第12話 沼津から原

 

 俺の中の殺人鬼。

 

 こんな旅行がなければ、兄貴はこのことを墓場まで持って行く気だったのかもしれない。俺には欠けた感情があり、それは恐怖心だと言う。自覚症状はない。

 

 ホラー映画は嫌いじゃないが、はじめてスクリーンでゾンビや悪霊を見た夜は恐ろしくて眠れなかった。幼少期には当然の反応といえる。

 

 母さんと手を繋いで一緒に寝た夜を思い出す。昨日のことのように、ぬくもりを感じる。


 二度目にホラー映画を見たときには恐怖心より好奇心が勝った。見えたり見えなかったりする悪霊には、自分の脳が関係しているのではないか。


 だとしたら登場する人物は障害を抱えている可能性があり悪霊より重要な問題になりうる。


 二人、三人と幻覚を見るようになると、悪霊の存在が現実味を増してくる。悪霊の情報を共有する段階になれば社会的に孤立する恐怖からは解放される。ここからは、安心してフィクションを楽しめる。


 クライマックスには仲間と共に悪霊やゾンビと戦う。相手の弱点を探り、倒すまでに仲間の何人かは殺される。自分が殺されるのも仲間が殺されるのも恐怖である。


 スプラッター映画だったら、思わず目を背けてしまうこともある。


 ここまで考えて俺の恐怖心は正常に機能しているように思える。気がかりと言うなら、問題はパニック障害のほうにある。

 

 俺は不安になるのが一番の不安なのだ。だから事前に研究し、恐怖心を抑制する癖がついたのかもしれない。


 ホラー映画には別の楽しみ方がある。画面に映らない背後にスタンバイしているゾンビやモンスターを想像したり、観客を如何にして怖がらせるかを客観的に分析したりする楽しみ方だ。



 どの娯楽作品にも言えることだが登場人物の誰に共感し、誰の目線で物語を見るべきか。


 ある雪の女王が活躍するアニメでは、主役をはる姉妹のどちらにも感情移入できず、脇役の王子やトナカイ臭い若者にも感情移入出来なかった。だが、俺も伊達にオタク歴が長いわけでは無い。作品の楽しみ方は熟知しているつもりだ。


 俺が感情移入したのは、アホな顔をしてラリった言葉を発する雪だるまのキャラクターだった。彼の立場は中立で安全だった。


 どんなにハイテンションで抜けた事を言っても問題にならないし雪だるまだから死ぬこともない。何故このキャラクターをフィルターとして見ることで、物語が魅力的になるのか。


 俺はふと考えた。あの雪だるまは恐怖とは無縁のモンスターだと。

 

 今まで監督目線でホラー映画を見ているつもりだったが、そう言い切れるのだろうか。俺は悪霊やゾンビ、モンスターに感情移入しているサイコパス野郎なのだろうか。


 ――いや、考えすぎだ。


 漠然とした恐怖や感情に惑わされず、客観的な立場で物語を楽しんでいるだけだ。よく考えたら夏が好きなだけだ。


 雪だるまに感情移入する精神年齢の低い子供たちはみんなサイコパスだっていうのか。


 俺はペットボトルの水を一口飲んでやめた。腹の調子を崩して時間をロスするのはごめんだし、民家しかない場所でもよおすのは避けたい。


         ※



 雨が降りだした。雷がゴロゴロと鳴り出したかと思うと、すぐにどしゃぶりになった。


 カッパの抵抗は虚しく、すぐに服の中までびしょ濡れになった。俺は無人のガソリンスタンドを見つけて駆け込んだ。


「ターミー、バッテリー残量は」


《三十八パーセントです》


「ターミー、充電してこい」


 スタンドの一番分かり難い場所にアンドロイド用の電源がある。倉庫の裏だったり、洗車用ドラムの脇だったり。


 自走式の彼らは勝手にそこへ行き電子マネーで決済すので目につかないスペースに電源があっても人間が困ることが無いからだ。


 髪を掻きあげると雨水がイヤリングのように滴り落ちた。背中に流れるとゾクゾクしたのでカッパもシャツも脱いで絞った。


 寒気がして、余計に雪だるまの気持ちが分かった――夏が好きと歌いながら踊りたい気分だった。


 丸めた肩にタオルをかけ、腹部を両手で覆ったまま、じっと豪雨を眺めていた。



 雨のカーテンからキャンピングカーがスタンドに乗り上げた。じっとしたままの俺の横に車を止めると、男が二人降りてくる。


 革ジャンを着た薄毛の男と、痩せた黒スーツ姿の男。革ジャンがガソリンを入れている間に話しかけてきたのは黒スーツの方だった。


「おい、坊主。この辺でアンドロイドを連れたガキどもを見なかったか?」


「んー。黒い……あっ」


 車には何人乗っているかは分からない。俺は慎重にカマをかけることにした。うっかり口をすべられた感じが、凄く出た。中立の立場にいる間の抜けた雪だるまの感じ。


「……それって、それって黒いやつのことかなぁ」


 諦めて、逆に確認をとるほうに話を持っていけば、自分は責められないような感じが凄く出た。この感じ――出てる。この感じ――凄い出てる。


「おお、そいつだ! そいつだ、思い出せ」


「ご、ごめんなさい。よそ者には、言うなって言われてるんで勘弁してくださいよぉ」


 二本の前歯を見せて高い声を出した。残念な感じだが正直だからギリギリ愛されるキャラ。


「ふん、地元のチームは〝マウンツ〟だな。隠す必要なんかない。スティグマの傘下だってのは知ってるんだろ?」


「……そ、そうでしたか! 失礼しました。自分、下っ端なもんでぇ」


 しまった。上下関係がしっかり叩き込まれている下っ端の感じを出そうとするあまり、下っ端ですという卑屈なワードを入れてしまった。


 自分から、そう言ってしまえば扱われ方も変わってくる。これ以上、こいつから情報をとるのが一気に危険になった。やはり、俺は疲労している。


「で、どこにいる?」


「は、はい。やつらは国道469を西に向かっているはずですぅ」


 でたらめですけど。アホだから嘘がつけない感じ、凄い出た。


「林道に入りゃ、逃げ切れるとでも思ってるのか。お前はアンドロイド狩りに加わらないのか?」


「もちろん、行きたいです……でも、靴も買えない最低賃金なのですぅ」


「ふっ、先立つもんがないとな」黒スーツは長財布から一万円を抜いて、俺に渡した。


「も、貰えませんよぉ、そんな大金」


「勘違いすんな。情報料だ、とっとけ」


 情報料という同情票。あるいは、俺のやつれた顔が、お仲間に見えたのかもしれない。ゆっくりと長いお辞儀をしているとキャンピングカーは向きを変えて国道に向かっていった。


 こうされると人間は照れもあって、すぐにその場を離れたくなるものだ。いい気分のまま。


 しかし、このキャラ恐るべし。あんな悪そうなおっさんまでも善人に変えてしまうとは。


         ※



 日没の前に晴れ間が見えたのは、俺の気分を高揚させた。雪だるまのモンスターなんて、どうでも良くなっていた。ズキズキと痛んだ足と、気が滅入る話のせいで自分を責める必要はない。


 すっかり日が落ちた頃、沼津から原に入り兄貴たちのいる旅館に着いた。


「二人ですね。お名前の記入おねがいします」

「はい、先に来てる園田さんと一緒です。自分で行きますから大丈夫です」


 勿論、偽名である。ターミーにはガソリンスタンドで廃棄してあったヘルメットを持たせ、雨ガッパを着せていた。脱がさなければ少し体格のいい人間に見えなくもない。


 注視すれば歩き方からアンドロイドだというのは一目瞭然ではあったが、念の為に偽名を使い、人間四人で宿泊しているように偽装した。


 兄弟の宿泊している和室に着くと二人とも大人しく寝ていた。


 熱いシャワーを浴びて、ごろ寝しながらコンビニで買った弁当を食べる。やっと、ひと息ついて布団に潜り込んだ。



「……俺達、逮捕されるのかな」横になったまま、たかしの声がした。しばらく前から起きていたようだ。


「されないよ」


 暖色系の天井照明を消灯すると、しばらく優しい光を放っていた。ほんのりと和紙と畳の匂いがして、壊れかけた肉体と精神が癒されていく。ああ、温かい布団がきもちいい。


「なんで?」たかしが言う。少し面倒臭いが、仕方ない。


「公務で襲ってきたようには見えないだろ。あの警官の目的はターミーの破壊ってことで間違いない。親父の手紙には耐久力とか持久力のデータを摂りたいと書いてあったが、もう少し特許技術とか、機密データみたいのが絡んでいるのかもしれない」


「その情報を掴んだ遠藤は、個人的に研究を盗みにきたってこと?」


「まあ、そう考えてるのは遠藤だけじゃないみたいだ。あのままコースを変えず向かった先には〝スティグマ〟と〝マウンツ〟というチームが待ち受けていた」


「おまえ、よく無事だったな」長男も話に加わったので、俺はガソリンスタンドでの件を説明した。


 連中の目的もターミーの破壊と考えていいだろう。どしゃ降りで視界がぼやけていたから、なんとか抜けてこれた。間抜けな感じの雪だるまキャラを演じたことは割愛した。


 アンドロイドに雨カッパを着せて変装させたまま歩いてきたが、追ってくる者はいなかった。遠藤が単独で襲ってきたことを考えれば警察は、俺達を追っていないと推定できる。


 親父が財産を譲ってもいいと思える技術なのかデータなのかが、このアンドロイドにはあるのかもしれない。親父に反目している俺達には何一つ理解出来なかった。

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