#3 相反 Ⅰ

 僕は非合理なことばかりしている。それも間断なく。

 例えば、昨日の電話などがそうだ。勿論もちろんシェリルからの着信があったことは知っている。鳴動せずとも、目に入る場所で発光した携帯端末に気づかないはずがない。

 だが僕は応答する気になれなかった。ただ一言、「行かない」と伝えればいいだけだ。なのに、僕はそれをしなかった。

 散々な体たらくだ。街から出てシェリルと離れるつもりで、やっていることは真逆。僕は彼女に断りの電話一つできないし、一緒に居たいと言われれば保留などと口走る。僕はいい加減、現実を見るべきなのだ。

 夢に浸るのは今日で終わりにしよう。これが最後だ。

 ――こうやって学食の喧騒の中で決意するのは、今日だけで四回目になるかもしれない。

 昨日ショッピングモールで暴れた僕を助けたのは、遥か昔からこの街に生きるドラゴン、アルマス・ヴァルコイネンだった。何かと恐れられてはいるが、その実、彼は面倒見のいい人である。僕が興味を示すと、古代魔法の資料を大量に与えてくれた。

 きっと気分転換になる。そう思って、三十分前までは彼に貰った本を自室で眺めていた。けれど本を開く気にはなれなくて、日付をまたいで真っ昼間になるまで、ずっと表紙の装飾を見ていた。ふと我に返って確認した携帯端末は、午前十一時二十五分十七秒。残念ながら休日ではなく、午前の授業が終わるだろう時間だった。

 どこをどう歩いてきたのか覚えていないが、僕はいつの間にか高校に到着していた。そして今は、何故か学食の掲示物を見つめている。かれこれ三分半はこうしている気がする。どの掲示も暗記してしまったし、僕に関係のある内容のものはほぼ皆無だ。

 思えば、脇腹をくすぐられているというのも謎だ。

「ロラン、遅い」

「ああ……シェリルか」

 いや、シェリルだ。

 それを認識すると一気に頭が冴えた。盗難されたタブレット端末についての貼り紙なんか、読んでいる場合じゃない。

 隠れていたわけではないが――それにしたってあっさりと、僕はシェリルに見つかってしまった。授業開始時刻に滑り込めばよかったものを、どうして僕は学食に来てしまったのだろうか。

「シェリルだけど。それどういう反応? まあ学校でシェリルって呼んでくれるのは素直に嬉しいな。ね? ローレント・D・ハーグナウアー君」

「……こんにちは、キングストンさん」

 言い直しても後の祭りか。周りは今にも僕を射殺しそうなくらいの熱視線を送ってくる。シェリルの方はというと、周囲の目などまるで意に介さず、腕組をして立ちはだかった。

「ねえ、そこはシェリルでしょ。シェリルって呼んで」

「キングストンさん。これでいいですか」

 全く不毛なやりとりだ。シェリルと呼ばなければ延々と突っかかられるだろう。かといって、次にシェリルなんて安易に呼ぼうものなら、観衆が黙っていない。私刑確定だ。

「何でそんなに遠慮するの? 昨日だってシェリルって呼んでくれたし、あたしのカラダ見たり、抱き合ったりした仲なのに。お揃いのピアスまで」

「ちょっ、いやそれは」

 シェリルが耳たぶに触れる仕草をすると、近辺の席にいた人々が波打った。動いたのはシェリルなのに、周囲の目は僕に注がれている気がする。殺気のようにも思える視線だ。だが弁明するに足る言葉がどうにも出てこない。

 シェリルの言葉は嘘じゃない。僕もそれらが事実であることは記憶している。しかし情報の選別があまりにも意図的だ。シェリルは周りに誤解させるつもりでやっているのだろう。これはすぐさま逃げ帰った方がよさそうだ。分が悪いにも程がある。

「キングストンさん、そのような言い方ではみなさんを勘違いさせてしまいますよ。前後の出来事を抜きにしないでください。では僕は」

「へぇえ、そうですかそうですか。ではハーグナウアー君、お望み通り語ってあげましょうか? 昨日はハーグナウアー君と映画デートをするために」

「え、シェ……キングストンさん!?」

 その言い方は駄目だ。そう表現されるのは非常にまずい。デートではなかったなんて、どれだけ説明しても理解してもらえるはずが無い。というかもう既にまずい。噂が学校中に流れたら、僕はどうなってしまうのだろうか。

 仕方がない。絶大な影響力をもつシェリルと和解する道を選ぼう。学園女王の庇護を受けられるか否かは、僕のような有象無象にとって切実な問題だ。

「ご要望は何でしょうか。僕の態度がキングストンさんを不快にさせてしまったことは理解しました。その償いに何か、僕にできることがあるのなら是非お教えください」

「保留中の返事。承諾して」

 やはりそうきたか。だが堕ちたドラゴンの傍に居るなど言語道断。和解も大事だが、嘘はつきたくないので断るしかない。

「残念ながら、その件に関しましては」

「じゃあいい。ところで、放課後はちゃんと待っててね。教室に迎えに行くから」

 シェリルは珍しく引き下がった。そしてすぐに話題を変える。昨日の電話のことだ。

 今日の放課後、僕は髪を切られ、服を選んでもらうことになるらしい。昨日の今日でまた堕ちるということもないだろうし、付き合っても問題ないだろう。これで最後にすればいいのだ。

「放課後ですか。構いませんよ。しかし、本音を言うと散髪や服選びに必要性を感じません」

「必要あるでしょ! 服ダサいし、前髪長すぎ」

 シェリルは勢いよく叫ぶ。前髪、長いだろうか? 視界はさほど悪くないが――

「ああもう、それが駄目なの! ロランの癖! 考えるとき、注目されたとき、休み時間、必ず前髪で目を隠すの! 駄目でしょ! 目が悪くなっちゃうってお父さんに言われなかったの!?」

 シェリルが僕の手を無理やり下ろそうとしてくる。そんなにも僕の視力のことを思ってくれているのだろうか。だが最近は目が良すぎて困るほど。ドラゴンの瞳は人間のそれとは違った仕組みなのだから、シェリルのそれは要らぬ心配だ。

「ドラゴンに成ったので、もう視力が低下することはありません」

「でも気に入らないから切る」

 シェリルの超理論は、今日も鳴りを潜めてくれない。髪型にこだわりはないので、僕が妥協すればいいだけの話なのだが。

「わかりました。放課後、教室にて待機しています」

「よろしい」

 シェリルは大きく頷いた。それで用事は済んだのか、シェリルは軽やかな足取りで定位置へ向かう。そして何やら一人で呟きだした。やけにはっきりした独り言だ。

「それと、他にもいくつかお願いがあるから聞いてね。ちゃんと償ってくれないと、あたし泣いちゃ」

 後ろの遠くから聞こえていたシェリルの言葉が、不自然な所で止んだ。代わりに大きな足音が迫ってき――

「いい加減にしろよ、ばか!!」

 瞬間。背中に衝撃が走り、首が慣性に引っ張られて勢いよく揺れる。

「ぐぇっ、いっ、た……。え、な、なに?」

 耐え切れず前方に倒れこむが、視界の揺れは収まらない。しかも首が痛いし動かない。ドラゴンの治癒力がすぐに回復してくれるとしても、やっていいことと悪いことがある。誰だこんな暴力を振るうのは。

「なんでそっちの席に行くの? こっち来る流れでしょ? 『ご要望は』って言ったのロランじゃん!! まだあるんだけど、要望!」

「そんなの知らないって! 流れなんて理解できるわけないだろ!!」

 酷い無茶ぶりだ。僕を膝らしきもので押さえつけているシェリルは、憤慨してなおも叫ぶ。

「理解しろよ!」

「無理だって!」

「ばか、ほんとばか!」

 その時、シェリルの親友の声がやけに大きく響いた。

「へぇ、畏まってないディー氏、久しぶりに見たよ。面白いね」

 僕のことを『ディー氏ミスターD』なんて呼ぶのは、クロエしかいない。痛みをこらえて見上げると、前方で手を差し伸べるのはやはりクロエだ。彼女の手を借りて、僕はシェリルの下からやっと解放される。

「僕は畏まっていますか? そんなつもりは無いんですが」

「いや十分ガチガチでしょ。やっぱ面白い」

 僕が立ち上がったのを確認すると、クロエはにやりと笑う。面白いことなんて一切ないように思うのだが、それでも彼女は譲らない。黒髪の一部に紫色を入れているくらいの人だ。その感性は僕が推し量れるようなものではないのだろう。

「ねえ! 何でロランの味方するの!? まさかクロエ、ロランを横取りする気!?」

「別に」

 僕らが話していると、シェリルは割り込んできてクロエを揺する。相変わらずの騒がしさだ。それでもクロエは気にする素振りを見せない。

 これは好機だ。なすりつけるようで申し訳ないが、シェリルの相手はクロエに任せてしまおう。僕が約束しているのは放課後だけだ。

「では今度こそ失礼させていただきま――」

 だが現実はそんなに甘くない。

 小グループを引き連れて、こちらへ向かってくる人物がいる。

「よお、シェリル。さっきメッセージで送って来た『特別な用事』って何?」

「ジェイ、待ってたよ! それとロラン捕まえといて!」

「え、捕まえんの?」

 ジェイと呼ばれた彼は、バッシュのグリップを活かして大きく踏み出す。瞬く間に僕と彼の距離が詰まった。だが彼がどんなに手強くても、僕は止められるわけにはいかない。学食で走るなんてあまり褒められたことではないが、今回ばかりは致し方ない。

 対峙した瞬間、彼の手が僕の上着に近づく。右手を大きく伸ばしているが――本命は左手だろう。身を低くして上半身をねじれば、上着の裾が彼の手に触れることはない。やや体が頭についてこないのを差し引いても、確実に回避できる。

 彼の右手の軌道の外に――何とか飛び込む。僕の予想通り、彼の手は空を切った。後は出口を目指すだけだ。

「おい、待てよ! つか早え!」

「申し訳ありませんが待ちません! 放課後の約束は必ず履行しますので!」

 出口ドアまで目測であと三十三フィートほど。自動ドアが厄介だが、建物の外に人が居る。丁度良く開いてくれるだろう。

 しかし、自動ドアは反応しなかった。

「まずい」

 革靴で制動をかけ――大きく滑るが、寸前でなんとか止まる。僕に気づいたセンサが淡く光って、ドアはゆっくりと隙間を作った。

 だが、もう手遅れだ。

「っと、捕まえた」

 追いついた彼が、僕の腕をしっかりと捕捉している。下手に抵抗すれば怪我をさせかねない。つまり完全敗北というわけだ。

 口からは、いつの間にか溜息が漏れ出していた。そうこうしているうちにシェリルとクロエもやってくる。隣に立ったシェリルは、僕の手を握りつぶさんばかりに掴んで引っ張ってきた。

「ロラン、ジェイ、クロエ。作戦会議はじめるよ」

 ああ、やっぱり僕は非合理だ。学食になんて来なければよかった。

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