第7話 暗闇

 女子寮はワンの言葉の通り停電していて暗く静まり返っている。人の気配が極端にしない気がするのは、男子寮と同様にほとんどの寮生が帰宅してしまっているからだろう。玄関扉にそっと手をかける。鍵は閉まっていなかった。


「……」


 高良に目配せをし、ルイスは濃紺の空間が広がる女子寮へ足を踏み入れる。携帯のライトをつけて足元を照らす。女子寮に入るのは生まれて初めてだ。パステルカラーの張り紙がされた掲示板や、メイキングのされたテーブルなど、間取りは同じようでも雰囲気は異なっている。

 来る途中で何度かワンに電話をかけたのだがいずれも応答がない。嫌な予感ばかりが膨らんでいく。


「ワン、?」


 間取りが一緒であるならワンが向かったというブレーカーの場所も男子寮と同じであるはずだ。おそるおそる、暗闇のなかルイスは足を進めた。

 すぐ近くライトの照らさない闇の向こうでガラスの割れる甲高い音が響いた。ルイスの肩が音に震える。


「ワン? いるなら返事をして欲しい」

「…………」


 もう一度、暗闇へ声をかける。返事はない。ただ息遣いが聞こえる。荒く、ひそめられた何者かの息遣いだ。暗闇のその先に何かがいる。バクバクと、ルイスの心臓が激しく鳴り始める。

 一歩、足を進める。足の進みに合わせてライトの丸い円が少し先を照らす。

 ごくりと唾を飲む。この先にいるのは果たして本当にワンだろうか。女子寮には人の気配がしない。闇に深く沈みこんでいる。どこかの窓が開いたままなのか、夜の冷えた空気が流れ込んできて肌を撫でる。


「……ワン?」


 ライトの照らす円に靴のつま先が入り込んだ。息を吸い、ライトで靴全体を照らし出す。人ではない。放置されたランニングシューズがあるだけだった。ほっと、息を吐きだした。


 キャ――――ッ!!


 絹を裂くような悲鳴が響いた。ワンの声だ。続いてガラスの割れる大きな音。ルイスは声の方へ走り出した。


「なっ、ワン!」


 女子寮の一室。開け放たれた部屋に入ると窓が割られ、意識のないワンを抱えた黒いパーカーの人物が窓枠に足をかけているところだった。すでに役目を放棄した窓からは月のほの白い明かりが部屋を照らし出している。

 ルイスの登場など意にも介さずパーカーの人物は動く。足に力をいれて今にも窓から飛び出そうと、


「そこまでだ。ワンを解放しろ、ダニエル!」


 パーカーの人物の動きが止まる。ルイスをゆっくりと振り返り、顔を隠していたフードを外す。


「君が吸血事件の犯人なんだろう」

「そうとも。よく俺だとわかったな、ルイス・グリフィス」

「……」


 そこにいたのはワンのクラスメイトであるダニエルだった。月の光のせいかダニエルの顔色は青白く、血走った目だけが赤くぎらついている。


「ワンを離せ」

「断る。俺と彼女は永遠になる、……永遠の吸血鬼に」


 ワンの頬を愛しそうにダニエルが撫でた。


「馬鹿だな、吸血鬼なんてものはいないぞ!」

「馬鹿はお前だ。お前は何も知らない。何もかも知らない。知ろうともしていない。吸血鬼はいる、俺は吸血鬼になったんだ」


 歯茎を剥きだしにして、まるで獣のようにダニエルが笑う。やけに伸びた犬歯がルイスにも見えた。ダニエルの目の下には深い隈が刻み込まれていて、一目でまともに眠れていないのだと感じさせる。


「今なら間に合う、ダニエル。君は疲れてるだけだ、……病院に行こう。君には助けが必要なんだ」

「病人扱いはやめろ! 俺は吸血鬼になった! に血を分けてもらって、本物の吸血鬼になったんだ!」


 目を見開きダニエルが叫ぶ。血走った目玉がギョロギョロと動き回る。その姿はお世辞にもまともだとは思えない。

 遠くからパトカーのサイレンが聞こえた。ダニエルは窓を振り返り、また血走った目でルイスを睨む。


「お前……!」

「高良に頼んでおいた、君の自白も警察は知っているぞ」


 ダニエルに見えるよう手に持つ携帯を掲げる。画面には通話中という文字が表示されている。寮に入るまえの高良とのアイコンタクトはこれだった。逮捕は警察の仕事だと、高良とルイスは通話中の携帯を持ちながら移動をしていたのだ。

 そしてついさっき、まさに犯人の自白を警察は聞くことになった。

 外ではサイレンの音がどんどんと増えて近づいてくる。窓の向こうとルイスを交互に見つめ、ダニエルは唇を噛む。


「もう逃げ場はない。君に必要なのは吸血鬼じゃない大人の助けだよ」

「違う! そんなものはいらない! 俺には、俺は吸血鬼になって……!」

「逃げるのなら、早くするんだな。意識のないワンがいてはそう遠くまで逃げられないだろうけど」


 ダニエルは聴こえてきたいくつもの慌ただしい足音に舌打ちをする。ルイスの言葉に腕の中のワンを見下ろし、そっと離すと今度こそ窓から飛び降りた。茂みのなかを走っていく音だけが最後に聞こえた。

 離されたワンへルイスは駆け寄る。見える場所には怪我はなく、ワンの規則正しい寝息にほっと息を吐いた。


 念のために救急車に運ばれていくワンを見送った。その傍らで警察からの事情聴取を受けた二人は並んで寮に戻るところだった。夜が遅いこともあり、詳しい事情聴取は後日、呼ばれることになるだろう。

 結局、吸血事件の犯人であるダニエルは捕まっていないらしい。だが、すぐにでも捕まるだろう。グリフィスの街は広いようでいて狭い。


「なあ、どうしてあのクソッたれストーカー野郎が犯人だってわかったんだ?」


 高良の問いに、ルイスは黙って空に浮かぶ月を見上げる。


「確信があったわけじゃないんだ。ただ前にダニエルが僕に言った皮肉の内容がずっとひっかかっていてさ」

「皮肉?」

「うん。ダニエルは吸血鬼に血をとられないことを祈っておくんだなって言ったんだ、犯人を吸血鬼だと思っているなら、そんな言葉は出てこないだろ? だって吸血鬼は噛んで血を吸うんだから。それにそんな言葉が出てくるなら彼は僕が……グリフィス卿の子孫が吸血鬼じゃないってことも知っているってことだ」


 うつむいて呟くルイス。

 ワンの証言では皮膚に細い何かが刺さった感覚があったという。おそらくダニエルは血を採るときに注射器か何かを利用したのだろう。だからこそ、血を採るという言葉が出た。

 グリフィス卿の子孫が吸血鬼でないと伝えてきたのが吸血事件の真犯人とは、なんて皮肉だろう。


「ともかく、だ。これで吸血事件は解決か?」

「……ダニエルはまだ捕まっていないけどね」

「そこはグリフィス市警を信じようぜ」

「うん。じゃあ、一先ずは一件落着ということにしよう」


 吸血する鬼、吸血鬼。グリフィスの吸血事件はこれにて、一件落着……?

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