2章 穏やかな日常と魔法のあめ玉

第1節 お食事会とライズの決意

 大きなひとつのテーブルの上に並ぶ、たくさんのグラスと料理の数々。

 この日、室内は賑やかな笑い声でいっぱいだった。


「はい、エビとアセーナ貝のシーフードサラダお待ちっ!」


 大皿に盛り付けられた一品がまたひとつ、テーブルの中央に置かれる。

 その途端、リトの向かい側に座っていた翼の少女がキラキラと目を輝かせた。


「わあ、美味しそうですぅ!」

「嬢ちゃん、美味しそうじゃなくてマジで美味いんだぜ?」

「はい! 絶対美味しいに決まってます!」

「ティオってば、ほんとにサラダものには目がないよね。オレが取ってやるよ」

「あっ、大丈夫です! ライズさん、自分で取りますよう」

「いいから、いいから」


 あたふたしているティオに構わず、ライズは笑顔でサラダを取り分けてやっている。その様子は相変わらず仲睦まじい様子で。

 目の前で繰り広げられる部下二人のやり取りを見つつ、リトは麦茶の入ったグラスをあおった。


 仕事終わりの夕食時の時間、リトは自分の部下たちを連れて大衆食堂に来ていた。

 最近、新しい研究員が入ってきたので、今日はその歓迎会なのだ。


 いつもライズやティオ達と食事をするなら、外に食べに行くよりも自宅に招いて料理を振る舞ってやるのがほとんどだ。けれど、所属して間もない新人が、いきなり上司の家に連れて行かれるのは怖すぎるだろう、というのがライズの考えだった。

 何度か話し合った結果、繁華街にある店を予約して歓迎会を開いてやった方がいいだろうという結論になり、こうして客がひしめき合う食堂に来ているわけなのだけれど。


「所長は酒飲まないのか?」


 唐突に聞かれて、リトは視線を巡らせる。声をかけてきたのは今晩の食事会の主役、新しい研究員だった。


「俺はこういう見た目だから社会人でも酒は飲ませてもらえないんだ。どう見ても学生だろう」


 ため息をつきつつ、麦酒が入ったグラスを持つ彼を心の底から羨ましいと思う。


 新しい研究員はスティル・ジルフォードという名前で、いつもの例にもれず魔族ジェマだった。

 短い黒髪に、切れ長の瞳は濃いグレー。彼は死神レイスという部族で、彼らはみな闇に属する者たちで、黒いフードを着込み、魔力をもった大振りの鎌を持つという。

 スティルもフード付きの濃いグレーの外套を着込み、常に死神の鎌デスサイズを持ち歩いているようだった。


 ざっと見た感じでは、外見は三十代ほどだろうか。本当の歳を聞いたところ、リトとほとんど変わらない年齢で、優に三百を超えていた。


 そのせいだろうか。

 初対面でも、スティルがリトに対してほとんど敬語を使わない。ライズと同じようにため口だった。


「……まあ、身体が未成熟のうちは酒はやめておいた方がいいだろうな」

「ああ、その通りだ。それに今日の主役はおまえなんだし、俺に気にせず飲んだらいいさ」


 ——とは言っても、心の底では羨ましくてたまらないリトである。


 麦茶をちびちび飲みながら、つまみの串焼き肉をかじっていると視線を感じた。

 顔を上げると、スティルがリトをじっと見ている。なにか、物言いたげな目だった。


「スティル、どうした?」


 首を傾げると、彼は目を泳がせる。

 開けかけた口を閉じ、そしてまた開くという動作を繰り返した後。

 決意したように、真顔になって尋ねた。


「所長はどうして、素性の分からない俺みたいなのを雇ったんだ?」


 それは、きっと彼にとっては大切な問いかけだったのだろう。


 スティルはティスティルの貴族でなければ、もともとは国民でさえもない。他国からの移住者だった。

 彼を紹介してくれた職業斡旋所の職員に聞いた話によれば、初めから国民証を持っていなかった、らしい。


 やむを得ない事情で国を追われたか、それとも政治体制の整っていない国から逃れてきたか。

 たぶん訳ありなのだろう。

 しかし、どういう理由にしろ、リトはスティルの過去を詮索するつもりはない。


「どうしてって、おまえがウチの研究所で仕事をするのに必要なスキルを持っていたからに決まっているじゃないか」


 魔法道具マジックツール開発部の研究所で仕事をするため必要なのは、魔法に関する知識だ。

 中には、それに加えて医術の知識を持っているライズのようなタイプもいるが、最低限必要なのは魔法の知識だけ。


 スティルはもともと大鎌を振るう剣士だったが、手練れの魔術師並みの魔法に関する知識を持っていた。

 だから、採用したのだ。


「素性の知れないとスティルは言ってるけど、ティスティルの国民証をおまえはもう持っているじゃないか。なら、雇わない理由はない。実際、おまえは仕事を覚えるのも早いしな」


 ニッと口角を上げてリトが笑いかけると、スティルは目を丸くした。

 そして、息を吐き出し、ほっとしたように小さく微笑んだ。


「そうか」

「ああ。だから、これからも頑張って欲しい。おまえはもうウチの研究所の一員なんだからな」






 夜の帰り道は明かりが灯っているものの、薄暗い。

 いつものように舗装された道を歩きながら、ライズと会話を楽しんでいた。


「へー、スティルってそんなこと言ったんだ。普段は淡々と真面目に仕事こなすヤツなんだけどなあ」

「だからと言って事情を話すわけでもないんだけどな。まあ、なにかあればあいつから話すだろうし、待っていてやろうかと思ってな」

「それもそうだねー」


 夜の街は静かだ。

 コツコツと、リトとライズ、そしてティオの歩く音だけが響いて聴こえてくる。


 不意に、靴音がやんだ。


 不思議に思って振り返れば、ライズとティオが手をつないだまま立ち止まっていた。


「リト、話があるんだ」


 淡い月明かりが三人を照らす。

 黙って促せば、ライズは青灰色の瞳を少し細めて、言った。


「父上と母上にティオを紹介しようと思う」


 顔を上げた彼の目は揺らぐことはなく真剣な顔をしていて、そしてそんなライズを見て、リトはいよいよ覚悟を決めたのだと悟った。


 実のところ、ライズは両親との仲はあまり良くなかった。


 彼の実家、ティラージオ家は騎士を輩出する家系だ。当主であるライズの父も王族に仕える軍務大臣である。

 そのせいか、生まれつき身体があまり丈夫ではないライズは父から嫌われていた。しかし、魔法の素養があった彼が精霊使いエレメンタルマスターの道を選んだ。

 そのせいで立派な騎士を望む父との溝がますます深まってしまったらしい。


 ライズとティオが互いに想いあっているのは、研究所の者ならば誰もが分かっていた。

 そして二人が付き合い始めていることさえも。


 ティスティルの貴族はプライドゆえなのか、魔族ジェマ以外の種族の民を見下げる傾向にある。

 ライヴァン帝国と国交するようになってからは、人間族フェルヴァーに対してはあまりなくなってきたものの、その偏見はまだまだ根深いものだとリトは見ている。

 ましてや、世界的に弱い立場である翼族ザナリールを見下している貴族は多い。


「……そうか。ついに、決めたんだな」

「うん。やっぱり、父上たちに隠れてこそこそ付き合っている今の状況じゃ、なにも変わらないと思うんだ。本当にティオと一緒になりたいなら、ちゃんと紹介したい」

「そうだな。でも、簡単にはいかないかもしれないぞ」


 リトはティラージオ卿に直接会ったことがない。

 そもそも魔術師や精霊使いエレメンタルマスターを嫌う彼が、自分と交流するはずもなかった。

 だからどういう人物かは分からないが、厳格な軍務大臣が庶出の翼の少女を受け入れるとは、到底思えない。


「うん、難しいと思う。でも、オレ本気なんだ。本気でティオと一緒になりたいから、ちゃんと父上と母上に話す」

「そうか」


 薄暗がりの中で見るライズの顔は真剣そのもの。

 なにに阻まれようとも譲らない。そういう表情だ。


 ティラージオ卿と何の接点もないリトが、ライズにしてやれることはなにもない。


 それなら、精一杯のエールを贈ろう。


「うまくいくといいな。おまえとティオの上に、幸運の精霊が祝福してくれるよう、祈っているよ」


 穏やかに微笑むと、ライズはティオと顔を見合わせた。

 くすりと笑い、二人して満面の笑顔を浮かべてこう言った。


「ありがとう、リト」

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