エーラ・クロッカ〜世界に居座する砂時計〜

湯元みこと

序章 現代

第1話 昏睡

「この世界には寿命がある。それは砂時計エーラ・クロツカが示している」




王朝暦一二九九年


 タウラ・ヴィンスの剣さばきは一段と冴えていく。剣術を競い、王国騎士になるための剣術大会に彼は参加している。五人連続の勝ち抜き後の最終戦、現役の王国騎士を相手に、疲労は限界に達していた。気を抜けば、意識が飛びそうだ。だからなのか、意識を堪えようとするほど、タウラの身体から余計な力が抜けていった。


 大勢の観客に囲まれながらの戦いで、最初は動きが固かったが、没頭することで、緊張感と集中力が増し、タウラの感覚は研ぎ澄まされていく。まるで剣と一体になっているように白刃を振るっていた。


 大陸の北半分を治めるグラジオス王国で不定期に開催される王国騎士認定試験に、先月十六になったタウラは臨んでいる。師匠の勧めをもらい、さらにこの日のために仕立ててもらった紫紺の武着は日の光を浴びて晴れやかだ。タウラにとって王国騎士になることは悲願であり、責務でもあった。


 普段は師匠と兄弟子と剣を交え修練している。いつもと違う相手と向き合っている不安もあったが、剣を握った途端にそれは杞憂になった。試験への情熱がそうさせた。この王国騎士試験は剣に覚えのある者にとってはだれもが挑戦してみたい特大級の登竜門なのだ。対戦した相手はタウラより力量は劣るものの、五人連続で戦う経験はいままでなかった。


 だが、その疲労を乗り越えようとしている。タウラは心地よい興奮状態にあった。思考と動きは直結し、剣は流麗に踊り相手を追い込んでゆく。


「素晴らしい素質だ」


 青年タウラと剣を交える壮年の剣士はそう呟きながらも、自分の剣が防戦一方になっていることにわずかながら動揺した。白銀の鎧に覆われている身としては、行商人のような軽装をしているこの青年の動きは信じ難いものがあった。すでに満身創痍であり、立っているのもやっとのはずなのだ。


 まわりからはタウラが優雅に剣舞を舞っているように見えていることだろう。しかし、間近で見るその剣舞は隙のないものだった。長年王国騎士団長として試験に立ち会い多くの剣士と剣を交えてきた。その中でも群を抜く腕前をしている。しかも若い。末恐ろしくもある。それでも培ってきた熟年の経験が鈍ることはない。タウラの攻撃をひとつひとつ冷静に処理していく。持ち堪えていれば必ず勝機は訪れる。気力も体力もこちらが上回っているのだ。何よりグラジオス王国に古くから伝わるマルス流剣術は最強と謳われており、自負もしている。この剣術にこそ隙はない。


 そのはずなのに。


 タウラの動きは加熱する。地面を蹴り砂塵が舞う。壮年の剣士は強く剣を押し返した。剣を引き、タウラの重心がわずかに後ろに下がっていた。そこを好機と捉え、剣を両手に力を込めて振り下ろした。だが、タウラは引かずに身体を回転させ前に踏み込んできた。その勢いのまま壮年の騎士の剣を真っ向から受ける。両者の剣が同時に折れた。審判が手を上げる。


「試験終了。規定時間まで戦い抜いたため、タウラ・ヴィンスを王国騎士として認定する」


 二人を取り囲む城内闘技場コロツセオの傍観席から地を震わせんばかりの歓声があがった。この国に新しい守り手が誕生した瞬間だった。戦いを終え、汗を拭ったタウラは最後の気力を振り絞って、その場に立っていた。


「戦いが終わっても膝をつかないその姿勢、立派だな」


 若い騎士は、幼い面影を残しながらも精悍な剣士の顔をしていた。剣士と剣士の混じりけのないぶつかり合い、それを噛みしめた後の充実した顔だ。奢った様子のないタウラを見て、壮年の剣士は折れた剣を拾い、満足そうに半身を鞘に納めた。


「きみの集中力は並外れているな。試験官を務めてずいぶん経つが、剣が折れたのははじめてだ。動きも実に見事。何より見たことのない型だったよ。どこの流派なのだ」


「知人に習っていただけですので、詳しい名前までは」


「さぞかし有名な人物なのだろう。名を教えてもらえまいか」


「アンスコット」


 ふむと、壮年の剣士が首を傾げた。


南の国レジーナの名か。ここではあまり聞かんな」


「はい、遠い地に住んでいる方なので」


「まだまだおれも修行が足らんということか」


 壮年の剣士がそう答えると、城内闘技場にかかっていた雲を吹き飛ばすような金管楽器のファンファーレが鳴った。


「もっときみの話を訊いてみたかったが贈呈式の始まりだ。おめでとう、これからはともに国のために剣を振るうことになる。立派な王国騎士になってくれ」


「ありがとうございます」


タウラは笑顔を見せる。現役の王国騎士に認められたのがうれしかった。壮年の剣士は出口へと去っていった。相手への賛辞を惜しまない、剣士の模範ともいえる男だ。


 入れ替わりに城内闘技場の天覧席から人が降りてきた。警備の兵に囲まれながらタウラのところにやってきたのは、グラジオスを治める王族たちだ。タウラは片足を地につけ王に頭を垂れる。


「ずいぶん若いのね」


 声をあげたのは、王の隣に立つグラジオス王国の次期王女リーシャ・グラジオスだ。伏し目がちに姿をうかがう。顔まで見ることはできなかったが、白のドレスに華奢な身体が収まっている。若いと言われたが、同じくらいの年齢じゃないのかな。でも、タウラは口に出さず黙っておいた。


 王女の隣に立つ王が杖を地面にあてこつんと音を鳴らす。


「タウラ・ヴィンスよ、見事な試合だった。おまえはこれから王国騎士の一員として我がグラジオス王国に忠誠を誓い、その命を捧げるか」


「この命の果てる最期まで王国に尽くすことを誓います。我が身はグラジオス王国の国旗をまとい、国の威信を示します」


 城内闘技場には母と妹も観にきている。きっとよろこんでくれていることだろう。父はすでに亡く、城下町に三人で暮らしているが、生活が楽とはいえなかった。身を守るために剣を習いはじめたが、師匠は王国騎士に志願することを促した。自分の身は自分で立てろとも。


 だからタウラは勇んでこの選抜試験を受けることにした。稽古にあたって師匠は不安が粉々になるまで徹底的にタウラを鍛えた。


 ありがとうございます。おかげで王国騎士になることができますと、この場にいない師匠に、心の中で感謝の言葉を口にした。


 王は、横に控えている兵士が抱えている小箱をとると、タウラに見せるように開いた。中には銀のレリーフが収められている。グラジオス王国の象徴である短剣の形をしている。


「これは王国騎士にのみ渡されるレリーフだ。受けとるがいい」


 巨大国家グラジオスでも限られた者だけが身につけることを許される王国騎士の証だ。太陽の光が反射し、レリーフそのものが光っているみたいだ。


「謹んでお受け致します」


 タウラは銀のレリーフに触れた。その輝きが増し、タウラを包んでいく。天からの祝福であるかのように、タウラに恵みと賛辞をもたらしてくれる光だと思った。だが、そうではなかった。


「何、この光は」


 リーシャの驚いた声がした。刹那、タウラの身体は生温い水に沈んだような感覚に襲われた。澱み、濁った水だ。水の流れが激しくなる。身体中に重りをつけられて濁流に放り込まれたみたいだった。もがこうとしても目を開くことも困難で、自分がどこにいるのか判断がつかなくなっていた。息もできず、肺が苦しくなる。呼吸をしようと焦る中、ぼんやりとした声が耳に入ってきた。濁流の騒音ではない。なんだこれは。息苦しさは変わらないまま声だけがはっきりしてくる。


 ――やめてくれ。やめてくれ。恨ませないでくれ。


 声を枯らし、怒り、泣き叫んでいる。これは悲鳴だ。大勢の人間の悲鳴だ。耳を覆いたくなるが、四肢は動かない。吐き気を催し、地に膝をつこうとしたが叶わなかった。タウラはすでに地面に倒れていたのだ。


「どうしたの! ねえ、あなた!」


 地に倒れていると認識できたとき、悲鳴は止み、王女リーシャの声がおぼろげに聞こえてきた。そのときにはもう、タウラは口さえ動かせなくなっていた。リーシャがタウラの身体を揺すってみても、瞼ひとつ自分の意思が通じない。


「お父様!」


 王は青ざめ首を振った。


「何だというのだ。おい、救護班を呼ぶのだ」


 タウラのまわりが騒然とする。その喧噪も耳には遠く、ただ頭の中をぐるぐると巡っていっただけだった。自分の身に何が起こったのか。それを考えることさえできずに、タウラの視界は暗闇に覆われた。

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