4−6「村だった」

「こちら、産休明けのエージェント・マープル。俺の先輩で1児の母だ。」


街中の小洒落たカフェ。窓際テーブル席のジェームズに紹介されると筋骨隆々のリスを模したレスリングマスクをつけたエージェント・マープルは、2メートル近くある巨体で僕の手を両手で包み込むようにがっしりと握る「よろしく。」


「よ、よろしく。」


その手には暖かさがあり香水でもつけているのか手首から良い匂いがほんのりと漂ってくるが、その手は僕の2倍もあった。


その時、お皿に載ったサンドイッチとイチゴパフェと紅茶が出てきてマープルは有無を言わさず僕とジェームズにスッスとサンドイッチとパフェを配分する。


「食べなさい。お昼もまだでしょうからお腹が空いているでしょう。」


「あ、ありがとうございます」と恐縮しながら食べ始めると明らかに僕らの食べているよりも3倍も大きいバケツパフェがマープルの前へと運ばれてくる。


「さ、ジェームズ、事の次第を説明しなさい。迷惑をかけた以上はセキュリティの許す範囲で彼にも説明を聞く権利があるんだから。」


バケツパフェの特大プリンをひとすくいしたマープルが机の上に自分のスマートフォンを置きながら促すと隣に座るジェームズが縮こまりながらこう言った。


「…すまない、俺のスマートフォンがハッキングされていたらしい。」


聞けば、先月サーバールームの大掃除の時に彼はスマートフォンをハザードボックスに入れるのを忘れてポケットに入れたままにし、知らず知らずのうちにスマートフォンに内蔵されていたセキュリティ機能が弱くなってしまい、数日前から一部機能を第三者によって乗っ取られてしまっていたのだそうだ。


「発覚したのが先輩と合流してから1時間後の事でシステム管理部からかなり叱られてしまったよ。不正アクセスが今日だけで20件も俺のスマホから来ていたそうだ。アドレス帳も乗っ取られてそちらにおかしなメールが届くようになったのもそのせいらしい。」


僕はそれを聞いて合点が行く。

確かに主任の指示にしては攻撃的な文面ばかりだったからだ。


「乗っ取られたのは3日前の日曜にあの旧校舎の前で地図を確認するために車を止めた時のことだろう。その頃からナビの機能が使えなくてな、苦肉の策で行き先を地図で確認しながら現地へ下調べに向かっていたんだが、その時に車の中に乗り込まれてしまったらしい。社有車の後ろにあった手形はその時につけられたものだそうで車ごと撤去班に回収されて私は足を無くしてしまったよ。」


悔しそうな顔を浮かべるジェームズ…でも、あの子どもは?


「さて、そこからが本題だ。」


そういうと、ジェームズはマープルからスマートフォンを借り1枚の画像を出す。


それは、道を挟んだ家々の中から飛び出す1匹の大きな狛犬の像。

だが、その顔は先ほど見た狛犬と少し違うようにも見える。


「これは、数日前からSNSで拡散されていた車載カメラの映像を画像にしたものだ。今は投稿主の記憶も映像も画像も全てを消去して擬似記憶と別情報を植え付けてあるために大事には至っていないが、何らかの被害が出る前に詳しい調査が必要という判断で俺たちが派遣されることとなったんだ。」


そこにマスクを目元まで引き上げたマープルもパフェのクリームを山盛りでスプーンにすくいながら話を続ける。


「私も同行してわかったことだけど、件の旧校舎からさらに1キロほど斜面を登った山道に小さな神社跡があったの。当時の古文書がそれほど残ってはいないのだけど、少なくとも古墳時代からその神社は現存し何らかの封印をしていたということまではわかった。でも村の資料を調べてみたら過疎化と高齢化に伴って神社を山側から下の村に移設する工事がつい最近行われたそうで、狛犬は旧校舎の中庭に移動、旧神社は解体され、新規で作った麓の神社に御神体を移動したのがつい一週間前のことだったの。」


そこまで聞いて僕は合点が行く。

つまり、僕が旧校舎で見た2台の台座は狛犬が抜け出した跡だったのだ。

…でも、なんでそれが動き出す必要があったのだろうか?


「狛犬はあくまでシステマチックな機能しか持っていなかったからな。封じられていたものを追い回して集めて出られないようにする。追い払うことや退治することはできない。だから、村では…」


そこまでジェームズが言った時、マープルが間に入った。


「まあ、とりあえずあの神社には狛犬のおかげであの旧校舎の教室に閉じ込めることができた。でも、相手も賢かったみたいで、ジェームズのスマートフォンを通じて会社の清掃用具の性質を学習して教室から出ようとしていたみたい。危なかったわね、うっかり狛犬の足跡を全部消したりモップを手離していたらあなたにも危険が及んでいたわ。」


「まあ、その件に関しては全て俺の責任だ。本当にすまなかった。」


そう言って、頭を下げるジェームズにマープルも「ごめんね」と言った。


「元はと言えば、私も産休で1年半もお休みしていたからね。ジェームズもエージェントになって3年めだから大丈夫だと思っていたわ。聞けば色々しでかしているみたいで、悪い子じゃないんだけど…まあ、今回の件で前兆を見つけることができたし、ジェームズもこれから大規模な封じ込めのプロジェクトに参加するのは必須だから頑張りましょうね。」


「…すまない産休明けなのに。」マープルに頭を下げるジェームズ。

「いいのよ、この仕事は好きなんだから。」腕をまくり力こぶを作るマープル。


「じゃあ、会社に向かいましょう…小菅くんだったわね。ここは私がおごってあげるから安心してね。」


おしゃれなバッグを肩に担ぎ、会計用紙を握りつぶしながら支払いに行こうとするマープルに机のスマートフォンが振動する。


それを手に取ったマープルは「あら」と声を上げた。


「この先の県道を含めた何箇所かの道が長期道路改修工事のために今日から封鎖されてしまうんですって…上も行動が早いわ。まあ、しょうがないわね。」


そして、マープルは僕の横を通り過ぎながらポソッと言った。


「あの村には、もう誰一人生きている人はいなかったのだから。」

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