第4節 精霊への願いごと

「成程。確かに、隣の彼は起きたようだね。でも、この部屋は狭くていけないな。もう少し部屋のサイズを広げてくれないかい?」


 隣の彼というと、もしかしてロッシェのことだろうか。

 発作で倒れてからのことをリト自身なにも知らない。解ることといえば、気がつけば客間らしきこの部屋のベッドで寝かされていたということだけ。

 あれから一体、どうなったのだろう。自分がここにいる限りおそらく二人とも無事だろうが、心配をかけてしまったに違いない。


 色々考えたいことはたくさんあるのに、思考が働かない。というよりも、息が詰まる。


「人型になれないのか。それより、上から降りてくれ。……苦しい」

「おや、これは失礼」


 言葉を返された後、身体にかかっていた重圧が消えた。

 怠さを感じる身体を無理やり起こして確認すると、そこには窓から差し込む月明かりに照らされた、巨大な狼の姿があった。


 大きな三角耳の持つ、青い毛並みの狼だった。そして予想通り、その背には大きな両翼が生えている。


 ——もしかして、中位精霊の中でも稀に見る天狼てんろうだったりするのだろうか。


 ふとそう思った時、狼の声が脳内で直接響く。


「そうだね、しばらく人の姿を取っていなかったから、忘れていたよ」


 突然、狼の姿が光に溶ける。光は形を変えて霧散した後、かれはリトの勧めを受け本当に人の姿へと変化していた。


 背の高い、若い男の姿だった。くせのない紺青の長い髪を背に流して、楽しげに笑いながらリトを見つめている。

 薄い布地の長衣というシンプルな服装で、肩ごしには大きな青色の翼が見えた。時たま揺れる絹のような光沢を持つ長い尻尾も青色だった。


「俺に何か用があるのか? おまえは精霊なのだろう?」


 精霊と会話するのは、魔術師ウィザードであるリトにとっては日常茶飯事だ。普段の相手は下位精霊の闇鴉シェードだが。

 ついいつもの調子で返してしまったが、天狼は気を悪くしなかったらしい。

 にこりと笑って、つった藍晶石ディスティーンの瞳を細める。


「いかにも、私は風の天狼だよ。君の記憶を取り戻しに来たのだけど、もう呪いは解けているようだね」

「うん、そうだけど」

「まあ多少は抜け落ちていたようだったから、ついでに散らばった記憶は拾っておいたけれど」


 だからあんな悪夢を見たのか。


 頭を抱えたくなったが、リトは思い直して納得する。


 本当に、天狼だった。

 たしかに風の中位精霊であるかれならば、【忘却の風アムネジア】で飛ばされた記憶をかき集めることは可能だし簡単なことだ。


 辛い記憶でしかなかったし、もしかしたら魔法をかけた張本人セリオは思い出して欲しくなかったかもしれない。

 けれど、リトはぜんぶ思い出せて良かったと思っている。


 それにしても、稀少な中位精霊である天狼が、なぜ縁もゆかりもない自分の呪いを解きに来たのか。


 胡乱げに天狼を見上げると、かれは尻尾をブンブン振って機嫌良さそうな顔で、口を開いた。


「仕方ないな。代わりに何か願いごとを叶えてあげようか?」


 それは一体、何の代わりなのか。

 疑問に思わなくもなかったが、リトは思わず考え込んでしまった。


 願いたいこと。もし叶えてもらえるのなら、ひとつしかない。


「安否の判らない友……いや、家族がいるんだ。もしかしたら死んでしまっているかもしれないが、この目で見たわけじゃないからいまだに信じられなくて」

「安否を知りたいのかい? それとも、捜してきて欲しいのかな」

「生きていたら、捜して欲しい」


 膝の上にのせた手を強く握り、うつむく。

 すると天狼は穏やかに微笑んで首肯した。


「ふむ、了解だよ。国名とフルネームを教えてくれたまえ」


 顔を上げ、迷いなくリトはその名を告げる。


「ティスティル帝国のラディアス」


 聞いた直後、天狼は瞳を細めにんまりと笑った。


「ふふん。この願いごとはカウント無しだね、残念だ」

「え」


 どういうことなのか。

 心話ができるかれにはリトの言いたいことが伝わったのだろう。腕を組んで、パタリと長い尻尾を振る。


「私を遣わしたのは、ラディアスだ。彼は面白いコだね。自分の命が覚束ない状況で、助けを願うのではなく君の記憶を取り戻すことを願っていたよ」

「ラトは無事なのか」

「私は人族の造りについては詳しくないので、上手く説明は出来ないのだけどね。大丈夫、生きてはいるよ。ただ、今の彼を見るのは君にとって辛いことかもしれないな」


 それは、そうだろう。

 砂漠に一週間ほどは放置されていて、しかも身動きができないよう呪いまでかけられていた。


 でも生きていた。天狼と意思を通わせられているみたいだし、たぶんかれがラディアスを助けてくれたのだろう。


 風の天狼は、たしか自由と破壊を司る中位精霊だったはずだ。

 回復魔法は得意ではないだろうに、かれはかれなりにできる範囲でラディアスに治癒を施してくれたに違いない。


 と、そこまで考えたら胸が熱くなった。感謝を込めて、リトは天狼に向き合い頭を下げる。


「そうか。ラトを助けてくれて、ありがとう」


 精霊だからなのか、気持ちが伝わったらしい。

 ブンブンと尻尾を振って天狼は嬉しそうに顔を綻ばせた。


「私は差し出されたものを受け取っただけだよ。はて、他に何かないのかな」

「思い付かないから保留にしておく」


 ラディアスの件以外で精霊の助けを借りる必要を、今はあまり感じられなかった。


 とりあえずラァラは無事だろうし、完全に巻き込んでしまっているロッシェに関してはあまり心配はしていない。

 自分が目を離した隙にエルディスと衝突しなければ、の話だが。


「ふむ、それでもいいよ。ならば私は、もうしばらく君に付き合おうか」


 付き合う、ということは、しばらく自分の近くにいるということか。


 一瞬、不安や心配がよぎったリトだが、父とて精霊使いエレメンタルマスターの一人だ。

 性格に難ありとはいえ精霊に危害を加えることはないだろう。たぶん。


「わかった。俺はこれでも病み上がりなんだ。だからもう寝る」


 怠さが残るし、早く寝ないと朝がやってきてしまう。

 布団に潜り込んだら、天狼が近くまで寄ってきて顔を覗き込んできた。


「子守歌を歌ってあげようか?」


 天狼って歌うのか。初めて知った。

 いや、そうじゃない。


「歌なんて歌ったら聞こえてしまうじゃないか」

「そうかい。ならばこれもまたの機会にだね。私は番をしているよ、おやすみ」


 親が子どもにするように、大きな手のひらで撫でられる。

 いささか釈然としないながらも眠気が一気に押し寄せてきて、リトはそのまま意識を闇の中へ沈ませたのだった。

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