第30話 この半年を忘れない(藤子視点)

 この世のすべては、人知の及ばぬなにがしかによってあらかじめ決められている。そう思うほど、わしは運命論者ではない。しかし、己の価値観や生き様に影響を受けるほどの出会いにふと運命を感じるほどには、人間をやめてもいない。


 なぜって、そもそも偶然であったのだ。小学校という場所に、小学生として潜り込むという判断をしたのは。

 普段であれば、そんな面倒なことはしない。大人に混じることなど造作もないし、仮にそれが難しい環境であっても姿を消して潜り込んでしまえる。それだけの技術がわしにはあるのだから。


 しかし今回は、ちと勝手が違った。名もなき傍系とはいえ、邪神の落とし子が封じられた土地の真上に小学校が建っていたのだ。


 これには心底驚いた。それを警告する民話は存在していたはずだが、すっかり忘れられてしまったらしい。

 いくらわしが悪魔の子とはいえ、大勢の子供を見捨てるほど腐ってはいない。これはまずい、早急になんとかせねばと思った。


 しかし、わしも全能ではない。ここ最近の柊市は諸々あってかなりの魔境となりつつあり、倒すべき敵は他にもたくさんいた。それらすべてを同時に相手取りながら、しかも校舎内にいる児童すべてを守ることは、さすがのわしでも不可能であった。

 であれば、万全の態勢を敷くにはやはり直接乗り込んで、児童らを直接見守りながら少しずつやっていくしかない。そう考えて、今回初めて小学校という場所に入ったのだ。


 とはいえ、それだけを考えていたわけでもないのは、白状せねばならんだろう。何せそれだけなら、あえて小学生をやる必要性はないのだから。


 なぜか? それを語るために一つ、わしの話をしよう。


 わしの人生を振り返ったとき、そこにはおよそ平穏と呼べるものはほとんどない。

 皆無であったとは言わぬ。しかし生きた年月と比較して見れば、それはごくわずかだと言う他ない。


 生まれたときから命を命とも思わぬ悪魔の所業にさらされ、過酷な幼少期を過ごした。恐らく、何かの拍子に一つでも選択を間違えたら、わしは今生きてはいないだろう。そんな幼少期であった。

 そしてそのくびきから離れたあとも、この星を襲う怪異とひたすら戦い続けてきた。それは日本だけにとどまらず、世界全体――地底や海底すら含む、文字通りこの星の全域である――を渡り歩いた。


 一度……一度だけ、一つところに留まって愛というものについて教わったこともあったが、それはともかく。


 戦って、倒して、次の土地に移り、また戦って……わしはそうやって生きてきた。


 ただし勘違いしてほしくないのじゃが、わしはそんな己の生き方に後悔しておらぬ。その選択を悔いたことなど、ただの一度もない。神々にそうあれかしと望まれたとはいえ、それは確かに自ら選んだ道なのだから。


 しかし、じゃ。

 未練がないとは言わぬ。


 もしも……と、考えても詮ないことではあるが、それでも。

 もしも、わしが魔法など預かり知らぬ生まれであったなら。あるいは魔法使いの家柄であっても、他と同様悪魔に育てられなければ。

 そんな想いを抱いたことは、一度や二度ではなかった。


 だから、今回の主敵の一つが小学校の下に眠っていると知ったとき、これは良い機会だと思った。思ってしまったのだ。

 少しの間でいい。選ばなかった生き方を……ごく普通の人間の暮らしを、してみたいと。そのように。


 ……話を戻そう。


 先述のようなことを考えて、その通りに小学校へと踏み込んだわしであったが、結果的に出会いに恵まれた。

 とはいえ、さすがに初日にいきなり、魔法のことが露見するとは思っておらんかったのじゃが。


 いや、それ自体は構わない。どこに行っても、怪異と戦う以上はどれだけ気をつけていても気づかれることはあるからな。


 しかしわしは最強の魔法使い。これは自他共に認める厳然たる事実であり、わしに傷を負わすことさえ、多くの魔法使いにはかなわない。

 ゆえにこそわしにしか倒せぬ怪異は多く……そして、それをこともなげに成すわしが恐れられ、避けられることは日常茶飯事であった。

 そして逆はほとんどない。わしが一つの土地に長くとどまらないのは、そういうところもあるのじゃが……。


「じゃあ光さんは正義の魔法少女なんだね! かわいいのにかっこいいなぁ……!」


 まさか、ほとんど初対面の人間にそんなことを言われるとは、夢にも思っていなかった。であれば運命というものもあるのではないかと思うのも、仕方ないとは思わんか?


 ともあれ、改めて思う。そうやって何の臆面もなくわしに称賛を送れる泉美だからこそ、わしは惹かれたのじゃろう。勘違いも多少あるとはいえ、それでも全幅の信頼を寄せられることが、これほど嬉しいこととは思わなかったから。


 そしてそれは、いつしか三人に増えた。他の二人にはいささか口やかましく言ってしまったと思っていたのに、わしを慕ってくれたこともまた予想外で、存外子供というのも馬鹿にできんなと気づかされたものじゃ。

 泉美に至っては、わしが悪魔の子であると告白してもなお、疑問を押し込んで深く聞かないでいてくれた。あまり聞かれたくないところであったから、彼女の子供らしからぬ配慮は本当にありがたかった


 そしてそんな三人から、わしは今までどれほど浮世離れした生活をしていたかを教えられることになる。


 娯楽らしい娯楽など、今までほとんど知らずに生きてきた。将棋や囲碁、あるいは詩歌などは嗜むが、それはどちらかと言えば教養の一環として覚えた面が強く、娯楽という感覚はほとんどなかった。

 だから画面の中で煌めく夢想の世界たちは、何もかもが魅力的に見えた。展開されるたくさんの物語も、世界の誰かと技術を競うことも、すべてが新鮮で……夢中になるのに時間はかからなかった。


 衣服など、戦うために強化されたものさえあればなんでもよかった。見た目の好き嫌いがなかったとは言わぬが、さりとてそこにこだわって時間をかける必要性はまったく感じていなかった。

 だから着飾られた己を見て、これほど奥の深い世界があったのかと密かに驚愕した。組み合わせ次第でまったく印象が変わる趣の深さたるや、無限大ではないかとさえ思った。


 規則を覚え、学ぶことなど、それこそわしにとって無用であった。力さえあれば道理が引っ込む魔法界において、世界最強のわしが誰かに合わせることは不合理だとさえ思っていた。

 だから押し通すより、無理に押し通すよりも抜け道を通るほうが最終的に面倒ごとが減ったのには、感動すら覚えた。社会を作り、規則で縛る人間の本質さえ見えた気がした。


 ……泉美たちからすれば、わしに教えたことなどどれもこれも大したことではなかったじゃろう。

 実際その通りじゃ。何せしていたことと言えば、ゲームをしたり、服を着せ替え合ったり、勉強を見たり……あるいは、ただ際限なく話し込んでいただけで。その程度のことばかりであった。それらはきっと、彼女たちにしてみれば普段と何も変わらぬ、いつもの生活の一部であったことじゃろう。


 しかしわしにとってはすべてが初めてのことばかりで物珍しく、刺激的であったのだ。

 ましてや、気心の知れた友と一緒にするなど、今までほとんど独りで生きてきたわしにとって何よりも楽しい時間であった。彼女たちと過ごした『普通の時間』は、そのすべてが黄金よりもなお価値があると、素直に思う。


 だからこそ、泉美はわしに魔法をかけられたと言ったが、それこそわしの気持ちなのだ。わしこそ魔法にかけられたのだ。


 とはいえ、どうしたところでわしが戦いの中に生きる魔法使いであることは変えようがない。わしにしかできぬことがある。わしでなければできぬことがある。なれば、いつまでも平和な夢を見ているわけにはいかない。

 そう。童話にあるように、かけられた魔法はいずれ解けることが定め。わしは夢から覚めて、わしはわしの日常に……戦いの中に戻らねばならない。


 それでも、この半年間をなかったことにしようとは思うまい。そんなことをしては、泉美たちに失礼というものじゃ。


 じゃから、別れはつらいものじゃが。それでも次を信じて、わしは笑った。


「泉美! 樹里愛! 奏! ……また会おう!」

「うん! また会おうね、ひーちゃん!」

「ああ! 絶対だぞ!」

「ええ! 約束よ!」

「おうとも!」


 そうだ、これは約束じゃ。


 果たせる日がいつになるかはわからない。わからないが、わしはお主たちと過ごしたこの半年を、絶対に忘れないから……だからいつか、きっとこの四人でまた会おう。


 なあ、我が無二の友たちよ。

 わしはそのときを、楽しみに待っておるぞ。

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