第2節 おかえりなさい

 翌朝。リトはラァラやロッシェ、ライズを連れてティスティル王宮へと足を運んだ。


 魔法でいくらか回復したとは言っても、ラディアスが重傷の身体で歩くのは無理だった。今、彼はロッシェに背負われている。

 ロッシェ自らがラディアスを運ぶと請け負ってくれたのだ。

 実のところ、リトやライズと同じくロッシェも腕力には自信ないのだが、細身のラディアスなら問題なく抱えられるらしい。


 ティスティルの女王陛下に会うと言っても、王宮に行けばすぐ謁見できるというわけではない。


 相手は大帝国の女王だ。リトは貴族とはいえ、きちんとした手順を踏む必要がある。

 できることなら、すぐにでも謁見したいのが本音だが。


 まず外門にある警備隊の詰所へ行き、受付へと通してもらう。そこで渡される書類に記入して、女王の謁見を申し込み、客間で待つこと数分。

 緊急であることと、要件がラディアス絡みであることを伝えた甲斐があったのか、予想していたよりもずっと早く迎えが来た。


「リトアーユ様、ご用意ができました。皆さんで応接室までお越しください」




 * * *




 城の給仕係に席を勧められたリト達だが、少し考えてクッションをいくつか持ってきてもらった。

 楽な姿勢になれるようラディアスをソファに沈ませて、背中や腰のあたりにクッションを挟んでやる。

 顔色を確認するために目を合わせると、ラディアスは泣きそうな顔をしていた。


「リト、俺やっぱり帰るー」


 往生際が悪い。

 あまったクッションを抱きしめてまだ抗議している。


 深いため息をついてロッシェを見やれば、彼もやれやれと言わんばかりに肩をすくめた。


「ディア君、いい加減覚悟を決めたまえよ」

「そうですよ、ディア様」

「無理。むりむりむり! 覚悟なんか決まってないよー!」


 身体は動かないのに、口だけは元気である。

 頭を抱えそうになりつつも、リトは給仕係が淹れてくれた紅茶に視線を落とした。その時。


「お待たせしましたわ!」


 カチャ、と音を立てて入ってきたのは二人の少女だった。


 波打つ豊かな黒髪に、紫水晶アメジストの双眸。

 黒を基調としたドレスに身を包み、頭に飾られているのは水晶の飾られたティアラだ。

 リトよりも年下に見えるその少女こそ、ティスティル帝国の女王——通称、黒曜姫である。


 いつも落ち着いた雰囲気をまとっている女王は、少し焦燥にかられているように感じた。無理もないだろう。

 長年探していた兄がようやく見つかったのだ。


 しかし、こんな一大事な時でも誰かを伴って来たらしい。


 ちら、とリトは女王の背後に佇む姿勢のいい少女に、視線を移す。

 高く結い上げた蒼い髪に、意思のつよい青い瞳が印象的だ。

 男装に身を包み、帯剣しているところから見ても、おそらく黒曜姫の護衛も兼ねているのだろうけど。


 彼女は女王の姪、ジークリンド姫だろう。

 いつも護衛についている親衛隊を、なぜ女王は連れていないのか。ラディアスと関係あるのかもしれない。


「レジオーラ卿! どうしてここに!?」


 どうやらリンド姫とロッシェは知り合いだったらしい。

 王宮に知り合いがいるとの話だったが、彼女のことだったんだろうか。


「わたくしからもぜひお聞きしたいですわ、レジオーラ卿。所長、これは一体どういうことですの?」


 ふんわりとしたその笑顔を向けられて、リトはビクッと肩を震わせた。

 見た目はあどけない微笑みを浮かべる少女だが、黒曜姫が油断ならない人物であることをリトは知っている。

 黒曜姫とはここ数年どころではない、長い付き合いだ。加えて魔法道具マジックツール開発部は帝国が所有する、いわば女王の管轄。本来なら、女王はリトの直接的な上司にあたるのだ。


「リト君はもともと僕の大切な友人なんだよ。今回の件を彼に聞いて、立ち会ってみたくなってね」


 慌てる様子を見せず、ロッシェはそう言って柔らかく微笑んだ。


 嘘は言っていない。

 けれど、怪訝な顔をしているのを見ても、女王は納得していないだろう。


「お二人が知り合いだったなんて知りませんでしたわ。わたくしとしてはあなた方の関係についてお聞きしたいところですけど……、今はそれどころではありませんわね」

「その通りです、女王陛下」


 リトはまっすぐ黒曜姫を見る。

 部屋に入った瞬間から、彼女はソファでぐったりとしている兄へ、チラチラと視線を向けている。

 リトも女王も、用意された紅茶に手を出す様子はない。それほどまでに互いに余裕がないのだ。


「すぐに女王陛下に報せなかった咎は俺にあります。謝罪はもちろん、詳しい事情は後から必ずお話します。ひとまず、腕のいい医者がいる大きな病院を紹介していただけないでしょうか?」

「……ディア兄様の症状は重いのですか?」

「ライズの見立てでは重傷です。一刻も早く入院させた方がいいと思います。できれば、ラト……いえ、ラディアス様の安全が保障できるきちんとした施設がふさわしいと思いますが」


 エルディスはまだ野放し状態だし、またいつ狙ってくるか解らない。

 自分のことはまだどうにかなるかもしれないが、ラディアスは怪我人だ。できれば護衛を付けて欲しいところなのだが。


 と、頭の中で考えていた時。押し黙っていたラディアスが泣き出した。


「ひどいよ、リトぉ! 〝ラディアス様〟って、なんでそんな他人みたいな呼び方するんだよぅ。いつもみたいにラトって呼んでくれなきゃやだー!」

「えぇ……」


 クッションを抱きしめながら、ラディアスはめそめそ泣き始めた。これは予想外すぎる。

 仮にも王族である彼を、女王の前で馴れ馴れしく呼べるわけがないだろうに。少し考えれば解ることだと思うのだが、絶不調のせいか思い付きもしなかったようだ。

 首を横にブンブン振りながら、駄々をこねる様はまるで子どものようだ。姪っ子まで立ち会っているのに、それでいいのかラディアス。


「そんなこと、言われてもな。どうしよう」


 やっぱりラァラをライズの家に置いてきたのは軽率だっただろうか。ラディアスの精神面での安定にためにも、彼女を伴っていた方が良かったのかもしれない。


 リトは頭を抱えたくなり、ライズは八の字に眉を下げて困ったような表情をしている。

 ロッシェに至っては苦笑するだけ。

 完全に困り果ててしまった時。不意に、海のように深いため息が聞こえてきた。女王陛下だ。


 さらりと衣擦れの音が聞こえた。

 ドレスの裾を捌いて、黒曜姫が立ち上がる。

 厚い絨毯が敷かれたこの室内では靴の音がしない。


 俯いていたラディアスの顔が上がるのと、ほぼ同時。

 屈んで視線を合わせてきた黒曜姫は、兄の青灰色の瞳を見返した。


「う。な、ナティ……」

「もう! ディア兄様、どれだけ心配したと思っていますの!?」

「ご、ごめん」


 濡れた紫水晶アメジストの両目をまっすぐに向けられ、ラディアスは目を泳がせていた。

 謝ったきり口をつぐむ彼を、黒曜姫は睨みつける。


「謝って済む問題ではありませんわ。心配で心配で、ずっと探していましたのよ。やっと見つかったと思えば、こんなひどいボロボロの状態で。少しはわたくしの気持ちも考えてくださいませっ」


 潤んでいた女王の大きな目から涙がこぼれ落ちる。

 視線を逸らしていたラディアスも、さすがに焦燥した。


「ご、ごめ……」


 二度目の謝罪の言葉は、最後まで続かなかった。


 衣擦れの音とともに、ぽおんと手の中にあったクッションが絨毯の上に落ちる。

 黒曜姫の細腕がラディアスの背に回され、突然すぎたのか彼は固まっていた。


「良かった、です。全然良くないですけれど、ディア兄様が帰ってきてくれて本当によかったです」

「ナティ……」


 行き場を失った腕は震えていたが、ラディアスはおずおずと黒曜姫の背中に腕を回した。

 涙を流しながら身体を震わせる妹を抱きしめてようやく覚悟が決まったのか、ラディアスは目を細める。

 その青灰色の双眸は、迷いなんてなくなっていた。


「ただいま、ナティ。色々あったけどさ、俺、ようやくここに帰ってきたよ。紹介したい人もいるし、話したいこともたくさんたくさんあるんだ。また聞いてくれる?」

「もちろんですわ。でもその前に身体を治すことが一番ですのよ。当分の間は王宮で安静にしてくださいませ」


 腕を緩め少し離れてから、瞳を潤ませたまま黒曜姫は微笑んだ。

 艶やかな唇を開き、愛おしげに心を込めて、言葉を紡ぐ。


「おかえりなさいませ、ディア兄様」






 久しぶりの再会をリトやライズ、ロッシェは黙って見守っていた。

 離れていた期間はとても長かった。家族との時間に水を差したくなかった。


 とはいえ、ラディアスにとっての試練はこれからだろう。

 親族からは当然説教を受けるだろうし、ラァラのことを説明しなくてはいけない。当分は王宮から出られなくなるから、三人一緒に暮らせなくなってしまう。

 寂しくないわけではないが、これもラディアスのためだ。


「所長、ディア兄様を連れてきてくださりありがとうございました。ひとまず城付きのお医者様に腕のいい方がいらっしゃいますから、王宮内で治療することにしますわ」


 気持ちが落ち着いたのか、先ほどと同じように女王はソファに腰をかけ、ふんわりと微笑んでいた。

 目もとや鼻が赤くなっているが、彼女の両目はもう濡れていない。


「そうですか、解りました。俺から言うのも変な話ですが、ラトのことをよろしくお願いします。あ、でも、カミル様にだけは診察させないでください」

「当たり前ですわ! 誰のせいでディア兄様が出て行ったと思っていますの!? 厳重な警備をいて、絶対に会わせないようにしますわ」


 それは安心だ。というか、やっぱりラディアスが家出をしたのはカミルが主な原因らしい。

 何はともあれ、これで彼の安全は確保することができた。

 あとは自分のことを考えればいい。すべきことは色々あるけれど、リトの気持ちは晴れやかだ。


「女王陛下、急な謁見にも関わらずお時間を取ってくださり、ありがとうございました」


 謝意と共に頭を下げる。

 さて退出するかと腰を浮かしかけた時、「お待ちくださいませ」と女王に引き止められた。


「あの、なにか……?」

「リンド、兵を呼んでオルト兄様に伝言を頼んでくださらない? 客室をひとつ用意することと、コウキ様を至急その客室に向かわせること。そして部屋が用意でき次第、すぐにディア兄様をその部屋にお運びすることですわ。伝言が終わったらすぐに戻ってきてくださいね」

「解りました!」


 リトを見事なまでにスルーして、女王はテキパキとリンド姫に指示を与えていく。

 リンドは素直に頷き、すぐに部屋を出て行ってしまった。

 女王は姪が走り行く姿を見送ったあと、ゆっくりと向き直ってふんわりと微笑む。


「さて。所長、レジオーラ卿、まだ話は終わってませんのよ。特に所長、あなたには聞きたいことが山ほどありますもの。詳しいいきさつを、今、説明してくださいますわよね?」

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