第五話「朝宮露子がやってくる」

 早坂和葉が雨宮霊能事務所の助手になってから、数日が過ぎた。和葉が担当することになった仕事は電話の応対や書類整理等で、あまり作業量が多くなかったこともあってかすぐに慣れていった。


「浸さーん」


 現在は浸から会計作業の引き継ぎを受けている状態だ。電卓を使いつつノートとにらめっこするのに疲れた和葉は、肩を回しながら浸に声をかける。


「どうかしましたか?」


「パソコン導入しませんか? 色々グッと楽になると思うんですけど」


 こういう作業用のパソコンであれば、それほど値の張るものは必要ない。型落ちモデルの、大してスペックのないパソコンならかなり安価で手に入るだろう。そう思って和葉は提案したのだが、浸はなんとも言えない表情で和葉を見ていた。


「あのー……浸さん?」


「ぱさこん……ですか」


「……パソコンです」


「そのぱせこんというものですが、それなりにお高いのでは? 雨宮霊能事務所は野菜と魚は沢山ありますがお金はあまりありませんよ」


「あ、でも事務作業用なら安いのでも大丈夫ですよ! そういえばお父さんがそろそろ買い換えるって言ってたし、もらってきましょうか?」


「ふっ……ぱしこんを頂くなど恐れ多い。そのような高価なものはいただけません」


「……浸さんもしかして、パソコンの使い方がよくわからないだけなんじゃ……?」


「ぱすこんは複雑怪奇ですからね。私では到底扱えませんよ」


 思ったよりすんなりと認め、浸は肩をすくめて見せる。


「あ、じゃあちょっとずつ私と使ってみましょうよ! 私これでもまあまあ使えるんですよ!」


「え、才能……才能ですよそれ……」


「ふふーん、パソコンのことは私に任せてくださいよ浸さん!」


 とは言え、和葉は和葉で高校時代に授業で習った範囲のことしかわからない。精々ワープロソフトと表計算ソフトが少し触れる程度のことである。恐らく事務所に導入するとなると、何らかの解説書を用意することになるだろう。


 そんなやり取りをしていると、雨宮霊能事務所の前に小さな人影が現れる。黒い日傘を差した、膝丈のゴスロリワンピースを着た少女だ。


「かわいいお客さんですね。はーい、今出まーす」


「あ、待ってください早坂和葉、彼女は……」


 浸が言い切らない内に、和葉は少女を迎え入れようとドアの方へ駆けていく。そしてドアを開けようとした瞬間、少女の方がドアを勢い良く押し開けた。


「へぶっ」


 情けない声を上げながらドアと衝突する和葉。それには気づかず、少女は畳んだ日傘を浸へ向ける。


「こらー! どうして全然電話に出ないのよアホ!」


朝宮露子あさみやつゆこ! 日傘の先端を人に向けてはいけません!」


「あ、ごめん」


 浸に怒鳴り返され、少女――露子は大人しく日傘をおろす。


「それに、早坂和葉に謝ってください。彼女は恐らく鼻を強打しています」


「え、うそ? 誰かいたの? ごめんね?」


 慌てて露子が振り向くと、そこには鼻をさする和葉の姿があった。


「だ、大丈夫です……。あの、何かご相談ですか? 雨宮霊能事務所へようこそ!」


 めげずに助手の責務を果たそうとする和葉だったが、当の露子はポカンと口を開けたまま和葉を見つめている。そして数秒後、何故か顔をうつむかせてしまった。


「あ、あのー……?」


「な、なによ……」


「どうかしましたか朝宮露子」


 近寄ってきた浸と和葉に顔を覗き込まれ、露子はキッと浸を睨みつける。


「あたしより先に助手取ってんじゃないわよ馬鹿!」


 理不尽な逆ギレだった。






「えー、紹介しましょう。同業者……ゴーストハンターの朝宮露子です」


 和葉、浸と向かい合うように座る露子を、浸は右手で紹介して見せる。


「朝宮露子。事務所はまだないけど、ゴーストハンターよ。言っとくけど浸より強いわよ」


 そう言って、露子は長い金髪をわざとらしくかきあげる。日本人離れした顔立ちに、青い瞳と金髪がよく似合う。かわいらしいツインテールと少し大人びたストレートロングの合せ技であるツーサイドアップは、浸と張り合いたがる露子によく似合っているように見えた。


「すごい! こんなに小さいのにゴーストハンターなんですね!」


「小さくないわよ! もう十四歳よ!」


 つまるところ、中学二年生である。


「ええ、すごいですよ。朝宮露子はまだ小さくてかわいいのに凶悪な悪霊をもう何十体も除霊しています。私より強いというのもあながち嘘ではありませんね」


「そうよ! その内浸より大きな事務所を建てて超優秀な助手をそろえて世界最高のゴーストハンターになるんだから! ……今小さくてって言わなかった?」


「いえ、体長25メートルと言いましたよ」


「誰がシロナガスクジラか!」


「このように博識な方でもあります」


 などと浸が茶化すので、露子は更に大声で喚き立てる。そんな様子を見ながら、和葉は今まで見たことのない浸の姿に少し驚いてしまう。


(浸さん、ああいう茶化しかたもするんだ……)


 どうやら浸と露子は旧知の仲らしい。いつも和葉の前で凛としている浸とは少し違う一面が思わぬところで見れてしまい、和葉は思わず笑みをこぼした。


「それで朝宮露子、今日は何か用事があったのでは?」


「あ、そうよそうよ。何でアンタ全然電話に出ないのよ」


 ムスッとした表情でそう言う露子だったが、浸はキョトンとした顔をしている。


「……早坂和葉、留守電に記憶はありますか?」


「いえ、ないですけど……」


「番号を間違えたのでは?」


 などと浸が問い返すと、露子は違う! と怒鳴りつけた。


「携帯よ携帯! アンタ持ち歩いてないの!?」


「ああ、この間朝宮露子がくれたガラケというやつですね」


「何でイントネーションがクラゲと一緒なのよ! あとガラケーよガラケー!」


 露子に怒鳴り散らされ、浸は慌ててポケットから携帯電話を取り出す。基本的に浸は事務所の固定電話を使っているため、携帯電話はほとんど使わない。そもそもこの携帯電話も、連絡を取るのに不便だからと以前露子が押し付けたものだった。


「浸さん! 携帯持ってたんですね! 番号教えてください!」


「はい、構いませんよ。そういえば忘れていました」


「あー、話進まなくなるからおとぼけ助手はちょっと待っててくれる?」


「お、おとぼけ助手……」


 言い方はともかく、露子の口調は柔らかい。和葉が大人しく引き下がると、露子はそのまま話を始めた。


「ま、良いわ。どうせ浸のことだからそんなことだろうと思ったわよ。本題に入るわね」


「ええ、お願いします」


 浸がそう答えると、露子は一息ついてから話し始める。


「単刀直入に言うと、仕事を手伝って欲しいのよ」


 露子がそう言った瞬間、今まで和やかだった浸の表情が真剣なものになる。


「朝宮露子が応援を求めるレベルの仕事ですか」


「言っとくけど! 一応あたし一人でも何とか出来るんだからね! 効率を良くしたいだけなんだから!」


「つゆちゃんは浸さんを信用してるんですねぇ」


「おとぼけ助手ぅ!」


 割って入ってきた和葉に怒鳴り、露子はバッグから取り出した飴を投げつける。和葉はそれを拾い上げると、嬉しそうに包み紙を剥がして口に含んだ。


「それあげるからちょっと大人しくしてなさいよ!」


「私がレモン味好きなの、どうしてわかったんですか?」


「いやたまたまでしょーが……」


「朝宮露子。人に物を投げるのは良くありませんよ。まして食べ物を投げるなど言語道断です」


「わかった。ごめん、頼むから本題進めさせてもらえる?」


 頭を抱えながらため息をつき、露子は気を取り直して話を戻す。


「今私が受けてる依頼はペット霊園での、動物霊の除霊なのよ。どうも夜な夜な動物の鳴き声が聞こえるらしくて、行ってみても鳴き声だけで動物の姿はなく……って話」


「そのくらいなら本当に朝宮露子一人で大丈夫なのでは?」


「あたしも最初はそう思ったわよ。だけど、この依頼を頼むの、あたしで二人目って話よ」


「ということは……」


「ええ、昨日一人目が返り討ちに遭ったらしいわ」


 流石にその言葉を聞くと、おとぼけ助手こと和葉も神妙な面持ちになる。飴を頬に含んでいるせいで少し間抜けに見えるが、和葉は真剣だ。


「となると、如何に朝宮露子と言えど助っ人が欲しい、ということですか」


「まあね。如何にあたしと言えど。一応あたし一人でも何とか出来るけどね」


 わざわざそんな言葉を付け足しつつ、露子は小さく鼻を鳴らす。


「返り討ちって……そんなに強い霊なんですか?」


 思わず気になって和葉が口を挟んだが、露子はさあね、と言葉を濁す。


「やられた一人目なんだけど、傷の量がすごいのよ」


「ひっ」


「まだ詳細言ってないわよおとぼけ」


 小さく悲鳴を上げた和葉に呆れつつ、露子は話を続ける。


「爪や牙で引っかかれたり噛まれたりした傷が無数にあったらしいのよ。命に別状はないみたいだけど、まだ意識が戻らないみたいだし」


「……複数の動物霊に同時に襲われたということでしょうか」


「十中八九そうでしょうけど、それだけで返り討ちに遭うかしら?」


「遭うと思いますよ。小さな犬や狼の方がすばしっこく戦いにくいので、囲まれると厄介です」


 ベテランのゴーストハンターであっても、多勢に無勢では万が一ということも十分にあり得る。囲まれて同時に襲われれば、浸だってどうなるかわからない。


「そういうことなら、尚の事手数は多い方が良いでしょうね」


「それじゃあお願いね。一応これはあたしからの依頼ってことで受けてもらえる?」


「はい。依頼の手続きでしたら、研修もかねて早坂和葉にお願いしましょう」


「オッケー、じゃあおとぼけ助手……」


 言いかけて、露子は和葉の顔を正面から見て言葉を止める。


「何でそんなにニコニコしてんのよ……」


 ようやく助手らしい仕事が出来るのが嬉し過ぎて満面の笑みを浮かべてしまう和葉であった。










 その日の夜、浸と和葉大きめのトランクケースを持って件のペット霊園へと向かった。入り口では既に露子が待っており、浸達を見つけると小さくため息をついた。


「やっと来た。浸の癖に中々待たせるじゃない」


「ふふふ……流石は朝宮露子です。一時間前から待機しているとは……」


「……いや、そんなには待ってないけど……」


 ちなみに露子が到着したのは三十分前だ。既に霊園の管理者とは話を通してあり、後は問題の霊を祓うだけである。


「ていうか何よ、その大荷物は」


「これですか? これはですねー……ふふっ……」


「含んでないでさっさと言いなさいよ!」


「浸さんの武器セットなんです!」


「ああ、なるほどね」


 聞いた瞬間、すぐに納得して露子は頷く。もう少しリアクションが欲しかったのか、和葉は僅かにしょげていたが、露子は気に留めない。


「早坂和葉がいてくれるのなら、何種類もの武器を持ち込めますからね。状況に応じて使い分けたいですし」


「アンタって変に多彩よね。おとぼけはどれがどれだかわかんの?」


「それはもう! 番号で覚えたのでバッチリですよ!」


 トランクケースの中の武器は、それぞれ番号が割り振られている。どの武器がどの番号なのか、空いている時間に和葉はきちんと覚えているのだ。


「それはそうと……どうですか早坂和葉。霊の気配の方は」


「えーっと……わっ」


 少し考え込むような仕草をする和葉だったが、すぐに驚いて声を上げた。


「すごい数ですね……。十……二十は優に越えてるんじゃないでしょうか……?」


「なるほど……ありがとうございます」


 動物霊の気配は人間霊の気配よりも微弱だ。霊感応の高い和葉でも、正確な数まで把握することは出来ない。


「後は……他より大きな気配もあります。気をつけてくださいね」


「わかりました」


 和葉はそう忠告すると、浸は真剣に頷いてみせる。そしてそんな二人のやり取りを、露子は困惑した様子で見つめていた。


「……は?」


「つゆちゃん? どうかしましたか?」


「いやどうかしましたかじゃないわよ。あと、つゆちゃん言うな!」


 しれっとつゆちゃん呼びする和葉を怒鳴りつけてから、露子は再び口を開く。


「何でこの距離から気配の大小とか大体の数がわかんのよ。そこまでの霊感応、プロでも聞いたことないわ」


「え、そうなんですか?」


「早坂和葉は特別なんですよ。彼女の霊感応は卓越しています」


 今ひとつピンと来ていない和葉に変わって、浸がそう言って得意げに微笑んだ。


「……まあ、浸が助手にするだけはあるわね。あたしも霊感応は苦手ってわけじゃないけど、流石にそこまではわかんないわ」


 和葉は大体の数を感じ取ることが出来たが、露子にわかったのはいるかどうか程度だ。そして浸に至っては、入り口からだといるかどうかすら判別出来ていない。


「えへへー、それほどでも~」


「あーもう調子乗ってんじゃないわよ! ほら、さっさと行くわよ!」


 嬉しそうにニタニタする和葉に、露子はそう言い放つ。そんな様子を見ながら、浸は満足げに微笑んだ。


「……良かった」


「浸さん?」


「早坂和葉。あなたが自分の霊感応を少しでも誇らしく思ってくれるのが私は嬉しいんですよ。もっと調子に乗って良いですよ」


 浸と出会った頃の和葉は、自分の霊感応に否定的だった。それが今は、浸と関わっている内にかなり肯定的になっているのだ。日常生活の邪魔にしかなっていなかった霊感応が役に立つようになったことで、和葉自身の持つ前向きな気持ちがよく表に出てくるようになっている。


「え、ほんとですか!?」


「いや、いい。やめて。アンタらもしかしてあたしがいない時いつもそんな調子なんじゃないでしょうね?」


 呆れつつ、露子は霊園の中へと入っていく。そして予め借りておいた鍵で墓地への門を開いた瞬間、闇の中に光る無数の目を見た。


「……なるほどね」


「こ、これ、全部……」


 怯える和葉を後ろへやり、浸は彼女をかばうようにして前に出る。


「ええ、全て動物達の霊ですね」


「……じゃ、駆除開始といきますか」


 唸り声を上げながらこちらを睨む動物霊達を見やり、露子は余裕たっぷりにそう言った。

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