第2節 近況報告と仕事の埋め合わせ

 リトとロッシェを迎え入れたライズは、二人をリビングルームに通してくれた。

 家の中にいるのはライズ一人だけで、ティオは仕事らしい。


 勧められるままにソファに座ると、彼は棚からカップを取り出して温かい紅茶を入れてくれた。


「俺が留守にしていた七日の間、何もなかったか?」


 向かい側に腰を下ろしたライズに、リトは早速話を切り出す。

 彼は少し考えるように眉を寄せていたが、返ってきたのは予想通りの言葉だった。


「リトの親父さんが研究所に来たよ」


 頭が痛くなった。

 まあ、行かないはずがないとは思っていたのだが。


「大丈夫だったのか?」

「【銀酒シルヴァリキュール】で追い返した。オレの身より、親父さんの身が危なかったけどさ」


 そういえば、ライズは自衛のために【銀酒シルヴァリキュール】を個人で購入し、抗薬と一緒に普段から携帯していたんだったか。

 酒と名が付いているもののそのアイテムは麻痺の効果がある薬で、相手がどんなに屈強な戦士でも昏倒させることができる。だからエルディスを警戒したのだろう。

 おかげでライズに何もなくて良かったが、父の身が危なかったという言葉がリトの頭には引っかかった。


「どういうことだ?」


 首を傾げて尋ねると、ライズは口を引きつらせながら苦笑する。


「スティルが死神の鎌デスサイズ構えて首狙ってたぜ。レイゼルも明らかに殺る気だったし。流血沙汰になったらどうしようかと冷や汗ものだったよ、オレ」


 それは、あらゆる意味で心臓に悪そうだ。


 名誉顧問により行動と魔法を制限する呪いをかけられてはいるものの、レイゼルは剣がなくても腕っぷしは強い。

 新人のスティルは感情を表に出さず一見するとクールには見えるが、実はものすごく短気で激情家だ。彼の放つ殺気はそばで見ていたライズも恐ろしかっただろう。


「その二人の気持ち、僕もよく分かるね」


 すかさず、隣に座っているロッシェが笑って言った。

 あえて突っ込まず黙って聞き流していると、青灰色の目を瞬かせてライズがぽつりとつぶやく。


「……なんだ、親父さん敵ばっかりじゃないか」


 たとえ周囲に敵ばかり作っていても、当の本人は平気な顔で笑って、さらに相手の怒りを煽る。

 そんなエルディスの姿が目に浮かび、リトはますます頭が痛くなるような気がした。


「命のやり取りだけは勘弁してくれ」

「それはオレも同意。それより、オレはディア様が心配なんだ。リトはこれからどうするんだ?」

「俺は本邸に行こうと思っている」


 それは、もうすでにリトが決心したことだった。

 即答すると、当然ライズは目を見開いて叫ぶ。


「ええ!? それは無茶だろ!」

「僕もそう言ったんだけどね。彼、ほら猪だから」


 ロッシェの視線を感じ、リトは彼を軽く睨んで負けじと言い返す。


「俺は猪じゃない」

「ああ、間違えた。迷子の子ガラスだったね」


 カラスって何だ。

 彼とはかれこれ七年の付き合いだが、ロッシェの思考はすっ飛んでいるのか、このような不可解な発言にはいまだに驚かされる。


「何の話だ?」

「そんなのどうでもいいよ。リト、作戦あるのか?」


 真面目な顔してライズが尋ねてきた。

 少し逡巡しゅんじゅんしてから答える。


「ないけど……」

「ダメじゃないか。また記憶を封じられるか、【制約ギアス】をかけられるだけだろ」


 正論を言われて、リトはぐっと言葉を詰まらせる。

 渋面の顔を作っていると、ロッシェは口もとだけ笑みを浮かべた。


「ああ、その辺は安心してくれたまえ。そうなったら、僕が術者を殺るからすぐに解けるだろうよ」


 結局、彼は諦めていなかったらしい。

 ライヴァン王城でルウィーニと話していた時も退く様子はなかったし、今さらリトがいくら言ったって聞き入れてはくれなさそうだ。


「だから、犯罪はやめてください」

「合法的なら問題ないだろう?」

「問題大ありです」


 生真面目にライズが言い返すと、彼は紺碧の瞳を向ける。


「やれやれ、君といいリト君といい、甘すぎて呆れてしまうよ」

「だから、話を脱線させないでくださいよ。リト、本当に何も手札なしで行く気なのかよ」


 再び、青灰色の瞳がリトへ向く。

 目をひとつ瞬かせ、ため息混じりに口を開いた。


「丸腰で行くわけがないだろう。俺の剣は本邸に置いてきてしまったし、一度武器を別宅にまで取りに行こうと思ってたんだが家ごとなくなってしまっていたんだ。だから、とりあえずおまえのところに来たんだけど」

「え!?」


 目を大きく見開いて、ライズはまるで信じられないものを見たような顔になった。

 無理もない。リト自身も最初は頭が真っ白になって、信じられなかったからだ。


「いつやったかは分からないけど、エルディスが燃やしたんじゃないか?」

「燃やした!?」

「焼け跡になっていたからな」


 色々言葉を探したものの、結局はそれしか思い浮かばず。

 事もなげに言ってみせると、ライズは瞳を大きく揺らし眉を下げる。


「じゃあ、リト。住む場所もお金も食べ物も服も何もないんじゃないか」

「まあ、そういうことになるな。……食べ物がないのは切ないけど」

 

 なくなってしまったものはもう戻ってこないのだし、仕方ない。


 けれど、食べ物がなくて空腹になるのは、どうしてかひどく辛いことに思えた。

 これも記憶が戻った反動なのだろうか。


「そんなこと言ってる場合じゃないだろ。とにかく、必要なお金くらい工面してやるから。買わなきゃないもの、何があるんだ?」

「剣だな。本当は個人で作り置きしていた魔法道具マジックツールも取りに行くつもりだったけど」

「作り置きって何だよ!? また着服か?」


 言ってから、しまったと思う。

 余計なことを口走ってしまったかもしれない。


「突っ込むところ、そこかい」


 実のところ、着服はあながち嘘ではない。

 しかし今ライズにそれがバレると余計に話がこじれて、脱線する。軌道修正しておかなければ。


「細かいことは気にするな。今はそれどころじゃないだろ」

「ぜんぶ終わったら、きっちり問いただしてやるから覚悟しとけよ。とりあえず、あるだけお金渡しておくから」


 ライズはそう言って、ジャケットの内ポケットから財布を取り出し、ありったけの金をそのままリトに突き出してきた。

 豪快な渡し方にやや不安になり戸惑ったリトだが、とりあえず好意に甘えて受け取ることにした。

 

 初めから頼るつもりでライズの家に来たものの、実際にこうして助けてくれる彼には頭が下がる思いだ。


 以前、この友人は着の身着のままで実家を追い出され、使用人も誰もいない中で以前よりも生活水準を下げざるを得なかった。

 便利なものが多い帝都から離れ、慣れない二人だけの生活。

 幸い二人とも研究所の職員で定職に就いていたから金銭面では苦労しなかったが、それでもゼロから始まった新生活だったので、最近になってようやく生活が安定してきたというのに。


 彼には感謝してもし足りない。


 今のリトは何も持っていない。

 住む場所さえないが職を失ったわけではないし、過去に罪を犯したエルディスから爵位を取り上げられるなんてことは、絶対にできない。

 それができるのは主君であるティスティルの女王だけだ。まあ、なんとかなるだろう。 


 給金が入ったら、ライズには早く金を返してやらなければ。

 生活資金を削ってまで、助けようとしてくれようとしているのだから。


「ありがとう。なるべく早く返すよ」

「家賃に回してくれればいいよ。他にも必要なものあるのか?」

「今のところ、大丈夫だと思う。大切なものも奪われなかったみたいだしな」

「大切なもの?」

「飴玉」


 それは実のところ、エルディスのもとへ向かうためにも必須のアイテムだった。


 記憶が戻った時、思わずアクリル製の小瓶を探したがちゃんと上着のポケットに入っていてホッとしたものだ。

 それは飴という形状をしているが、歴とした症状を緩和させる薬だ。

 持病がある身の上では必ず携帯しておくべきものだと、リトは思う。


 なによりもラディアスが自分のために、心を込めて作ってくれたものだから。


「そっか、良かったな。リト、【銀酒シルヴァリキュール】持っていくか?」


 ふと考えて、リトは顎に手を添える。


 値は張るが、【銀酒シルヴァリキュール】は麻痺薬だけでなく、使い方次第では鎮痛剤としても使うことができる。

 万が一、窮地きゅうちに陥った時などはおそらく役に立つことだろう。


「俺としては助けるけど、おまえのを借りることになるぞ?」

「リトが行けば、あの人オレのところには来ないだろ。抗薬と一緒に渡しておくから、落とさないように気をつけろよ」

「うん、解ってる」

 

 ジャケットから取り出した三日月型の瓶と薬が入った紙袋を受け取って、リトはポケットに突っ込む。 


「食事は? 何か食べてきたのか?」

「ああ、ライヴァンで少し食べてきた」


 まるでどこかの母親のようだなと思い、リトはくすりと笑う。

 家はなくなったし、ラァラやラディアスを取り戻さないといけないというのに、なぜかライズと話してると心が落ち着いてくる。


「他にオレがしてやれることってある?」


 純粋な気遣いに、リトは嬉しくなった。

 彼のことだから少しでも手をかしてやりたい、と思ってくれているのだろう。


 それにしてもしてやれること、か。

 実のところ思いつかないわけではない。

 さっきから頭の隅でずっと引っかかり、膨れ上がり続けている大きな不安があるのだ。


 仕事熱心で責任感のあるライズには、特に言いにくかった。

 けれど、自分の及ぶ力の範囲にも限界があるし、打ち明けた方がいいのかもしれない。

 

「……実は、言いにくい話なんだけど」


 眉を寄せてリトはおそるおそる切り出す。

 もごもごと口を動かす動作を不審に思ったのか、ライズは首を傾げた。


「なんだよ? 着服の告白?」

「違う。作りかけのまま期日が迫っている依頼品があったんだけど、手間がかかる魔法道具マジックツールだったから持ち帰って作業していたんだ。それが——」

「別宅と一緒に燃えちゃったのか!?」


 さすがライズ、察しがいい。

 それだけにリトはますます申し訳ない気持ちになる。


「それが、俺は気がかりでいたんだけど」

「誰の、何という依頼の品か分かるんだろうな!?」


 さすがに、眉をつり上げるライズの瞳には焦りが混じっていた。


「問題ない。全部記憶してある」

「書類にしてないのか?」

「書類は、所長室の鍵つきの引き出しに保管してある」


 おそらく、次長であるライズなら分かるはずだ。

 鍵は研究所で厳重に管理しているし、鍵がついた引き出しはひとつしかない。


「素材は? すぐに入手できるものなのか? 開発室に予備あるだろうな?」


 次々と質問を畳み掛けられ、リトは記憶をめぐらせる。


「あると思う。素材は結晶石と光の魔石で、術式はもう完成していて書類に書いてある」


 一番手間がかかり、リトでないと着手できなかった理由はこの術式が原因だった。

 ティオはリトと同じ魔法道具マジックツールの部門ではあるものの、まだ術式を編み上げるほどの技量はないし細かい作業も苦手だ。

 ライズは幻薬の部門で専門外になってしまうが、素材を加工しリトが編み上げた術式を書き込むだけだし、彼の腕なら十分やれるだろう。


「……分かった。なんとかする」

「ごめん。迷惑をかけるな」

「おまえのせいじゃないし、仕方ないよ。……でも、腹立つ」


 きゅっと眉を寄せたまま、不機嫌な顔でライズが言った。


 リトとしても、彼の気持ちが解らないわけじゃない。

 完成した術式のデータは燃えなかったから良かったものの、丁寧に加工していた依頼の品がすべて煙と炭になってしまったのだ。

 今までの作業時間が無駄になってしまったと思うと、虚無感を覚えた。

 

「君ら、今はそう言うことを話している状況かい?」


 仕事の話に半ば置いてきぼりな状況になっていたのか、ロッシェが突っ込みを入れてきた。

 するとライズがすぐさま反応して言い返す。


「こっちはこっちで重要なんですよ!」


 全然笑える状況じゃないのに真剣に怒る姿が彼らしくて、リトは思わず吹き出してしまった。

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