現代語訳:祭已畢焉

祭已畢焉さいいひつえん――祭はもう、終わってしまっていた。



琅耶ろうや郡に本籍を置く一族、諸葛しょかつ氏は、約二百年前、三国志の時代に魏呉蜀ぎごしょく三国に一族の者を仕官、活躍させたことを誇りに思っていた。

その中でも特に蜀を建てた昭烈しょうれつ帝・劉備りゅうびを大いに支えた忠武ちゅうぶ侯・諸葛亮しょかつりょうあざな孔明こうめい)の名は、豪傑として知られる関羽かんう張飛ちょうひにも引けを取らぬ程であった。


孔明の死後、蜀は魏に攻め滅ぼされた。

その魏もしんに乗っ取られた。

更に晋は呉をも滅ぼし、天下統一。


しかし晋の皇族は権勢を求めて分裂して同士討ちをはじめる。

この時に北方の遊牧騎馬民族の力を借りたことが禍いした。皇族に力を貸したことにより、騎馬民族らの力は強大なものとなった。そして、反乱を起こす。晋はあえなく滅ぼされた。


遊牧民族らの脅威の前では名士の子孫であることに何の意味もない。

諸葛の一族もやはりうの体で逃亡、長江ちょうこうを渡った。しかし逃げ出すタイミングが遅すぎた。亡命先のくに「東晋とうしん」では、既に先に逃げていたおう氏、司馬しば氏が地元の土豪を抑えて権勢を確保していた。諸葛氏の一族は、町の片隅でひっそりと暮らすしかなかった。


男は、その名を諸葛長民ちょうみんという。

長民は思う。琅耶諸葛の名は、今では却って笑いもののたねである。ゆえに長民は武を志した。俺を笑う奴は、皆ねじり切ってやる。



諸葛の一族は、そんな長民を煩わしく思っていたようだった。


「あいつにはきっと蛮族の血が入っているに違いない」

と噂するものも少なくない。


そう囁かれるほど、長民の武力は凄まじいものだった。長民は笑う。それならば、それでいい。この武で、諸葛どもに吠え面かかせてやれれば、さぞ気持ちがいいだろう。



晋を滅ぼした蛮族たちは、蛮族同士でも争い合っていた。

しかし苻堅ふけんと呼ばれる男が、その強大な兵を従え、蛮族らを取りまとめた。

苻堅は更に江南をも狙い、進軍。百万の兵力を自称していた。


対する東晋軍は、掻き集めても十万にも届かない、とのことであった。

この絶望的なニュースに対し、しかし長民は、寧ろいきり立った。

勝てる、勝てないなどどうでも良い。

この手で蛮族を殺してやる。

幾千人幾万人を殺したのちに力尽き、冥府から相も変わらず縮こまり続ける諸葛らを笑ってやろう。



祖先が負け犬となって渡ってきた長江を、完全武装で渡る。

長江と黄河こうがの間に流れている川・淮河わいがに向かう途中、広陵こうりょうという町で東晋軍総大将、冠軍かんぐん将軍・謝玄しゃげんの訓示を受けた。

更に北上、淮水のほとりにある洛澗らくかんの地で、蛮族軍の前鋒に遭遇する。

偵察の報告によれば、およそ五万。

前鋒でありながら、ほぼ東晋軍と同規模の軍容である。正面から当たれば被害も大きく、到底苻堅本軍との戦いなどおぼつかなくなるだろう。そこで謝玄は五千人からなる決死隊を編成、夜襲を掛けさせる策を講じた。


長民は、功に興味があるわけではない。

ただ暴れ、蛮族どもを殺したかった。

そのためにも隊への編入を申し出た。長民と似たようなことを考えていそうな無頼者たちが、他にも数十人いた。謝玄は「物好きもいたものだ」と苦笑を浮かべた。



さて、この決死隊の中で、長民は三人の劉姓の男に出会った。

普段いくら一族を蔑んでみたところで、自分が諸葛の姓を負っていることなど忘れられるはずがない。

傑出した劉姓の男どもを見れば、やはり孔明の盛名ふたたび、と奮わずにはおれなかった。


一人目の劉は、劉牢之りゅうろうし

決死隊の長の役割を負っていた。官位は龍譲りゅうじょう将軍。謝玄の信を得、各軍より兵士を選抜した。


次なる劉は、劉毅りゅうき

五千の内千を束ねる将としてあった。


そして三人目が、劉裕りゅうゆう。長民と同じく一兵に過ぎぬ身の上にもかかわらず、周辺の人間から「ただ者ではない」と見做されていた。


夜半、決死隊が三つに分けられた。劉毅が率いる千、いま一人の将が率いる千、劉牢之直属の三千である。

敵陣の東西に千を当て、中央より三千が突撃を掛ける手筈となった。長民は、劉裕と共に劉毅の千に組み込まれた。


夜襲とは言え、十倍規模の敵陣へ乗り込むのである。出立を前に恐怖に震えるものも少なからず、いた。長民は呆れ、劉毅は苛立った。

そのような中、劉裕は落ち着いた様子で、怯える者ものを手ずから鼓舞していた。ご立派なものだ、長民は思った。


その劉裕が、戦場では修羅と化した。


長民から見てさえ、劉裕の武はすさまじいものだった。

矛を振るえば、騎兵を馬もろともに斬り捨てる。

余りの剛力に、矛がへし折れる。

劉裕は、それも重々に織り込んでいるようだった。

戦場に転がる別の武器を掴んでは、ふたたびその豪腕を振るうのだった。


劉裕の奮闘を、劉毅が好機として活かす。

側に精鋭を付け、敵軍を大いに破り、拠点を築く。

拠点を足掛かりとし、更に攻め立てる。

長民もただ見とれていたわけではない。

退いた敵を前にすれば、手ずから大いに殺した。


闇夜が決死隊の全容を隠しているのも幸いした。

敵軍は大いに混乱していた。

敵将とおぼしき人物が声を上げ、建て直しを図っているのが分かる。

だが、そこへ劉牢之軍三千が追い打ちを掛ける。

将の声は悲鳴にかき消された。


前鋒軍総大将の詰める天幕は、当然防備が厚い。

しかし大いに混乱した陣中では、もはや「敵将ここにあり」と宣伝しているようなものだ。

瞬く間に将は討たれた。逃げ惑う数万の兵の背に、僅か数千の兵士らが勝ちどきを浴びせるのだった。


長民には、洛澗の一勝がその後の情勢も決めたように感じられた。

洛澗より西に進み、淮河の支流の一つである淝水ひすいを挟んで、苻堅の本隊と対峙する。


東晋軍は、ここでも大勝した。

これが後世には「淝水の戦い」と呼ばれる、時代を動かした、とされる重大な戦争である(※三国志における赤壁せきへきの戦いと同レベルの意味合いを持つ、重要な戦いと見做されている)。


世間では淝水での大勝、謝玄の采配の鋭さが語りぐさとなっていた。

だが長民には、どうしても洛澗での一幕が忘れがたかった。

それ程までに、洛澗で出会った三人の劉の活躍に心惹かれてしまったのである。



苻堅に完勝したとは言っても、すかさず反撃に出るだけの余力はさすがに残っていない。なので謝玄は追撃もそこそこに撤収した。


後日、苻堅は配下の反乱によって殺された。

曲がりなりにも蛮族らを統べていた苻堅の死は、蛮族らの無軌道な侵略を招いた。

そのような情勢下、謝玄が病没。

謝玄の率いていた軍は、劉牢之が継承した。

以降長民らは、劉牢之の指揮のもと活躍をする。

長民だけでなく、劉毅も、劉裕も、更に成長するのだった。



東晋の内外で、戦争には事欠かない。

数え切れない敵を殺し、多くの味方の死を見届けた。

生き延びるごと、長民らは酒宴に興じた。

戦の傷が、仲間を喪った悲しみが、酒宴をより盛大なものとする。

まるで、祭であるかのような熱狂であった。


祭は、止むことなく盛んとなる。


武功を挙げ続ける劉牢之は、遂には東晋の勢力地図を左右しかねないほどの地位を得た。

この時東晋中枢では、皇族・司馬元顕しばげんけんと豪族・桓玄かんげんの対立が激しくなっていた。

ここで劉牢之は、桓玄につくことを選んだ。


劉牢之の選択により、桓玄が勝利した。

だが、そもそも桓玄にとって劉牢之は「最大限の警戒をすべき脅威」であった。その脅威がこちらに尻尾を振ってきたのをいいことに、桓玄は劉牢之と部下たちを切り離し、その圧倒的武力を無力化した。


戦略を描くのであれば、脅威となりうる要素は可能な限り排除するべきである。ともなれば、桓玄の振る舞いは勝つために正しいものであった。

また劉牢之は、戦略が稚拙であったために、桓玄に敗北した。



劉牢之は桓玄に反乱を起こそうとしたが、敗者に付き従う者はいない。

逆転の芽がないことを突き付けられ、劉牢之は逃亡。

更には逃亡先で自殺した。

脅威の排除を果たした桓玄は、劉牢之と関係の深かった将軍らを軒並み殺した。


この時、幹部クラス未満は見逃された。

そして長民らは、見逃される範疇の地位だった。

つまり主だった者たちが殺されたのは、むしろ長民らが栄達するためのポストが空いたことになる。

桓玄が行った劉牢之とその配下への粛清劇は、むしろ長民らの栄達を手助けしたのである。



とは言え、

「桓玄に義があったか?」

 劉裕が仲間を集め、低く、よく響く声で、言う。


そこには長民、劉毅も共に在った。

華々しき戦功を上げ続けた劉裕は、この頃には劉毅をも凌ぐ地位にまで上り詰めていた。


劉牢之の敵討ち、と言うのみではない。

その軍を吸収した桓玄は、その武を背景として、宮中より多くの政敵を葬った。

しかも東晋の帝から帝位を奪う、すなわち簒奪さんだつ行為にすら及んだのである。


その為政は暴政、のひと言であった。

人々は晋の時代を懐かしんだが、どこに桓玄の手の者の目が光っているとも知れない。水面下で、桓玄への怨嗟えんさは日増しに脹れ上がっていた。


劉裕は密かに計画を練り、遂には都にて決起、桓玄を打ち破った。

長民と劉毅は、共に裕の将として功を上げた。

辺境に流されていた帝を復位させ、蜀まで逃走した桓玄を討ち果たす。

纂逆者さんぎゃくしゃ打倒は未曽有みぞうの大功である。

田舎侍に過ぎなかった劉裕は、この一戦によって東晋に並ぶ者無き存在となった。



ともなれば、長民もまた、甚大じんだいなる栄誉を得た。

洛澗で血に、泥に塗れていた頃には想像だにできなかった栄達であった。

財貨、邸宅、侍従、美女。あらゆる富が手中に収まる。


長民は、大いに笑った。

見たか諸葛ども、貴様らが忌み蔑んだ驕児きょうじが、いまや一国の重鎮なのだ。


長民の元に、生活に窮した諸葛の一族が平身低頭へいしんていとうにて歩み寄る。

彼らに対し、あるいは罵り、或いは木の棒で殴りつけなどしてから、小銭を恵んでやった。

恩を売る気など毛頭無い。

ただただ、嘲ってやろう、と言う気持ちだった。



屈辱に堪える者ものの背を見送る。

はじめの内こそ愉快きわまりなかったが、間もなく虚しさが長民を襲った。

他ならぬ長民が、劉裕の風下にある。


劉裕の施政は善政だが極めて厳格なものだった。

それこそ面罵の如き叱責を受けることも一度や二度ではない。

同じ一兵卒でしかなかった筈の劉裕とおれとで、どうしてここまでの差が出来たのか。

苛立ちを抱えてはみても、無闇に殺せるような相手も近くにはいない。

なんと言うことだ、栄達してみれば、結局のところは息苦しいだけではないか。



幾度か、劉毅と酒を飲んだ。

元は劉裕の上官でありながら、今や劉毅も、長民と同じく劉裕を見上げねばならない。

取り留めのない愚痴から、いつしか劉裕への叛心が育まれる。

東晋宮中には、成り上がりの劉裕のことをよく思っていない者も多かった。

表向きは大人しく従うよう振る舞いつつ、裏では劉毅を中心とした謀反が計画された。


その劉毅が、突如、劉裕に攻め滅ぼされた。


更には劉毅の所から、共謀者の名が次々に挙げられた、と言う。

劉裕は察していたのだ。その上で、長民らを泳がせていた。

一網打尽にできるチャンスを得たため、すかさず動いたのだ。


劉裕の動きに、一切の無駄はない。

劉毅の後は、すぐさま長民のことも狙ってくるだろう。


側仕えが言う。

「漢の高帝こうてい劉邦りゅうほうに将軍として仕えた彭越ほうえつは殺されて塩漬けとされ、英布えいふは攻め殺されました。彭越が滅ぼされたいま、あなたが英布のようにならないなどと、どうして言えるでしょう」と。


迷っている暇はない。とは言え表立って動けば、それこそ劉裕に軍を動かす理由を与えるようなものだ。

暗殺しかない。

長民は懐刀を忍ばせつつ、飽くまで凱旋する裕を歓待するポーズを取った。

仕損じを念頭に置き、逃がした劉裕を討ち取れるよう、随所に手の者を潜ませる。


戦地より帰還した軍に、しかし、劉裕の姿は、ない。


読まれていたのだ。

劉裕はわずかな伴を連れ、軍とは別行動を取っていた。

長民が出迎え先に気を取られている隙を見計らい、宮城にて態勢を整え、使者を飛ばし来た。


使者は長民の背後より、宮城への参内を促した。

驚愕に崩れ落ちそうになる。

器が違う。

だがここで無様な姿を晒すわけにも行かない。

打ち砕かれたプライドをかき集め、踏みとどまり、召喚に応じる。



宮中には、ここしばらく見る事のなかった笑顔の劉裕がいた。

おれは、負けた。

裕が強く、おれが弱かった。

この期に及んで、胸中のわだかまりが一気に吹き飛んだ。


劉裕から酒杯が差し出される。

受け取り、飲む。

そうそうお目に掛かることのできない上物であった。


だが、

「洛澗で交わした安酒には勝てんな」

「全くだ」


長民は、劉裕と語らった。

何者でもなかった頃、共に乗り越えた、幾度もの死線。

先を考える事も許されず、その時、その場をいかに生き延びるか。


生き延びたからこそ、あの酒が染みた。


劉裕を見る。

大いに武を鳴らしたあの男も、今では立派な政治家だ。

長民もそうだが、劉裕も、もはや武器を振るい、酒を飲み、ただ笑ってなどいられる立場ではなくなってしまっていたのだ。


長民は嘆じ、一人ごちる。


「祭りは、いつ終わっていたのかな」


背後より刃が迫り、――



長民暗殺の後、劉裕は宮中の政敵を一掃した。

また蛮族から旧晋の都、洛陽らくよう長安ちょうあんを奪還する、などと言った業績を上げ、桓玄とは違い、内外に比類なき存在である、と万全のアピールをしたのち、晋帝より帝位を奪った。


かん献帝けんてい元帝げんてい

ともに滅んだ王朝のラストエンペラーである。


彼らは帝位を奪われた後も、貴族としての地位は保証されていた。


しかし、劉裕は違った。

晋のラストエンペラー恭帝きょうていに、無実の罪を着せ、殺した。


その僅か一年後に、劉裕も病死する。

遺言を読むと、ひたすら自分の子孫だけを守ろう、としていたかのような姿勢が窺えた。

果たしてその心中は、どのようであったのだろうか。




○頂戴したコメント


2017年12月9日 まめ様


諸葛姓を背負った一人の勇者の物語

諸葛長民

その名で分かる時、諸葛孔明を排出した瑯琊諸葛氏の出であり、諸葛亮より約200年後の人物である。

劉裕とのセットのその姓は記憶に残りやすく、現代日本の小説家によって、劉裕に「劉備と諸葛孔明のような関係になろう」と言ったという逸話が創作されている。そのため、比較的知名度はあるかもしれない。


今回、佐藤さんによって短編小説で正史とは違う魅力的な個性を持った人物として描かれ、一気に読ませていただいた。


今回の現代文は非常に読みやすく、史記や三国志時代以外の小説を読む人の入門短編としてお薦めできる内容である。


正直、私は擬古文が苦手であり、どうしても読みにくく、佐藤さんの今までの小説を読むことをいつも冒頭の段階で断念していた。


今回の現代文はそういった方々でも安心して読めると思われるので、『祭已畢焉』をお薦めしたい。



2017年11月29日 丹羽夏子様

10分でわかる長民の人生

中島敦を彷彿とさせる格調高い文体ですが、長民という男のたどってきた足跡が見えるようでそんなにすごく堅苦しい話ではありません。

リズムよくすらすら読めます。たまにはこんな気持ちのいい文体の話を読みたいですね!

しかし男の人生の悲哀なるものを感じます。もとは同じ立場だったのに……悔しい、けれどそこで腐ってはいけない。

中国の五胡十六国時代を舞台にした物語ですが、現代にも通じるロマンを感じました。

劉裕、すごい男だったんだな……。

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