霊なのだろう。


 ヴァースが何を心配しているのかはよく解らなかったが、小鳥が可愛く鳴くので、まあいいかとリトは考えないことにしたのだった。

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