第17話 麻薬捜査官

    

 一時間もしない後、本物の捜査官が二人組を連れに来た。


 サイレンは鳴らしていなかったが、赤いランプが繁華街の黒いアスファルトを照らしている。運転席のドアを勢いよく開け、現れたのはスポーツ刈りにスーツ姿の遠藤紀之、本人だった。

 

 中華料理屋の店長は腕組みしながら、ポーズを決めている。美味いラーメンを作りそうな面構えをして。好奇心ではちきれそうな野次馬がクビを並べて、こちらを見ている。


「だんな、こっちですよ」


 手招きした先にはチャーシューのように紐で縛り付けられている二人組が、地面にあぐらをかいて座っている。衛兵のように若い店員は背筋を伸ばして脇に立っていた。


「くそジャンキーが!」


 店長は痩せた顔のジャンキーに向けて唾を吐いた。


 覚醒剤、メタンフェタミンは深刻な社会問題に発展していた。数ある麻薬、アルコールを含めても、最も犯罪者を産み出す原因になっているのがメスである。


 中毒者は、メスのことしか考えられなくなり、売人はメスで儲けることしか考えられなくなる。


 メス絡みの事件は、変死、事故死、交通事故、殺人、放火とあらゆる被害を国中にばら撒いている。彼らに対する恐怖が、炭疽菌をばら撒くなどという途方もない話ですら現実的にさせる。


「見てください、この顔。間違いなくメスの中毒者ですよ。こいつら間違いなくやってる。ながく客商売やってると、分かるんですよ。こういう顔色した連中にうろつかれるのが一番迷惑なんだ。胸糞悪いったらありゃしねぇ。麻薬捜査官さんに頑張ってもらうしかないけどさ、俺達だって協力しなきゃダメだって話してたんですよ」

 

 そして得意気に敬礼をして言った。


「遠藤捜査官によろしくお伝えください。わたしがジャンキーをしっかり拘束してやったと。いやあ、あの人は立派なひとだ。カッコ良かったですよ」

 

 本人とは知らずに店長は続けた。遠藤は爽やかな笑顔を浮かべながら、遮るように大きな声で言った。


「市民のご協力、本当に感謝します」


 痩せたジャンキーは必死に猿ぐつわを外すと遠藤に叫んだ。


「あ、あいつらあんたの警察手帳を……ぐっぷ」


「そんなこと分かっている」


 遠藤はそいつの腹部に蹴りをいれていた。もう一人のジャンキーは黙って口を接ぐんだ。見上げた遠藤の目は毒針を持った昆虫のように冷たく、殺意に満ちていた。


         ※




 名古屋市科学館の近くにチェックインしていた温泉宿があった。命からがらにたどり着き、ターミーと弟に合流したのは真夜中過ぎだった。河本は真っ青な顔をして座布団にへたりこんだ。髪の毛は汗で張り付き、分厚い眼鏡は歪んでいた。


《お帰りなさいませ。あつし様、さとし様、河本様》


「三人とも傷だらけじゃないか。何があったんだよ? あつ兄」


「町中ジャンキーだらけだ。遠藤の名前を出しても効果が無かった。いきなり襲ってくる始末だ。殺されるかと思った」


「よく逃げてこれたね」


「この町の市民は協力的だからな。手帳を出せば、交通機関も裏道も通り抜けできた。パトカーが集まり出して、なんとか隙をついて逃げてきたって感じだ」


 兄貴は炭酸飲料を一気に飲んで、俺に渡した。


「俺やさとし、河本が襲われたってことはジャンキーどもに面が割れてるってことだ。どのルートにも見張りがいて町から出られない」


「……もう警察に行って助けてもらうしかないじゃん」


 たかしはバックから携帯を取り出したが、そのままポケットにしまった。バックを漁ると消毒薬や絆創膏、包帯を取り出してテーブルに並べだす。包帯を持ったまま、俺に向き直って続けた。


「信用出来るって保証はないよな。遠藤の警察手帳を盗んでるし、警察とジャンキーが繋がってるとしたらターミーは押収されて、俺達も逮捕されるかもしれない」


「ふう、ふうっぷ。ひとつだけ……抜け道はあるよ」


 仰向けに寝ている河本が天井に向けて言った。こいつにしては真剣な表情だった。


「無理だ。どんな裏道にもジャンキーの見張りがいる」


「いや、明日――っていうか、もう今日か。祭りがあるんだ。からくり人形を乗せた神輿をかついで練り歩くご当地特有のお祭りだ。うっぷぅ、ううっぷ」


 横になっても河本はまだ、息を荒くしていた。動物の鳴き声のような嗚咽を漏らしながら話している。よっぽど怖い目にあったのだろうとたかしは思った。


「トドみたいだ」


 俺は無作法で不謹慎な弟をたしなめた。


「やめろ、たかし。トドが気を悪くする」


「……もともと若宮八幡宮の山車祭りが由来なんだけど、アングラ系は途中からルートが代わり県外に出る。そいつにゲームの仲間達がコスプレ枠で参加するんだよ」


「それって……参加したら殺されるヤツじゃないのか?」


「ああ、メスジャンキーに殺されるのも、ネットジャンキーに殺されるのも一緒だろうけど、可能性の低い方を選ぶよ、あうっぷ」


 まさか『バトル・アート・オンライン』のコスプレ集会に参加出来るとは思っていなかった。招待状があれば、他に三人まで参加が可能と書いてある。


「なるほど。なんとかオンラインってイベントで……公然と変装しようってわけか」


「変装じゃない。あつ兄もコスプレしてもらうぞ」


 俺はすぐさま携帯を取り出して、明日の昼過ぎまでに衣装や小物を揃えられるショップを検索した。河本も黙ったまま、黙々とノートを出してペンを走らせている。


 オタクというのは、こういうイベントに素晴らしい集中力と行動力を発動するものだ。


 ほんの数分で、顔の割れていない弟にリストを作って渡した。


「これだけ買ってきてくれ。コスプレショップの地図はこっち」


「……何で、楽しそうなんだよ、お前ら」


 長男は不思議そうに俺達を見ていた。 


「楽しまなきゃ、やってられないだろ。ったく」


 河本は、座布団を丸めて抱きしめながら横になった。


「あっふうぅ、めちゃくちゃドキドキするっ……おっふぅ~」


「オットセイみたいな鳴き声だな」


「やめろ、たかし。オットセイが気を悪くする」



         ※




 夜も明けないうちに遠藤は、ジャンキーを十人もあげていた。実際は桐畑兄弟と協力的な市民が取り押さえたスティグマのメンバーを回収しただけの夜だった。


 自分の名を語ったあの兄弟を、追い詰めていたのはこちらのはずだった。


 岡崎で撮られた写真には二人の兄弟と不細工に変装したアンドロイドが写っていた。桐畑のアンドロイドは間抜けな顔をしたデブに化けていたようだ。何故、この男なのかは解らない。

 

 画像をこの地区全体にばらまきメンバーに追わせると、さっそくデブが見つかった。だが探しているアンドロイドである可能性は無いとの報告。


 味噌カツを二杯おかわりして玉の汗をかいているアンドロイドがいるはずがないので、指示を尾行に変更。


 ――現場へ向かう。


 メンバーは返り討ちにあい、警察で保護することになる。更に桐畑の目撃情報を追うたびに、メンバーが返り討ちにあっている。


 指示を変更、生死に関わらず捕獲。

 地区全体に百人からなるメンバーが若造に出し抜かれ、目標を見失う。


 変装可能なアンドロイドを想定し特定するためのギミック、一ダースのサイバーグラスの支給を依頼。


 潜伏している兄弟を市外に出さないよう厳重な包囲網をしく。


 どうあっても、ここで仕留める。自分の名を語った桐畑のガキどもに鉄槌をくらわせなければならない。幸いにも、アンドロイドの移動手段は歩行に限られているようだ。



 署内に戻った遠藤は一躍ヒーローになっていた。上司の菅田は遠藤の肩をたたいて褒めたたえた。


「どうした、遠藤! すっかりプロの捜査官だな。この調子ならあっと言う間にスティグマを壊滅させちまうんじゃないか?」


「あ、ありがとうございます」


「ばっと手を挙げて〝麻薬捜査官のエンドウだ!〟なんて、随分決まってたって噂になってるぞ。俺も鼻が高いよ」


「は、っはは。勘弁してくださいよ、菅田さん。少し調子に乗り過ぎました。反省しております」


「いやぁ、俺は感動してるんだよ。この仕事は売人や元締めをあげなきゃラチが開かないなんて勝手に思って、身近な中毒者を野放しにしていた部分があったと思うんだ。でも、それじゃいけないんだ。困るのは自分たちなんだって、市民の意識を変えていかなきゃならなかったんだ。パフォーマンスだっていいじゃないか。大いに結構。科捜研の正式鑑定で陽性がでりゃ、何も問題はないんだ。この調子でいこうじゃないか」


「そうですね。頑張りますよ」



 奥歯は怒りで割れそうだった。スポーツ刈りの頭には青い筋がひくひくとしている。このままいったらスティグマに壊滅させられるのは自分のほうだ。連行したジャンキー共が一人でも口を割れば、スパイ活動がバレる可能性もある。


「おっと……忘れちゃいないだろうが、出頭してきた中田雅彦から証言がとれた」


「桐畑の屋敷にいたやつですか」


「ああ、あのアンドロイドに暴行を受けたと言っているらしい。許可が下りれば、堂々とアイツを拘束できるってわけだ。SWATを引き連れて出動するかもしれないぞ」


「了解です」


 遠藤はにやりと笑った。





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