第4話 男子大学生の場合 後編

 星井くんから彼女になる予定の茂手瑠加奈の特徴や性格を聞いたり、現在の二人の関係性を聞いたり、洗濯物を洗濯機にかけたりやベランダを見たりしたあと、作業が始まった。


 聞く限り、ただの先輩と後輩というだけの関係だ。大学ではほぼ毎日会っていて、サークル中は頻繁に会話しているようだが、二人で食事やデートをしたこともないし、スマホでメッセージのやり取りをしょっちゅうしているわけでもない。ここからどうするのか。私は開き直って最後まで楽しむことにした。物干師さんは質問をしながらずっとメモを取っていた。


「今回は、洗濯物をオオオ、『部屋干し』にしまアアアアーーーーーースッ!!」

 相変わらず物干師さんは急にテンションが変わる。ホントおっかない。普段穏やかな人がキレると怖いっていうけど、普段穏やかな人が急にハイテンションになるのも同じくらい怖い。


「ヘヤボシイエエエエーーーースッ!!」

 星井、お前もかよ。


「ベランダも見せていただきましたが、隣のマンションが近く、十分な日当たりを確保できなそうでした。加えて大通りもすぐそこですので排気ガスの影響も考えた結果です」

 いつものように物干師さんが話し始めた。星井くんも表情を変えずに聞いている。さっきの雄叫びはスルーなんですね。


「部屋干しというと外が雨だったときに仕方なく、というイメージがありますが間違いです。正しく部屋干しすれば、外の排気ガスや花粉が付くことも、紫外線で変色することもありません。排気ガスの多い場所や花粉の多い季節、砂埃が舞うような風の強い日は部屋干しの方がおススメです。星井さん、こちらのハンガーラックお借りしますね」


 服を掛けているラックを部屋の中央に持ってくる。そしてパーカーやコートなど、元々掛けてあった服を外して部屋の端へ綺麗に畳んで重ねた。


「幸いにして星井さんが使っている洗剤は部屋干し用でしたので、生乾きの変な臭いになることはあまりないでしょう。もし普通の洗剤を使っていたとしても五時間以内に乾かすことさえできれば、臭いはほぼ防げます。そのために重要なのは三つです」


 物干師さんの踊るような干し方が始まった。籠から洗濯物を取り出すと一瞬で広げ、それと同時に洗濯ばさみに吊るしていく。やはり目を奪われる。瞬く間に洗濯物がアーチ状に干された。


「ひとつ目は外と同じようにアーチ状に干すこと。これは見ての通りです。ふたつ目は空気の流れがよいところに干すこと。よくカーテンレールに干す方がいらっしゃいますが、カーテンレールのある窓付近というのは部屋の中でも湿気の多い場所なのです。部屋の中で最も乾きにくいと言えるでしょう。反対に乾きやすいのはここ、部屋の真ん中です。中央にハンガーラックを使って干し、可能ならば扇風機の風などを当てるのがよい干し方です」


 扇風機ありますか、と物干師さんが尋ねると、星井さんがクローゼットから扇風機を持ってきた。ちらっと見えたがクローゼットの中もめっちゃ整頓されている。私の部屋のクローゼットなんて魔境なのに。この前ようやく部屋の見えるところだけ綺麗にしたくらいだ。クローゼットは何もしていない。


「そしてみっつ目。こちらです」

 物干師さんがスーツのポケットから小さなビンを取り出した。香水みたいにプッシュして霧状に発射できる、アトマイザーというやつだ。それを洗濯物に数回吹きかける。気になって私は尋ねた。

「今かけたの、何です?」

「これは服の香りづけです。普通は柔軟剤や香るビーズなどを入れて洗濯機をかけます。今回は私が特製の香りを用意したので、それをかけさせていただきました。これは洗濯機に入れていいものではありません。ですから干すときに直接吹きかけます」


 言われてみれば新鮮なレモンに似た香りが鼻をくすぐる。好感の持てる匂いだ。しかし……。


「さあ、星井さん、これにて物干しは終了です。あとはこちらに干している服を着て彼女に会ってください。そうすれば一ヶ月以内に付き合うことができますよ」


「え? あ、は、はい。もう、終わりですか?」

 さすがに星井くんも戸惑っている。それはそうだろう。特別なことは何もしていない。いや最後に謎の液体はかけていたけど。

「はい、終わりです。このスプレーの効果が本日含めて三日間なので、明日か明後日には会うようにしてくだされば大丈夫です」


 確かにいい香りはした。しかし、これでは無理だ。所詮「ちょっとフレグランスに気を使っている男」くらいにしかならない。物干師さんのことだから特別な惚れ薬でも入っているかもしれないとも思ったけど、女である私が「いい匂い」としか思えないんだからその線もなさそうだ。ああ、やっぱりただのインチキ変態だったよ。声には出さないけど謝る。星井くんゴメン!


 最後にインチキ変態さんが重要な請求書と服のメンテナンス方法です、と言って数枚の紙を渡し、そのまま星井くんのアパートを後にした。


 行きと違って私もインチキ変態さんも口数が少なかったように感じる。私も物干師さんを責めていいのか関わらないようにしたらいいのかわからず、駅でそのまま別れた。


 それから一ヶ月後だった。物干師さんから三通のメッセージが来た。


 一通目は次の依頼に同行できるか。


 二通目は、星井くんと茂手瑠さんが付き合ったということ。


 三通目は、そのふたりが笑顔で写っている自撮り写真だった。


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