第11話



 私は、一輝先輩に興味を持っていた。

 べ、別に好きというほどではない。本当に、うん、本当に……。

 私が一輝先輩と関わったのは、アルバイトで面接を受けたあとからだった。


 私の教育係として、一輝先輩が選ばれた。

 ……始めは、正直いって、ハズレ、だと思っていた。

 他にもかっこいい人はたくさんいたし、そんな人たちに指導してもらいたいと思っていた。


 当時の一輝先輩は、髪を整えず眼鏡をかけていた。

 眼鏡はもちろんだっさい奴であり、一輝先輩がどうしてこんなところで仕事をしているんだろうとも思った。 


 正直本性を知らなかった東西コンビ――一輝先輩が以前ぽろっと言っていた――の二人のほうがいいとさえ思っていた。

 ただ、一週間もすれば東西コンビじゃなくて良かったは思うようになっていた。

 基本二人の話は、他人の悪口なのだ。聞いていて疲れてしまった。

 

 私はもともと物覚えがいいほうで一週間もすれば仕事はほとんど覚えられた。

 というか、人前に出るとだいたい緊張している一輝先輩よりも仕事ができると思っていた。


 そんなある日だった。

 レジをした後、レシートとともに小銭を渡そうとしたときだった。

 私は客に手を握られた。

 ぞくり、と怖気が走った。


『ねぇ、いいだろ? 連絡先とかさ……ふふ』


 少し小太りで、清潔感の感じない人だ。べったりと汗が私の手について、嫌悪感が跳ね上がる。

 気持ち悪い、と思うより先に、怖いとなってしまった。

 それでも、お店に迷惑をかけたくないと思った私は、愛想笑いで「ごめんなさい、教えられません」とできる限り丁寧に言った。

 その瞬間だった。


『な、なんでだよ! 僕はもう何度もキミにあっているんだ! いいだろう別に! キミだって僕の方を見てニコニコしていたじゃないか! 何度も注文取りに来てくれたじゃないか!』


 そんなの全部仕事だからだ。

 そう言いたかったけど、言った後どうなるか分からない怖くて、たまらなくて私が震えていたときだった。

 

『お客さん、後ろがつっかえているんで帰ってくれますか?』


 その声は一輝先輩のものだった。

 彼はいつものようなやる気のない目で男の手首を握り、ひねりあげた。


『あっ!? な、なんだ!? いきなり暴力か!?』

『暴力じゃないです。うちの大事な店員が嫌がっていたので……まあ正当防衛? ですかね』

『う、うるさい! 嫌がってなんかないぞ! おまえの目は節穴か!?』

『いや、そんなことは――』


 一輝先輩が彼と話をしていたときだった。一輝先輩へと、男が殴り掛かった。

 いきなりすぎる行動に、私が驚いたのは束の間。

 一輝先輩は軽く男の手首をひねりあげ、そのまま彼の背後に回っていた。


 そのときには、オーナーが奥から出てきたところだった。


『こらこら、一輝ちゃん。あんまりやりすぎないでね』

『す、すみません』


 オーナーが体をくねらせながらやってきて、一輝先輩と入れ替わる。


『あー、すみませんね。けど、うちは――そういうお店じゃないんで。どうしても相手したいのなら、私が相手してあ・げ・るっ!』


 オーナーが猫なで声でそういうと、絡んできた客が慌てた様子で逃げていった。

 それから、一輝先輩はしれーっと逃げようとしていたが、オーナーに掴まれていた。


『もう一輝ちゃん。こういうときはオーナーを呼んでって言っているでしょ!?』

『す、すみませんでした……その……一応自分が面倒見た後輩……だったので、そのすぐに助けないとって……思いまして……はい』


 さっきの客との時とは一変して、いつもの抜けた一輝先輩に戻り、私は苦笑していた。

 ……私は一輝先輩を誤解していた。いつも口ではなんだかんだという東西コンビと違い、頼りになるときは本当に頼りになるんだな……と。


 前にクレーム対応があったとき、東西コンビに押し付けられた私は、心底そう思ってしまった。

 それから遅れて、佐藤先輩がやってきた。

 このカフェで一番人気の先輩だ。客もどこか、佐藤先輩がやってきたことで、うずうずとしている様子だった。


 げっ、という顔をした一輝先輩がまたもや逃げようとしたのだが、その首根っこを佐藤先輩が掴んだ。


『ああ、もう。長谷部くんはオレがいないときはいつもそれなんだから』


 そういって佐藤先輩が、ちょいちょい、と店の奥のほうへと向かう。それから、一輝先輩の髪を整えていた。

 ちょうど、客席から見える位置だ。客の中には、覗きこむようにして一輝先輩と佐藤先輩のやりとりを見ていた。

 ……鼻血出している人までいる。オーナーだ。


 ……実は一輝先輩と佐藤先輩が一緒に勤務しているときに遭遇したのはこれが初めてだった。

 私がぽかんとしていると、遅れて入ってきた伊藤先輩が私の肩を叩いた。


『あの二人、いいわよね』

『は、はぁ? え、えーとどういう意味ですか?』

『あら、わからないかしら? それじゃあ、今度教えてあげるわね』

 

 気づけば、私も二人のどちらが攻めで、どちらが受けかを伊藤先輩と語れるようになっていた。

 それが、私と一輝先輩の出会いだった。



 〇



 朝――兄さんがいなかった。

 あまり朝強くない私は、それでも兄さんに「いってらっしゃい」というために起きたのだが、すでに兄さんはいない。


 昨日帰ってきたとき、「友達と遊びに行く」と兄さんは言っていた。

 ……アルバイトの後、わざわざそういったというところから、私は一瞬でバイト先の誰かと出かけるのだと思った。


 遊びにいく人数は四人……だそうだ。

 ……私の勘だけど、恐らくは男子だけか、あるいは男女二人組くらいなのではないだろうか? と思っていた。

 ……そして浮かぶのは、以前話していた「後輩」だ。


「い、一緒に出掛けているのかな……?」


 兄さんはいつも友達がいないと言っていた。私はそんな兄さんが大好きだった。

 ぼっちでいてくれれば、それだけ家にいることが多いからだ。

 私は兄さんの部屋を見ていく。

 兄さんのタンスを開き、今日兄さんが着ていった服を調べていると、


「……わ、私が選んだ服を着ていった?」


 その事実に驚いていた。

 兄さんは基本的に服に興味を持たない。だから、私が一緒に服を選びに行ってもなんでも着てくれる。

 兄さんは素材がかなり良いので、服を選んでいて非常に楽しかった。


 もともと、長谷部家の人は顔が整っている人が多い。


 兄さんの父……はまあ……長谷部家では珍しいくらいの……そのあまり顔が整っていなかったようだが、兄さんは違った。

 眠っていた祖父母のイケメン遺伝子をしっかりと覚醒させたようで、滅茶苦茶顔が整っている。

 ただし、髪を整えず、眼鏡をかけているときは、かなり微妙ではある。……兄さんのセンスは基本死んでいる。服屋に行って兄さんの好みで選んでもらった時は、苦笑もできなかった。

 ……そんなところが、可愛いところでもあるのだが。


「……眼鏡は持って行っているんですね。けど、コンタクトも持っていったみたいですね……」


 ますます怪しい。


「休日……それもゴールデンウィークに兄さんが出かける……これは事件の臭いがしますね……」


 私は小さく息を吐く。兄さんが女性と一緒に出掛けていないことを祈るばかりだった。


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