第35話 刑務所

 近畿地方にある刑務所。


 面会室には透明の仕切りがあった。表の刺すような日差しとは対称的な、社会と隔離された暗く、冷えた空間があった。法を踏み越えた犯罪者たちの隠れ家に魅力的なものは何一つなかった。


「娘に会わない理由は、その面か?」


「ふん、もっとまともな質問はできないのか」

 

 目の前には顔面を派手に腫らせた老人、佐竹勇武が座っている。古い痣の横に最近の痣があり、連日記録が塗り替えられているかのようだ。彼はこのみじめな場所で人生の最後を迎えるだろうが、それだけでは済まないようだ。


「どんな質問なら、いいんだ?」


「お前の親父さんと政府の極秘開発に携わった話とかじゃな」


「そ、そんな仕事までしてたのか。詳しく聞きたいな」


「話せるわけないだろ。極秘なんじゃから」

「………」

 

 佐竹が面会に期待していたのは俺ではなかった。絶えず落ち着かず、ある男を待っていたようだった。無駄話が続いたが、やっと佐竹は本音を口にした。


「ミシエル、いや松本雄二は来ていないのか」

「あの人は裏切り者なんだろ。それより、まだ市内に典子さんが滞在してる」


「……ああ、わざわざ刑務所でボコられてるわしを見て何になる」


「どんな親でも、子供は親に会いたいと思うもんだ。最期まで最悪の父親を演じて何になるかも知りたいね」


 俺はある依頼を受けて彼の過去や、身辺を調査して知っていた。佐竹勇武には娘がいた。亡き妻が一人で育てたと言っても過言ではない娘だ。そのことについて彼はほんの少しだけ俺に話をした。


 物理、科学に人生を捧げた男に家庭は足かせでしかなかった。貧しい生活を切り盛り出来たのは妻の両親が小さな軽食屋を構えていたからだ。美人の看板娘がいる軽食屋は、いつでも賑わっていた。


 義父は、研究者である佐竹にいくらでも食事を提供してくれた。

       

『博士号とるんだろ? 出世払いでいいよ』


「ノーベル賞ですよ、お義父さん。博士号なら二十歳で取りました」

 最期まで義父は佐竹に優しかった。


『娘まで、くれてやるつもりは無かったんだがな。でもよ、亜紀が選んだんなら仕方ねえ』


 娘が産まれる。典子を幸せにしたかった。だが、臨時教師の仕事と研究所の薄給で生活は苦しくなる一方だった。


「まだ典子は、あの街でちいさな食堂をやっとるのか」


「喫茶店『西の風』だったか、辞めやしないさ。あんたのおかげで、益率がいい。典子さんが二十年値上がりしない食材に疑問を持たない限り、潰れもしない」


 佐竹の妻は決して金を受け取らなかった。麻薬や不法行為で手にした金には価値がないと言ってきかなかったのだ。


 だから離婚し旧姓を名乗る娘にも、合うことは避けてきた。若き日の妻に似て強情だったから尚更だ。佐竹は裏で、娘が自然と金持ちになるよう手を回した。


 妻が亡くなったときの保険金や相続金はもちろんのこと、経営している軽食屋には格安で食材が流通する仕掛けや、危険な客が寄り付かない仕掛けもしてある。


 古い隣人は土地をタダ同然で譲ってくれ、駐車場も出来た。リフォーム業者は重大なミスをしたので料金はいただけないと言った。ベージュの壁紙をクリームと間違えたという大きなミスだった。


 佐竹が言った。

「今でも、あの頃のことを思い出すと胸が苦しくなるわい。胸が締め付けられるようだった」

「あんたでも、そう感じるのか?」


「ああ、当時はサナダムシのせいだとは知らなかった」


「………大変だったな」


 俺は佐竹を観察していた。驚いたことに佐竹は瞬きを一度もしなかった。これだけ殴られて、目を閉じないでいるのは苦痛なはずだ。俺はジムでも路上でも、殴り合いをしてきた。まともにパンチを喰らったり、かわしたりしてきたから分かる。 


 佐竹は次に備えている。まだ勝負は終わっていないと思っている。反撃に備えてこの場をコントロールしようと考えている。監視カメラと警備員の死角になる左目を使って、俺にメッセージを送っていた。

 

 ――気持ちの悪いモールス信号で。


「実はあんたがしたことは全部、松本から聞いた。親父はあんたを疑ってる。まだ何か良からぬことを企んでるとね」


「……やはり桐畑は天才だな。わしの考えは全て見透かされているようだ。だが、良からぬことを企んでるのはわしだけじゃない。そこが問題だ」


「問題はあんただ。起こしてるのも難しくしてるのも、あんただろ?」


「ふむ」


 佐竹は口を開けたまま、じっくりと桐畑篤士を見た。よりによって、桐畑の息子がここへ来るとは意外だったようだ。


 あいつは何を話したのか知りたそうな顔だった。ミシエルが裏切り者だったのは、最近のことではない。俺から言わせれば、ずっと前から裏切り者だ。


 殺し屋として仕事をしたのは、人身売買や子供の内臓で商売する神父と、そいつを斡旋していた孤児院の院長。あいつらを殺っただけで、他の小物はみんな影で逃がしていた。佐竹が知らなかったとも思えないが。


 佐竹は、その神父は殺すなと言った。殺す価値が無いと思ったのか、殺すのは生ぬるいと思ったのかは分からない。


「ミシエルは裏切った。思う存分、好きなだけ悔しがっていいぞ」


「殺せと言えば殺さず、殺すなといえば殺す。だが不思議と命令が聞けないバカ……とは、感じなかった。彼、独特の利己主義を心地よく思っていたのかもしれない」


 佐竹はミシエルの裏切りを責めることはなかった。彼がこの稼業をやめて、どこかに逃げても腹はたてていないようだ。


「彼は違法な取引からは足を洗うそうだ」


「言っておくが……娘は公平な金を手にしただけだ。何も法に触れていない。どいつもこいつも弱者から金をむしりとろうとする。大型チェーン店は、もっと低い率を提示するくせに。そいつらに信用とは何か教えてやっただけだ」


「だったら堂々と、典子さんに会えるな」


 老人はため息をついて、しばし黙った。


「よかろう。だが、一つ頼まれてくれないか」


「なんだ?」


「スティグマを作った目的は、幾つかの組織を根絶やしにするためだ。同類にしかボスは顔を見せないからな。わしが最も潰したかった男は、マウンツのヘッドだ」


 ――千葉のチームか。


「典子を捨てた男が作った組織だよ」


 つまり西野晴香の父親……清田正樹。

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