#3 相反 Ⅴ
僕が彼を蹂躙しようとすることを、シェリルはどう思うのだろうか。
シェリルが僕にぶつけた言葉。
「今回はあたしが何とかする。これはあたしの問題だから。ロランは手を出さないで」
至極まっとうな判断だ。あくまでも僕は部外者。突然現れた闖入者。シェリルにとっては迷惑な奴でしかない。
だから、今僕が行っていることは、鬱憤を晴らすだけの行為だ。完全な逸脱行為だ。抑えるのが最も賢く、合理的であることは言うまでもない。
けれど、魔法は僕の手から離れていく。
シェリルは、思い通りにならなかったことに、また怒るのだろうか。
――いや、やめよう。どうせお互い、自分の望むように条件分岐を辿っただけだ。今まではたまたま、向いている方角が似通っていただけのこと。それが乖離しはじめたからといって、別段抗う必要はない。本来の僕は、誰かに伺いを立てて生きるような、出来た人間ではない。
いつしかエイナルは悪態を吐かなくなった。警棒を振って勢いをつけ、身を翻すだけ。
狙い通りだ。
風速はおよそ一マイル時。爆風に及ぶ影響はさほどない。エイナルの前方、二次の方向で青紫色の炎が揺れた。彼は僕から視線を外さないまま、横に退避する――ことが予想される。
地面に生まれる等間隔の点をイメージする。脳内の映像は魔力で実現され、金色の結晶が紫の光へと姿を変えながら直線的に燃え上がった。小爆発は途切れることなく、
逃げ道をふさがれたエイナルにできることは二つしかない。意図的にあけられた逃げ道に身をねじ込むか、諦めて爆発に巻き込まれるか。仮にエイナルが前者を選び続けたとしても、じきに僕の攻撃を避けられなくなる。やがて渦は正円へ変わった。エイナルは炎に囲まれて行動を停止する。手詰まりだ。
「どいつもこいつも調子に乗りやがって! ドラゴンが、下等生物擁護のカルトどもが、俺ら竜災対策軍に歯向かっていいはずがねえだろうが!」
最後の足掻きとでもいわんばかりの必死さだ。何が変わるでもないのに、エイナルが僕を執拗に謗る必要があるだろうか。どこまでも荒唐無稽で笑える。
「僕は調子に乗っていません。そしてこれは、僕がドラゴンであることにも、親の立場にも依らない問題です。僕はエイナルさん個人を攻撃しているにすぎません。シェリルの安全を確保するためには、エイナルさんが邪魔だった。そういうものです」
「クソ……クソォオオ!!」
エイナルの足元に、セコイアの葉に似た金色の結晶を伸ばす。彼は昨年の騒動でよく理解しているのか、結晶に触れないようゆっくりと体勢を変えた。
これをほんの少しだけ爆発させてやれば、地雷くらいの威力は出る。細かな威力の調整は僕次第だ。
「エイナルさん。殺すつもりはありませんが、僕の制御が正確だという保証もありません。そのときは悪しからず」
「テメエ、ふざけんな! 何が悪しからずだ!」
「ふざけていませんよ。僕はただ――」
その時、唐突に声が聞こえてきた。
「よし、パッと行ってパッと仲裁してくるか。ロラン君がエイナルにとどめを刺す前にな」
悠々と伸びをしながら、その人は「僕らを仲裁する」と言った。細身の男性だ。黒いフードを目深に被っており、顔は霞んでいて認識できない。けれど歪みも無駄もない足運びとあの声は、彼のもので間違いない。
彼の名はおそらく、アルマス・ヴァルコイネン。千三百年という長い時を生き、この場の誰よりも力を持つドラゴンである。
「……先生」
「エイナル無事か。派手にやられたな」
エイナルはアルマスさんを先生と呼んで歯軋りをする。生存確認を終えると、アルマスさんは視線を僕に向けた。
「お二人は知り合いですか?」
「そいつの出自を考えれば、おかしなことでもあるまい」
アルマスさんはエイナルを指す。竜災対策軍か。
「分かりました、これ以上詮索はしません。時間の無駄です」
アルマスさんは大仰に頷き、声のトーンを一段下げる。威嚇のつもりだろうか。
「そうかいそうかい。時間の無駄か。ロラン君は随分とご立腹の様子だな。俺は詳しい経緯は知らないが、その魔法を起動するのだけはやめとけ。確実にエイナルが死ぬ」
「アルマスさん。申し訳ありませんが、あなたの言う通りにはできません。お引き取り願います」
彼は黒い手袋をはめながら歩み寄ってくる。力ずくで僕を止めるつもりだろうか。アルマスさんは小さく溜息を吐くと、もう一度警告を発した。
「ロラン君の都合は知らん。その魔法を起動させるな。分かったらエイナルを解放しろ」
どんなに強く言われようと、従うわけにはいかない。エイナルがシェリルに危害を及ぼす可能性があるのなら、ここで潰しておくべきだ。
「解放しません」
「ああはいはい。じゃあ
アルマスさんは小石ほどの大きさの何かを投擲した。ほとんど直線で飛んでくる透明な物体は――視認できても当たる。
「ヒット。すまんな、ロラン君」
上腕の痛みは、魔法を行使するには致命的な雑念だ。一瞬気を取られただけで、エイナルを囲んでいた炎が激しさを増した。
このままでは僕も巻き込まれる。
咄嗟に魔法を抑え込むと、あっけなく青紫色の包囲網は崩れてしまった。そこへ、横薙ぎに迫る警棒。防がなければ僕は側頭を打たれることになる。だがエイナルの動きは速すぎる。
「――やめろ」
しかし凶器は、存外簡単に受け止められた。踊り込んだアルマスさんが、エイナルの振り抜いた警棒を掴んだのだ。
「先生、放してくれよ! 俺はこいつに立場を分からせてやるんだ!」
「駄目だ。やめろ。憂さ晴らしなら後で付き合う」
エイナルは取り戻そうと必死に引っ張っているが、警棒はびくともせず、ついにはアルマスさんに取り上げられた。
「クソ! なんでだよ! 邪魔すんなよ!」
「エイナル、駄目なもんは駄目だ。逃げろ。ほら行け!」
「クソッタレ!!」
アルマスさんの気迫に負けて、エイナルが嫌々踵を返す。前方に投げて寄越された警棒を拾って、校門の方へと走り出した。
これでは勝手が悪い。
炎を滑らせれば、すぐにエイナルの所まで達する。多少強引でもいい。今やれば――
しかし、アルマスさんが指を
であれば、最初に僕がすべきことは、目の前にいるアルマスさんを振り切ることだ。
「……僕としても、邪魔をしないでいただきたい」
「いいや、俺はいくらでも邪魔するぞ。お前には無事でいてほしいからな」
面倒な人だ。僕の決めたことなのだから、僕のやりたいようにさせてくれればいいのに。それとも彼は僕を宥めようとしているに過ぎず、優しい言葉は、エイナルを守るための手段なのかもしれない。
ともあれ理由はなんだっていい。
「それはアルマスさんが個人的に抱いている思いであり、僕には何ら関係のないものです」
アルマスさんは一歩、二歩と距離を取り、僕と向き合う。魔法で隠されていて表情は見えない。それでも凄味だけは伝わってくる。
「ロラン君は冷たいねぇ。だが共感もできる。だからこそ……俺はお前を意地でも止める」
「不快です。干渉しないでください!」
金属片を飛ばす。的はアルマスさんだ。ドラゴンにとっては大した威力じゃないだろう。感覚頼りで魔法思い浮かべる。指向性を持たせ――起爆。金属片が燃える青紫にまじって、鮮やかなオレンジ色の火花が散った。白煙はアルマスさんを覆うように広がる。
が、煙幕を突き破る黒い影。掲げられた黒い手袋の甲では、強く魔法陣が光った。彼は硝子片のように魔法障壁を飛散させながら、素早く距離を詰めてくる。
勝てない。まるで理不尽の権現だ。
ショッピングモールで僕が暴れたと違って、彼はシェリルを守りながら戦っているわけではない。弱点である障壁展開数も、彼個人で戦う分には弱点にならない。シェリルや学校関係者を巻き込まないことを考えると、攻撃の範囲を広げることは難しい。
つまり、僕の出せる力では彼の守りを崩すことは不可能。手詰まりと言っても過言ではない。
違うな――出来ることはある。
僕は自分を守りながら逃げればそれで充分だ。エイナルを追いかけられればなんだっていいのだ。
そしてアルマスさんは『無事でいてほしい』と言った。何をもって無事と定義するのかが不明瞭だが、明らかに無事でなくなるとアルマスさんが判断すれば、彼は僕を守るための行動に出るのではないか。
彼自身を守る魔法と、僕を守るための魔法。同時に使わせれば、それぞれの威力は落ちる。かといって、一つの魔法で守りきろうというのなら、殆どゼロ距離の爆発を抑える必要がある。要求される強度は尋常なものではない。
手のひらに意識を集中する。金色の結晶が融け、凝固し、枝葉を伸ばす。両手で抱えるほどに大きく成長した結晶。ドラゴンの本能のままに魔法を使うのでは、この金属の塊を満足に爆発させることはできない。
ならば別の手段を使おう。彼が魔法障壁で防げる限界まで、威力を引き上げればいい。右腕からの出血量は充分。いざとなれば血を使って爆発を打ち消せる。身を守ることは可能だ。
「
「まさか自滅――」
魔力が体から抜けていくと同時に水が渦を巻いて、胸の前で浮かんでいた金色の結晶を包む。完全に水の中へ飲み込まれた金属片は、瞬間的に青紫色を呈した。
「――爆ぜろ」
刹那の閃光、そして鼓膜に伝わる圧力。爆風は感じない。恐る恐る目を開けると、そこには透明な球があった。易々と爆発を封じ込めたアルマスさんは、まるでダメージを受けていない。からからと笑い声を上げて、僕から手製の爆弾を取り上げる。彼が何やら呪文を唱えると、僕の捨て身の攻撃はあっさりと消滅してしまった。
「ロラン君があんまりにも手段を選ばないんで驚いたよ。だがあと一歩、力が足りない」
勝つことはおろか、彼から逃げる時間さえ稼がせてくれないようだ。仕方ないので殴りかかっても――案の定、拳は空を切る。
「邪魔をしないでください。エイナルを遠ざけることだけが、シェリルの安全を守るために取りうる行動なんです」
「お前は、彼女を幸せにするのに、エイナルを排除する必要があると言いたいんだな。それは理解した」
彼が手を伸ばしてきた。咄嗟に身を引いたが襟を掴まれて首が締まる。一体どんな怪力なのか、全力でもがいても息が吸えない。どころか、腹部を蹴ってもびくともしない。アルマスさんは無言のままだ。
「放して……ください!」
すると、彼はゆっくりと口を開いた。
「なあロラン君。その行動が一番、自分も他人も不幸にしているんじゃないか? 彼女の言う通りにしろよ。それが一番幸せだ」
シェリルを危険に晒して、僕に永遠付き合わせることが幸せ?
あり得ない。絶対にあり得ない。
「それは
「そうか。それがお前の意志か」
アルマスさんは何故か僕を放り出し、俯く。沈黙は既に、僕が逃げ切れるだけの時間続いているはずだ。けれど動けない。魔法も上手く構築できない。
そして、静かな呼吸の合間に、言葉が聞こえた。
「知ったことか」
吐き棄てるような響きに一瞬、体が硬直する。その隙に接近してきた彼が、僕の背中に腕を回した。すると突然圧迫感が押し寄せ、空気が肺から出ていく。しばらく経って、胃から持ち上がる悪寒と強烈な重力がやって来る。何とか視認できたのは、握られた彼の拳だ。
理不尽に抗う力を望んだのに、結局僕は何もできなかった。シェリルのためになることなんて、これっぽっちも出来なかった。
「――分かってくれ。俺が勝手に姉さんの幸せを願ったところで、自己満足に過ぎなかったんだよ」
視界が暗くなった後、アルマスさんの呟きだけがやけにはっきり聞こえた。
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