第3節 過去をたどる旅へ

「まったく、本当にきみって奴は」


 腕組みして立ったまま、苦い顔でそう言葉をこぼしたのはルウィーニだった。

 対するロッシェは彼に睨みつけられても悪びれている様子はない。椅子の背もたれに身体をあずけ、足を組んで機嫌良く笑っている。


 そして渦中の魔族ジェマ青年は中身がきれいに片付けられた食器を前に、そんな大人たちのやりとりと静かに聞いている。


 その三人から離れた扉の付近に佇み、セロアは傍観者の立ち位置で様子を観察していた。


 そもそも、朝から何も飲み食いしていないであろうリトに食べさせてあげたいと、客間から彼を連れ出したのはロッシェだった。

 積み上がっている食器を見るにたしかに食事はしたようだが、リトの両眼は赤く濁っていて、鼻や頬もほんのり赤くなっている。明らかに泣かされた痕だ。


「見知らぬ場所、それも他種族国家で、見知らぬ大人に囲まれて不安がっている子を、普通泣かすかな? 一体何をしたんだい」

「何もしていないよ、心外だなぁルウィーニ。僕はただ彼に、僕は君の味方だから安心したまえよ、と言い聞かせていただけさ」


 ロッシェの斜め向かいに座るリトは、その説明にこくりと小さく頷く。

 おそらくそれがすべてではないだろうが、問い詰めた所でははぐらかされるだけだとセロアは予想する。ロッシェ=メルヴェ=レジオーラという人物は、つまりそういう人間だ。


「まぁいいよ。リト君も、これだけしっかり食べれば幾らか気分が落ち着くだろうし、……ちゃんと記憶が戻ればいいわけだしね」


 言いたいこと諸々をため息に混ぜて吐き出したのか、ルウィーニは諦めたように話を終わらせる。

 実際、時間は一刻でも惜しい状況だ。

 ロッシェ相手に反省を促してもそれこそ時間の無駄だということは、付き合いの長いルウィーニもよく解っているわけで。


 本題に入ろうかという雰囲気を察したのか、ロッシェの表情も変わる。

 椅子から立ち上がりリトのそばへ近づいて、彼の手を取って立ち上がらせた。


「行こうか、リト君。これから君は、君自身の過去を辿る旅に出ることになる。不安はあるだろうけれど、ルウィーニも僕もちゃんとサポートしてあげるから、大丈夫さ」

「……うん、解った」


 こういう時は父親の顔になるんですよね、と内心苦笑しながら、泣き疲れと食後の眠気でほわんとした表情になっているリトを、セロアは黙って観察する。

 少なくとも、ロッシェに対する恐怖や不信はいくらか和らいでいるようだ。


「それじゃ、行こうか」


 ルウィーニはそう言って、さり気なくロッシェの手からリトの手を外すと、自分で引いて連れて行ってしまった。

 ロッシェはそれを阻止するわけではなかったものの、離れ去るルウィーニの後ろ姿を見送りつつ肩をすくめる。


「横取りされてしまったよ。先生、あれをどう思う?」

「当然の流れじゃないですか?」


 突っ込んで欲しいのだろうと解釈し、そう笑顔で答えたら、曲者くせもの保護者はさも心外だという風に腕を組んで片眉を上げる。


「だってさ、皆甘やかしすぎだと思わないかい? 彼は子どもじゃないんだからさ」

「記憶の加減によっては、子どもと変わりませんよ」


 たぶん彼は解って言っているのだろう。

 他人の心情には過剰なほど聡いロッシェのことだ。解った上で、あえて特別扱いせずにいるのだろう、と思う。

 それが裏目に出るのも相変わらずいつものことだし、自分がどうこう説教するまでもないのだ。


「……アレは、人脈全部のを盗られたんだろうね」


 ふ、と落ちるような呟きをもらし、ロッシェは小さく笑う。

 その瞳に封じられた痛みか怒りか――つかめない冷たさを垣間見た気がして、セロアは胸が痛む気がした。


 今さらながら、リトと一番付き合いが長く親しいのはロッシェなのだ。自分やルウィーニは彼を通じて知り合ったにすぎない。

 一見すると非常に解りにくいのだが、ロッシェだって彼のあの様子に動揺していないわけがないのだ。


「いえ、記憶は彼の中にありますから。扉を開ける意志と勇気さえあれば、きっと大丈夫ですよ」

「ああ、そうだね」


 短く交わしたやりとりに、祈りを込める。


 たしかに、過去をたどる旅という言い方がふさわしいだろう。

 単純な解呪ではないから、記憶を取り戻せるかどうかはリト自身の意志次第なのだ。

 幾日かかるか解らなくても、ルウィーニとロッシェは彼の旅に付き合うつもりなのだろう。


 折角だし、セロアも立ち会うつもりでいる。

 関わる者が幾らかでも多く成功を祈ることでより最善の結果を得られるのだとしたら、協力することにやぶさかではない。




 * * *




 リトがかけられた呪いは光の高位魔法【忘却フォーゲット・セルフ】だろう、というのがルウィーニの見立てだ。


 この魔法は対象の記憶を封じてしまうもので、記憶を盗んだり消し去るものではない。

 だから記憶はまだリト自身の中にあるわけなので、まだ望みはある。


 儀式、というのは便宜上の言い方だ。

 このためにと用意された部屋に仰々しい魔方陣や術具などは一切なく、ベッドが一つと椅子が幾つか、棚の上に水差しが置いてあるだけで、普通の客間と何ら変わりはない。


 寝間着に着替えさせられベッドに座るリトは、やはり不安げに周囲の大人たちを見上げている。

 ルウィーニがその彼の頭をぐいぐいと撫でて、穏やかに笑った。


「今から詳細を説明するから、心配しなくていいよ。リト君、きみは、精霊や魔法に関する知識は失っていないのだよね?」

「うん、そうだと思う」


 答える彼にうんうん、と頷いて、ルウィーニはリトの前にしゃがみ込み、視線を合わせてゆっくりと話し出した。


「きみはこれから夢を介して、きみ自身の過去を辿っていくんだ。きみの記憶はきみの中に在り、別個に閉じ込められて外に出せない状態になっている。それを、一つ一つ開いて、解放していかなくてはいけない。……解るかな?」


 扉を開いてゆく、というイメージだとルウィーニは語っていた。


 無数の扉を開き、その先で出会う光景がつまり、過去の記憶ということなのだろう。

 それはたしかに幾日かかるか解らない、気の遠くなるような工程だ。


 リトはリトなりに理解しようと思考したのだろう。

 しばしの沈黙の後、こくりと頷く。


 ルウィーニは柔らかく微笑み、言葉を続けた。


「そうは言っても、きみはきっとどこから始めたらいいのか、途方に暮れてしまうに違いないからね。道案内をつけてあげよう。……紹介するよ、彼はクレストルという」


 その呼びかけに応じて、部屋の中に光が生じる。

 真白い輝きが輪郭をかたどっていき、そこに現れたのは額に一本の角を頂く鹿に似た獣、ユニコーンだった。

 背には光り輝く翼、藍の瞳には理知的な光がたたえられている。


如何いかにも、われ道征みちゆきに伴おう。我が名はクレストルという。なんじの望みを叶える為、われなんじに手を貸そう』


 驚きで目を丸くするリトと、なぜか複雑そうな顔でユニコーンと距離を取るロッシェ。

 ルウィーニはその狭間に立って、不敵に笑う。


「きみの記憶はきみ自身の財産だ。我々はきみがそれを取り戻すため、持てる力を尽くして手を貸そう。だから、怖がらず行ってきなさい」


 大きなてのひらがリトの頭を撫でる。

 続けて彼の口から唱えられる魔法語ルーンは、聞き覚えのない響きの言葉だった。


 優しく響く子守歌に似た旋律に、リトの瞼がゆっくりと落ちてゆく。


 身体から力が抜けて崩れ落ちそうになるのを、ルウィーニは抱きとめ、そっとベッドに横たえた。


「きみの幸運を祈っているよ」


 ささやくように言ってから、リトの身体に毛布を掛ける。


 次に目覚める時、彼がどれだけの記憶を取り戻しているのか。

 全部が上手くいくのか、そうでないのか――すべては、彼次第なのだ。




※このお話はプロローグと逆視点のものとなっています。合わせて読んでみると違いが解って、きっと面白いと思います。

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