第7話 腕組んだときもそれほど舞い上がらなかった。せいぜい四階建てのマンションくらいだった

 ぼくの腕は美人の腕にからめとられて連行されてしまった。まあ、本屋で表紙を見物するのも参考になっていいかもしれない。

 出版社のある町だけあって、大きい本屋がいくつも並んでいる。そのうちの一つにはいった。

「あの、逃げないので、腕は解放してもらっても?」

 胸が腕に押し当てられていて、なんというか歩けなくなってしまいそうだった。

「失礼しました。わたしの胸ではご不満でしたか」

「え?」

「なんでもありません」

 ご不満どころか、パラダイスだったけど。現実に帰ってこられなくなる。

「小説家の人って、やっぱりいっぱい本読むんですか?」

「ほかの人は知りませんけど、わたしは読みません。読むより書いた方が面白いですから」

「ふーん。あー、音楽好きが楽器を演奏するような感じですかね」

「小説が好きじゃないんです」

「はあ。好きじゃないけど書くんですか」

「仕事なので」

 そういうものだろうか。ぼくは写真集を見たり写真展に行ったりするの好きだけどな。

「どうして小説を仕事にしたんですか?」

「お金になるかと思って試しに書いてみたら、書けたから」

「はあ」

 ぜんぜんしっくりこない。

「なにか使命感みたいなものは」

「使命感?」

「なんというか、文学を広めようとか、文学の力で世界を変えようとか、人を救おうとか」

「はあ、小説でそんなことできないと思いますけど」

「それもそうなんですけど、こころざしみたいにもってたりするものかと」

「写真は、そういうこと考えて撮るんですか?」

「写真ですか?」

 ぼくは考え込んでしまった。報道写真なら、なにか高尚な崇高なものがあるかもしれないけど、ぼくが撮る風景写真には関係ない気がする。きれいだなと思って写真に撮ってるだけだ。

「なるほど、小説も同じってことですね」

「自分の中にもっている世界を書くので、大勢の人が読んで共感してくれたらすごいなと思うことがありますけど、それは目的でもなんでもないです」

 ぼくたちは平積みになっている本を片っ端から眺めてまわった。いよいよもって、疑問なのが、風景写真を表紙に使っている小説なんてなさそうだということだ。どこから発想されたんだろうか。

「風景写真を表紙に使ってる小説ないですね。いいんですかね」

「ないからいいんじゃないですか。普通のことをしていても仕方ないです」

 普通すぎるくらいのぼくには、なかなかできない発想だ。というか、自分を否定された気持ちになる。

「つぎは喫茶店に行きましょう」

「喫茶店はなにか関係あるんですか?」

「お茶しながらオシャベリをするんです。予定はないのでしょう?わたしと一緒では不満ですか」

 面と向かって不満という勇気はないし、二次元マジックで実物の三倍くらいきれいに撮れちゃった写真から抜け出てきたような美人とお茶できるなら、お金を払わなくちゃいけないんじゃないかというくらいだ。普段なら、落ち着かないから勘弁してといいたいところだけど、ぼくにしては落ち着いている。さっき腕組んだときもそれほど舞い上がらなかった。せいぜい四階建てのマンションくらいだったと思う。

 パンケーキが食べられるというオシャレなカフェに、ぼくは連行された。まわりは女性ばかりだ。アウェー感が尋常ではない。

「写真はどこで勉強されたんですか」

「え?ぼくですか」

「ほかに誰か見えてますか?いちいち奥田さんはと主語をつけないとわかりませんか」

「いえ、想定していなかった質問だったのでつい。えーと、中学からカメラが好きで撮ってまして、高校で部活にはいって、あとは専門学校で勉強しました」

 なにかの試験を受けている気分だ。

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