第31話 夢の中を歩いたことって、ある?

 明大前の駅で降りると、家に向かって歩き始める。


 今でもまだ納得がいかない。

彼らにはまだ十分なお礼も別れの挨拶もしていない。


 春の陽気だったあの世界で買った服は、冬の夜には肌寒い。

その寒さがまた私の寂しさを駆り立てた。


 約1ヶ月間だけとは言え、あの世界はとても大切なものに思えた。

そもそも何が原因であの世界に行って、何が切っ掛けでこちらの世界に戻ってきたのか結局判然としない。

やっと素直に心を開いて彼らのことを好きになれたのに。


 こんな仕打ちはあんまりだ。


「ただいまぁ。」


 家に着くと母が玄関まで出迎えてくれた。

疲れた顔をしている。

そうだ、兄が死んでから母はずっと疲れた顔をしている。

それを見ると私も辛い気持ちになってくる。


「あら音葉ちゃん、そんな格好で寒くなかったの?上着はどうしたの?」


「忘れてきちゃった。」


 何処にとは言わないけれどそれは本当だもの。

取りに帰れるかはわからないけれども。


「しょうがない子ね。あら?そんな服持ってたかしら。ちょっとヒッピーっぽいわね、今そういうのが流行ってるの?」


「わかんない。」


 そう言うと私は部屋に戻ってそのままうつ伏せにベッドへ倒れ込む。

どっと疲れがわいてくる。


 それはそうだ。

澱人を斃して、能力をたくさん使ったし、その後も沢山飲んで沢山笑った。

それがまるで遠い記憶のようだ。

いや、実際に遠くまで戻ってきてしまったのだけれど。


 先程の思い出を補強するように写真をもう一度見る。


 寂しい。


「寂しい。」


 そう口に出すと、胸が苦しくなって涙が出てしまった。


「そりゃ帰って来たかったけどさぁ……、急すぎるよぉ……。」


 私は親に聞こえないように声を殺して泣く。

これ以上彼女たちに心配をかけさせたくないという気持ちもあったが、大人になっても泣いてしまう自分が何だか恥ずかしかったからだ。


 別れでこんなつらい気持ちになるなら、彼らを好きにならなければ良かった?

そんなことはない、私は彼らをちゃんと愛せて良かった。

そうだ、これは愛だ。


 あの長いような短い時間で私達が育んだもの。

かけがえのない絆であったと思う。

私は自分を慰めるようについさっきまでの思い出を撫でると、そのまま疲れて眠ってしまった。


* * *


 翌朝は5時過ぎに目が覚めた。

異世界ではあんなにぐっすり眠れていたのに、こちらに帰って来たらもう睡眠時間が短くなっている。

1ヶ月ぶりだけれど、こちらの時間にしてたった1日ぶりの出勤をしなくては。


 台所に行くと父親が既に起きていた。

いや、徹夜だったのかも知れない。


「おはよ。朝ごはん食べるけどついでに作ろうか?」


「いや、いい。父さんはもうそろそろ寝るから。それよりお前、仕事は順調か?」


 父親はすぐにこういう話題をしたがる、そして真緒のような何かを創作する人を軽蔑するようなことを言う。


「順調だよ。単調だけれど。」


「いいんだ、そういう積み重ねで人は偉くなっていけば。若い頃はな、まるで自分が主人公のような、世界の中心にいるような気分で過ごすが、年を取るにつれて世界の中心からどんどん離れて行き、最後には世界の端っこで人生が終わるようになっている。そういう世の中で一番信じられるのは地道に作った足場だけなんだ。」


「父さんだって昔はアートをやってたって言ってたじゃない。ハイレッド・センターのパクリみたいなやつ。」


「そうだな、パフォーマンスアートをやって雑誌なんかにも紹介されたよ。お前の言う通りそれは浅薄なものだった。その時の思い出は楽しくかけがえのないものだが、無駄な時間を過ごしたとも思うよ。」


 父親のこういう考え方が私には合わなかった。

かけがえのない思い出が得られたのならそれは無駄ではないと私は思うのだけれど、父はそうではなかった。

彼は実利的で後の富として残るような事柄以外は全て無駄と断ずる人間だった。


 兄はそういう父と反りが合わなくて家を出て行った。

とは言え兄も兄で出て行ってから何をしたわけでもなく、ただ怠惰に過ごしていたようであった。


「私、今度友達のファッションショーでDJをやるよ。」


「くだらんな。」


「ま、そう言うと思ったよ。やるけど。」


「父さんもやるなとは言わない。息抜きくらいにはなるだろう。」


 ああ、息が詰まる。

でもこういう父親を私は嫌いにはなれない。


 彼はハッキリと無駄だと言うが、同時に私の行動を止めたり制限したことはない。

彼なりに私を放任してのびのびと育ててきたのだ。


 偏屈で悪い意味でプラグマティズム的な考えに凝り固まった人間だが、それだけは常に守られてきた。

そんな父に兄が勘当されるまでになったのは兄自身に問題があったのは間違いがない。


 父親はタバコを一本吸い終わると寝室へ行った。

私はエッグベネディクトとコーヒーを作り、本を読みながらゆっくりと食事をする。


 中途覚醒をするようになってからちょっと良かったと思ったのは、朝にたっぷりの時間があり、早朝の静謐の中で読書を楽しむことができることだ。

このちょっとした贅沢さは、ただ寝て起きて仕事に行くよりも私の生活をずっと良くしてくれた。


「さて、シャワーを浴びたら出かけますか。」


* * *


 凡そ1ヶ月のブランクがあったけれど、会社の仕事はつつがなく行えた。

学校や会社を長く休み続けたとき特有のあの行きづらさ、働きづらさをもっと感じるかと思ったけれど、新村さんの剽軽な態度に救われた。

本当か嘘か昨日も彼氏と相変わらずフリースタイルで喧嘩をしていたみたいだけれど、そういうのも含めてとても楽しそうだった。


 私も彼氏がいたらもっとあっけらかんとして違ったのだろうか。

ダメだ、異世界だともっと楽観的でいれたはずなのに、こちらに帰ってきたらまるでスイッチが切り替わったみたいに余計なことを考えてしまう。


「音葉さんさ、なんかちょっと雰囲気変わった?昨日何かあったのかしら~。」


「え、何か違います?」


「ちょっと話しかけるなオーラみたいなのが薄くなって朗らかになってるよ。それに目の隈もなくなってるし。」


「え!そんな空気出してました!?もっと誰でもウエルカムな雰囲気出してたつもりだったんですが!って言うか隈バレてたんですか!?上手く隠せてると思ってたのに~!」


「バレバレもバレバレよ!みんなよく心配してたんだよ。でもちょっと元気になったみたいで良かった。お友達のおかげかしらね。」


 確かに私はタマナやジーンと過ごしている間は健やかな気持ちでいられたと思う。

そういう影響がまだこうやって残っているんだな。

睡眠も今日だけは浅かったけれど、向こうにいる間はずっと快眠だったし、それで私はいつもよりも明るく見えたらしい。

いつもの私はどれだけ暗い子なんだ。


 ちょっとした残業も終えて、会社を出ると小糠雨が振っていた。

折りたたみ傘を持ってきておいて良かった。


 傘をさし、駅へ向かおうとすると目の前に女子高校生らしき人物が立っている。

大人しそうだけれど我の強そうな表情。

ふわふわでかわいいパーマのかかったミディアムヘアの女の子。

彼女のそのくりくりで大きな目がこちらをじっと見ている。


「私に何かご用?」


 すると少女は言った。


「お姉さん、夢の中を歩いたことって、ある?」

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