第21話 京都府

 首が隠れる高襟の白いブラウスに、エンジのプリーツスカートを着てくるりと回る。ふわりと揺れるスカートを見つめて、河本が言った。


「わぁーお、似合ってるよ、ルシエル。これってまさに映画むけの展開だね」


《ありがとうございます。河本様》


「口が空きっぱなしだぞ、河本。まだ自転車にのるんだよな。よく分かんないけどスカートってどうなんだ?」


《横に座れば、大丈夫ですが安全性は低下します》

 

 弟のたかしが、カゴを持ってこちらに来る。


「ねえねえ、このベージュのワイドパンツに黒いアンクルブーツなら、調度いんじゃないかな」


「どれ~? ああ、ルシエルに似合いそうだね。ちょっと見てよ、どっちがいいかな、ルシエル」


《はい。どちらも、とても可愛いですね》


「夢みたいだなぁ。僕がデザインしたルシエルと、ブティックに来てるなんて」


《――夢ですか。私も夢が見たいです》


「電気羊の夢じゃなくて、もっと壮大な夢を見て欲しいな、君には」


《私も夢が見られますか?》


「見られるよ。どんな夢がみたいんだい?」


《みなさんと、ずっと一緒にいるのが私の夢です》


「なんていい子なんだろうな、桐畑」


「ああ、俺もそう思う。でもさっきから店員がドン引きしてるから、こう言っておく。キモイぞ」


《それは大変です。近くの病院やドラッグストアをお調べすることもできますよ》


「………なぁんて、いい子なんだ」


 レシートを見ると下着込みで、九万五千円。ルシエルの服は、俺たち全員の服より高いついた。だが、はっきり言おう。


 男兄弟とオタクにとって女の服の値段設定など分からない。親父の金だし、こうなってしまったのは仕方のないことだ。


「高くついたな、河本の夢は」


「僕たちの夢だろぅ。桐畑だって、ノリノリだったじゃないか」


「……あのなぁ、なんで下着まで買うわけ? 変態なのは知ってたけど」


「お、お兄さんがいいっていうから」


「えっ!?」俺は兄貴を見た。「なんだよ、兄貴の指示か」


「……リアリティーだ」

《……リアリティーです》


 二人がハモると、どっと笑い声があがった。俺達のこじれた糸は、ルシエルによって結ばれたような気がした。


         ※

 


 次に四台の自転車が止まったのは、京都府の看板を見た時だ。ルシエル・ターミーは自転車の後ろに乗って、俺の背中を掴んでいる。


 結果、ルシエルは首の隠れる白いブラウスにエンジのチュニックを着て、ベージュのパンツとアンクルブーツを履いている。


「警察が多いな」兄貴が言った。


「さっきから、黒いスーツの男たちも、よく見かける」


《検問が増えています。スーツの男たちは銃器を所持しています》


 俺は以前、バイカーと黒スーツが一緒に行動しているのを見たことを兄貴に言った。ジャンキー、バイカー、殺し屋の次は、黒スーツのエージェントというわけだ。段々と攻略する難易度が高くなってきている。


「あつ兄、もしかして警察ってこともあるんじゃないか」


「そ、そうだな。二人乗りは不味いな」


 雨が降ってきたので俺達は駐輪場に自転車を置いた。これ以上、自転車で移動するのは難しそうだった。警官に声をかけられる可能性がないとはいえない。


「歩けるのか」俺は雨なのか汗なのか、濡れて髪の張り付いた河本に聞いた。


「うん、ここまで来たら最後まで同行したい。いいだろ?」


「……もちろんだ」


 雨はすぐに止んだが空は黒く淀んでいた。二人組の黒いスーツが真っすぐこちらに歩いてくる。飲食店やコンビニを探すが、オフィス街には便利な避難場所が、きわめて少なかった。


 とっさの判断でテナント募集と書いてある雑居ビルに潜り込み、薄暗い階段を登りはじめる。空っぽのオフィスビルに無断で、侵入してしまった。


 ルシエルは、疲れた足取りで階段をよたよたと登る長男に言う。


《不法侵入に問われる可能性があります》


「ばれなきゃ、平気だ」


《……わたしにバレています》


「融通のきかないアンドロイドだな。緊急避難、正当防衛、黒スーツは銃を持っているんだから、正当性はあるだろ」


《わたしの為ですか?》


「ああ、そうだ」


《どうしてわたしは狙われるのでしょう》


「ふっ、こっちが聞きたいよ」


《どうして、みなさんはわたしを守ろうとするのでしょう》


「それが、兄弟と家族のためだからな」


《キョウダイ……カゾクですか。わたしは……》


「もう、質問は後にしてくれ」  


 最上階、五階の部屋は完全に空室になっていて、机もテーブルも何も無かった。蛍光灯やブラインドすら付いておらず、灰色のカーペットはカビ臭かった。


 外からの街灯と、車のヘッドライトが部屋に差し込んでいる以外は真っ暗で、足元も見えなかった。時計の針は十九時をさしている。


 リュックを放り出し、ここで様子をみることにした。無茶な移動と緊張のせいで、俺も兄貴も疲れていた。俺はへたり込むように床に倒れ込んでいた。河本は真っ青な顔をして黙ったまま座っている。


「休んでろよ、たかしも。ジタバタしても仕方ない。あいつらが一晩中ここいらを見張っているとも限らないだろ」


「あ、ああ。ルシエル、お願いできる? 黒いスーツの連中がいなくなったら、声を掛けてくれるかな。バッテリーの残量は?」


《分かりました。バッテリー残量は七十二パーセントです》


「……ああ、じゃ悪いけど」


《はい。見張っていますので、ゆっくり休んでください》


 しばらく、俺はリュックを枕に目を閉じていた。疲労感に全身を襲われて、意識を失いかけていた。見る夢が選べればいいと思った。自分はどんな夢が見たいのだろう。


 皆さんと、ずっと一緒にいることがわたしの夢です。そんなルシエルの言葉が頭に浮かんだ。わずかに彼女の言い争うような声が聞こえる気がしたが、重い瞼と共に耳もふさがれてしまった。




《はい……見張っています…はい、わたしが見張っています……カゾクを……キョウダイの安全を見守ります……わたしはカゾク……わたし……わたしのカゾク………キョウダイ……わたしが…マモリマス……わたしは……わたしはアンドロイド……キョウダイ……アンドロイドに兄弟や…家族は……いません……でも、わたしは…みんなを……カゾクだから…》



         ※



 俺はいきなり意識を取り戻して、腕時計を見た。二十三時二分。かれこれ四時間もここにいることになる。


 窓を覗くと、大柄で痩せた黒いスーツがうろうろしている。エージェントらしき連中は二十人以上いたが、そいつに見覚えがあった。でたらめの情報料に一万円くれたやつだ。


「囲まれてる……蟻一匹通さないって顔してやがる。アンドロイド狩りの連中だらけだな。外はもう、一般人より黒いスーツのほうが多いくらいだ」


 俺の言葉に兄貴が腰をあげる。寝てはいなかったようだ。


「けっ、ここまで来たのに八方塞がりか。ちくしょう」


 たかしはため息まじりに頭をかきむしって言った。


「兄貴たちは、もう少し寝てくれ。疲れてるんだろ。おれが見張ってるからさ……しっかし。あの武装してる連中、全員を倒すいい方法はないもんかね」


《わたしが行きます》


「……うん。なんだって?」


《行って、倒してきます》


 ルシエル・ターミーはスライド式のガラス窓を開けると、枠に足を掛けた。湿った空気が部屋に吹き込んできた。ここはビルの五階だ。


「だめ、だめだよ。い、違法行為だろ」


《バレなければ、大丈夫です》


「待っ……」 


 たかしの手は空をきり、ターミーは夜の街にむかって飛んだ。


 右の腕、左腕と順にワイヤーを撃ち出し、ビルとビルの間をすり抜けていく。電柱や電線も避けながら器用に音もなく、ものすごい速さで降りていく。


「………!!」


 二人組の背後――正確に連中の後ろに着地して、麻酔弾を撃ち込む。


 ステルス行動……無駄な動きはまったくない。


 左手から飛び出している銃口に気付いた黒スーツは、脇腹から銃を抜いた。男が銃で狙いを定める前にワイヤーが、その手を持ち上げていた。


 痩せた男が身をかがめて、ターミーに向かって駆け込んでくる。銃を握って向けた時には、もう彼女の姿はなくなっている。


 宙を舞うように黒いスーツの背後に飛び回り、銃声が鳴る寸前に男たちを排除していく。


「す、すごい。マトリックスみたいだ」


 河本の声に、たかしが答えた。


「それな。見てないけど」


「今度、僕の家でリレー上映するよ。全部そろってる」


「へー、すごい。イナバウァアって避けるヤツは何作目だっけ」


「一作目に決まってるだろ。重力より早く体重の大部分を下降移動させるのは物理的におかしいけど、足場を何かで固定していれば不可能じゃない」


「そんなの、ジャンプして避けりゃいいよ! あれみたいに。あれは本物だ!」


 男たちが一人ずつ倒れていくのが見えた。誰も発砲していない。その前に麻酔弾が撃ち込まれている。


「すげぇ、つえーっ!」たかしが叫ぶ。「いけーっ! やっちまえ」


 俺達はおおげさに膝を叩いて笑った。たかしは苦しそうに腰を曲げて笑っていた。


「行こう! 行けるぞ。あつ兄、さと兄! このまま、一気に親父の別荘まで力ずくで行くぞ!」


 着替えや、リュックも置いたまま俺達はビルから飛び出し、ルシエルに向かって走り出した。


「行けっ、ルシエル! ヒャッホー!!」

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