#2 過渡 Ⅲ

 また、逃げられた。

 あたしの方がずっと、お互いのことを考えて主張しているのに。学園女王シェリル・キングストンの提案を断るなんて、マジで何考えてんの?

 でも、文句を言っても仕方ない。今は停戦中で、そもそもここにロランはいない。豪華なバスルームで体を綺麗にしているとこ。

 束になった赤毛は頬に張り付いて、隙間から切れ長の目が覗く。青紫の瞳はどこまでも純粋で、それでいて蠱惑こわく的。きめの細かい肌を伝って、水滴が滑り落ちる。レモンのような、チョコレートのような妖しい魔力の香りが、濡れるほどに強く香って――

「んー! ロランと一緒にお風呂入りたかったぁー‼」

 ボロボロの服はアルマスが魔法で直しちゃったし、ロラン髪を乾かして戻ってくるから、期待したって無駄だろうけど。いつも通りダサいロランになって帰ってくる。とりあえずいい匂いだけ堪能しよう。

「俺にはとんでもなく嫌がられてたように見えたんだが、お前ら一体どういう関係なの?」

「もちろん将来を誓い合った仲だよ。それ以外ある? ないよね」

「……すまない、野暮なことを聞いた」

 目の前で冷凍のマッシュポテトを頬張るアルマスは、皿へ視線を落とした。そんな反応するなら聞かなきゃいいのに。

 アルマスに案内されて入った家は、家というよりはホテルみたいだった。それも超高級なとこ。内装がモノトーンで統一感があって、廊下の床はガラス張り、透けて見えるのは水面。本当にレベル違いすぎ。

 あたしが座っているソファも何人掛けか分からないくらい長いし、たぶん本革。海が一望できて、めちゃくちゃ眺めもいい。てか客間広すぎ。

 あたしがアルマスの質問を一蹴すると、その後は沈黙が続く。暇だから携帯端末を見てみるけど、メッセージも投稿も目が滑るだけで頭に入ってこない。

 ムカつくことに、アルマスの質問は実は野暮でも何でもない。

 あたしはこのまま押し切っていいのか、それとも引いた方が良いのか。

 ロランは人に頼りたがらない。人と親しくなろうとしない。多分それは、いじめとか離婚騒動とかが関係している。

 けれどロランをいじめている奴はあたしと違うし、あたしはロランのお母さんじゃないから突き放したりしない。二人三脚でも肩車でも何でもいいから、安心してあたしに頼ってくれればいいのに。いっそ既成事実でも作って責任で縛れば万事解決かも。ひとまず捕まえておくことはできる。

 ただ、それがロランのためになるのかは分からない。

 ロランと一緒にいない方がいいなら、あたしはこの恋心を押し込めてでも身を引かなきゃいけない。

 離れたらロランはどんどん孤独になっていくから、見過ごせない。けどロランは離れてほしい、って言う。

「ねえアルマス、どっちの方が良いと思う?」

「ふぇ⁉」

 静かにマッシュポテトを食べていたアルマスは、不意を突かれて変な声を出す。何でそんなに怯えているんだろう。

「アルマスは、あたしがロランと一緒にいるのと、離れるのと。どっちがいいと思う?」

 アルマスはゆっくり口の中を空にすると、溜息を吐いた。

「そういう話は俺としたってしょうがないだろう。ロラン君と二人で話せ」

「そんなの分かってるよ。アルマスが傷つくことは予想できるけど、教えて。アルマスが大切な人にしてほしかったことって何?」

 その瞬間、アルマスの持っていた皿に亀裂が入る。彼はすぐに我に返って、テーブルにゆっくりと皿を置いた。

 数秒、彼は手で顔を覆って黙り込む。深く吐いた息が震えている。あまりにも酷な問いだったかもしれない。

 でもアルマスは、予想に反して笑顔を作った。

「俺は、一緒にいてほしかったよ。これは単なる我が儘だけどな」

 目が笑ってない。

 嘘なのか、それとも単に誤魔化したいだけの笑顔なのかはまだ分からない。でも単なる告白じゃない。この発言には何か裏がある。あたしの思い過ごしかもしれないけど、さっき「今後とも」って言ったのも、妙に引っかかる。

「無理やりにでも一緒に居てやれ。それはそれで辛いこともあるだろうが、支えてやってほしい。俺も協力するから、お前はちゃんとロラン君の手綱握っとけ。再び堕ちないように、堕ちても正気を取り戻せるように、な」

「でも不都合も多いよね?」

 今は、情報をできるだけ引き出すしかない。彼の狙いを掴むんだ。

 アルマスは、さっきよりは自然な表情になって語る。

「多いぞ。一番辛いのは寿命の差だろうな。お前は知っているか? ドラゴンの寿命」

 社会の授業で聞いたことがある。確か――

「決まった寿命は無いんじゃなかったけ。平均取るのもばかばかしくなるくらい、ばらつきがあるって聞くけど。病気とか事故とかでしか死なないとか」

 するとアルマスは失笑する。なんかむかつくけど、三大古竜とか呼ばれて教科書に載るくらいの人だから、彼に言わせてみればおかしな常識なのかも。

「無いわけないだろう。誰にだって限界点はあるさ。事故やら病気やらがなくても、死ぬときは死ぬ。命が尽きれば平等にさようならだ」

 でもアルマスの言葉には強い違和感がある。

「じゃあ、なんでアルマスは千三百年も生きてるの?」

「よく知っているな。まあ、大抵のことはに書いてあるらしいから、当然といえば当然か」

 アルマスはあたしから目を逸らして、ソファの背もたれに体をあずける。

「ドラゴン、と十把一絡じっぱひとからげにされることが多い……というか、今の世の中、分類なんて無いか。だが、大回帰以前、ドラゴンは大きく二種類に分けられていた」

 社会の授業であんなにもドラゴンのことが扱われるのに一度も聞いたことがない。

 一応、端末でメモしとこう。あたしは手元の携帯端末の画面をオンにした。

「駄目だ」

 瞬間、アルマスが鋭く制止する。

「記録は取らせない。この話は他言無用だ。お前以外に教えてやるつもりはない」

 それだけ重要な情報なの? 今の時代に伝わっていないわけだし、もしかすると意図的に隠されていることなのかも。いや、ブラフって可能性もあるし。

 判断できないな。でも今は指示に従うしかない。

「わかった。じゃあこれ持っといて」

 あたしは携帯端末の電源を切って、アルマスに投げつけた。受け取った彼は軽く端末を確認すると、ローテーブルの上に丁寧に置いた。

一般種ヤルイェンノス固有種アルクペライネン。コピーとオリジナルって言った方が分かりやすいのか。とにかくドラゴンには、その二種類が存在している。俺やロラン君は、オリジナルと言われる種類のドラゴンだ」

「アルクペライネンがオリジナル?」

「そうだ」

 アルマスは席を立って、部屋の隅のカウンターでコーヒー豆を挽きはじめる。しばらく無言でハンドルを回すと、袋に挽きたての豆を流し込んだ。お湯を注ぎながら、アルマスは話を再開する。

「両者は、それはもう色々と違いがあるんだが、その中でも特徴的な差異が寿命だ。どちらも最初に配られる手持ちの命は二百年から四百年の間。だが、固有種アルクペライネンは周囲から命の素となるエネルギーを吸収できる。つまり寿命とやらをそれで更新し続けられるわけだ」

「じゃあロランも、数百年くらいじゃ死なないかもしれない。ってこと……?」

「ああ。また、その仕組みが非常に厄介でな。俗に言う『堕ちる』という状態になることもあるし、静かに終わりを迎えたいと思っても死ねないなんてことはざらだ」

 死ねない。「死なない」んじゃないんだ。アルマスの認識はそうなんだ。

 あたしはこの先、ロランに「死ねない」なんて思わせてしまうのかな。それともただ事実として「死なない」のかな。

 あたしもドラゴンに、ロランと同じアルクペライネンになりたい。ずっと一緒に生きて、幸せだって思い続けてほしい。

「つまり、ロラン君はお前の手持ちの寿命なんて比にならないほどのストックを持っていて、尚且つそれが補充され続けるということだ。生きる目的がなきゃ、そのうち廃人になる。実際、そういう奴を何人か見てきたよ」

「生きる、目的。覚えとく」

 アルマスの言葉に嘘偽りは感じない。寿命に悩まされる人が、ドラゴンの中には本当にいるんだろう。ロランが生きる目的を見失わないように、あたしにできることを探さなきゃいけない。

 アルマスはあたしの前にコーヒーカップを置いて、寂しげに微笑んだ。苦い香りが、クッキーの甘い香りと混ざる。彼はソファに座り直して一口、コーヒーを含んだ。あたしもミルクと砂糖を入れてご馳走になる。

 ちょっと甘味足したくらいじゃ飲みづらい。やっぱりコーヒーは苦手かも。

 彼はあたしがカップを置いたのを見て、急に表情を引き締める。

「それともう一つ。恐らく最も注意すべきは暴走の可能性だ」

 ――きた。ドラゴンの中でも、アルクペライネンは堕ちるものって話だ。ロランが今日ショッピングモールで暴走したのも、何か理由があるのかも。

 アルマスはあたしの目を真っすぐ見つめてくる。

「彼は堕ちた。ロランがドラゴンに成ったのがいつか、把握しているか?」

「去年の十月。あたしが魔法で攻撃されて……、そこに居合わせたロランが助けてくれたの」

 彼はあからさまに表情を曇らせる。

「それは早いな。なあお前、堕ちるってどういうことか知ってるか?」

「んー、暴れるってことしか知らない。ロランの場合、感情が爆発しちゃったみたいに見えたけど」

 何だか嫌な予感がする。彼はあたしの答えを聞くと、腕を組んで横向きに座りなおした。

「確かにお前の言うような側面はある。だが、それは副産物に過ぎない。」

「……どういうこと?」

「結論から言おう。『堕ちる』という現象は、吸収し過ぎた命を適度に放出するために起こる魔力暴走だ。ドラゴンに成ってからの期間を考えると、ロラン君は固有種アルクペライネンの中でも、命の吸収力が過剰なんだろう」

「つまり……、すごく堕ちやすい」

 最悪な話。

 アルマスの言っていることが本当なんだとしたら、ロランは堕ちて当たり前の存在ってことだ。ロランに限ってアルクペライネンで、しかも暴走のもとになる命を大量に吸収しちゃうなんて。どっちか片方でも欠けていれば、ロランの負担もかなり変わってくるのに。

「その通りだ。また近いうちに堕ちるかもしれないな。そして毎度俺が助けられるとも限らない。もしかするとロラン君がお前のことを判別できずに攻撃してくるかもしれないし、彼に巻き込むつもりがなくとも、巻き込まれて惨事が起こるかもしれない」

「でもあたしは、近くにいて、ロランのこと認めていてあげたい」

 完全に無限ループだ。もっともらしくて、隙のないループ。

 傍に寄り添っていてあげたいけど、それをするとロランが堕ちたときに巻き込まれるかもしれない。そうしたら、ロランにどれだけ辛い思いをさせるのか分からない。かといってロランを一人にしたら、それで壊れていっちゃいそう。だから、あたしは傍にいたい。

 でも今のあたしに、ループを脱出する方法なんて分からない。

 ――それを断ち切ったのは、アルマスだ。

「ならお前がやるべきことは一つだ。お前に自衛手段をやるよ」

 そう言って彼は口角を上げる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る