桜の木の下に埋めた恋の話

「おーい、こっちこっち!」


 母校の中庭。スコップを握り、シャツの袖を腕まくりした男性陣が手を振る背後には、大きな木がそびえたっている。

 唐笠桜の木。私たちが通っていた中学のシンボル。もちろんなんて品種はなくて、ただのソメイヨシノの木なんだけど、満開になったときのシルエットが唐笠に似ているからそう呼ばれる。一〇年前は迫力満点だったその大木も、私たちが成長してしまった分だけ小さくなったように感じられた。


「あの木の下で告白して付き合うと別れないなんて伝説あったよね」


 そう唐突に言ったのは当時もよく一緒のグループでつるんでいた村上むらかみ。当時からのトレードマークであるお団子ヘアは一〇年経った今も変わらない。


「とは言うけどさ、あんな学校中から見えるところで告白とか、今考えてみたらただの公開処刑だよね。付き合っても振られても恥ずかしい」


 校舎はロの字型になっていて、真ん中の部分が中庭にあたる。つまるところ校舎の全廊下から唐笠桜の木を見渡すことができるのだ。

 教室からならまだしも、廊下は放課後も部活動で残る生徒や先生たちが往来する。ふと中庭に目をやったとき、大きな桜の木の下で男女が向かい合ってもぞもぞと話していれば、嫌でも目立つ。


「一説にはさ、付き合い始めたの皆に知られるから別れられないとも言われてたりする」

「もはや呪いだよ、それ」


 私と村上はそんな話をしながら他の女性陣と一緒に桜の木の下に合流する。根元の土はあちこち掘り返されていて、男性陣は疲れた顔で額に浮かぶ汗を拭っている。


「で、見つかった?」


 女性陣の誰かが言う。確かイベント委員だった宮城みやぎさん。昔から少し派手だったけれど、洋服も髪の毛も相変わらずだ。二〇代も半ばであんなに肌を露出する勇気は私には持ちえない。


「おう、もちろん」


 かつて野球部のエースだった仰木おうぎくんが指差す先は植木の前にある木製のベンチ。見れば、土塗れのジップロックに閉じ込められた三〇センチ四方くらいの青い缶が置いてある。


「「「おおーっ」」」


 女性陣が揃って歓声を上げる。

 あの青い缶こそが今日の目的。桜の木の下から一〇年ぶりに掘り起こされた、卒業のときにクラスのみんなで埋めたタイムカプセル。その開封の儀である。

 入れたのはタイムカプセルと聞けば誰もが思いつくような、ごくごくありきたりなものだ。確か一〇年後の自分に宛てた手紙と封筒に入るくらいのサイズの思い出の品。当時はすごく画期的で胸の躍るアイデアのような気がしてクラスは盛り上がっていたけれど、まあタイムカプセルとしては一般的だ。ちなみに何を書いたかなんて覚えていないし、封じた思い出の品も全く記憶にない。


「にしても、やっぱそう簡単には集まれねえよなぁ」

「ま、一〇年経ってこれだけ集まったんだからいいほうでしょ」


 仰木くんと宮城さんがそんな話をしている。

 クラスメイトは全部で三三名。今日の開封の儀のために集まることができたのはたったの九名。

 当然もうみんな働いているし、人によっては遠方に配属されていたり、結婚して家庭があったりする。あるいは単に連絡がつかなかった人もいれば、タイムカプセルのことなんて忘れてしまっている人もいるだろう。

 むしろ一〇年前の約束を誰かがしっかりと覚えていて声を掛け、それに応じて三分の一近いクラスメイトが集まっただけでもたぶんすごいことだ。。

 力仕事に汗をかいた男性陣の休憩時間を挟み、私たちは満を持して開封の儀へと移った。

 九人でじゃんけんをして蓋を開ける人を選出する。童心に帰って盛り上がり、大の大人九人がじゃんけんの勝敗で馬鹿みたいに騒ぐ。結果、最後の一人に勝ち残ったのは何故か私だった。


「へ」


 勝った、というよりは勝ってしまった私に村上がにやけ顔を向けている。どうやら私の困惑が楽しくてたまらないらしい。


「いいじゃん、いいじゃーん。早く開けて」

「もう、他人事だと思って……」


 全く運が悪い。こういうのは幹事の仕事ではないだろうか。少なくとも私の役目ではないことだけは確かだ。だって私は何一つとして入れたものを憶えていないし、それどころかタイムカプセルのこと自体、連絡をもらうまですっかり忘れていたのだ。

 八人が私に注目している。これ以上駄々をこねれば場の空気は白けていくだろう。


「仕方ない……あ、開けますよ!」


 私は青い缶に手を掛けて勢いよく力を入れた。だけど地面に埋まっていたせいか、思いの外蓋は固く閉ざされている。

 結局、悪戦苦闘する私を見かねた仰木くんがすっと前に出てきてくれて、蓋を開けてくれた。元エースの握力さすがである。


「「「おおーっ」」」


 一〇年ぶりに抉じ開けられた封に歓声が上がる。集まってきたみんなが缶のなかを覗きこむ。


「お、けっこう綺麗に残ってんじゃん!」

「わ、このキーホルダー懐かしい!」

「誰だよ、この饅頭入れたやつ!」


 そんな声が口々に上がる。缶のなかから思い出の断片と一緒に引き上げられる品々がみんなの心を一〇年前のあの日へと連れていく。


「仰木、お前なんで消しゴムなんて入れたん?」

「え、俺? 消しゴムなんて入れたっけ?」


 仰木くんたちの会話。見れば手には使いかけの消しゴム。擦り切れたカバーの下、消しゴム本体に赤ペンで書かれた〝仰木〟の二文字。

 見慣れた筆跡が、私の記憶のドアを叩く。淡すぎて風化していた私の気持ちを呼び起こす。


「ねえ手紙何書いたー?」

「ちょ、あたし結婚して可愛い息子がいることになってる」


 そんな風に騒ぐ宮城さんたちの隙間から、私は缶のなかに仕舞い込んだ自分の手紙を探す。

 誰にも見られるわけにはいかない。

 ようやく探り当てたのは、私が使うには余りに可愛すぎるピンクのハート柄の小さな封筒。宛名の欄は空欄で、隅っこに自分の名前だけがこじんまりと記されている。

 私は封を開けて視線を落とす。一〇年越しに、自分が書いた文字を追う。感情を掴まえる。

 そこに書き連ねられるのは、未来の自分に向けた言葉なんかじゃなくて。

 伝えることすらできなかった、まだ幼かった私の、初めての恋の死体。


   ◇


 桜の木の下には死体が埋まっている。

 そんな不吉なことを考え出したのは一体誰なんだろう。随分前に国語の授業で先生が話していたような気もするけれど、そんなトリビアはチャイムの響きと一緒に流れて消えた。

 私がどうしてそんなことを思い出していたのかと言えば、今日のHRで宮城さんというクラスの女子が学校のシンボルである唐笠桜の木の下に、クラスの思い出を詰めたタイムカプセルを埋めたいと言い出したから。盛り上がるクラスをよそに、私の隣りの席で岡崎くんという物静かな男子が「死体が埋まってるかも」なんて呟いたりしたから。

 誰が言ったとか、言葉の意味とか由来とか、そんなものは全然覚えていないのに、その一文の響きだけが私のなかに強烈に残っている。

 それはきっと不吉で不気味な言葉であるのと同時に、ひどくロマンチックでもあるから。

 死んで時を失った魂と身体から栄養を吸い上げて、桜は刹那的に散っていく綺麗な花を咲かせる。毎年、毎年、忘れないでと花を咲かせる。桜の花の薄紅の色はもしかすると、死体から流れ出た血の赤なのかもしれない。

 となれば何を埋めるのかが大事になってくる。死体の代わり、血の代わり。

 それには私たちの三年間という血の通った思い出こそが相応しい。


「一〇年後かぁ。二五歳になったらもう結婚とかしてんのかなぁ」


 椅子の背もたれに顎を乗せながら村上が言う。

 話し合いで決まったタイムカプセルの期限は一〇年。タイムカプセルには一〇年後の自分に書いた手紙と三年間の思い出の品を入れることになっていた。


「どうだろうね」


 気のない返事を投げておく。

 私は未来について想像するのが苦手だった。

 高校を卒業して七年。もし大学にも行っていたら社会人として三年目。一寸先は闇を地で行きたいわけじゃないけれど、春から高校生になるのだって不安なのにそんなずっと先のことが想像できるはずがない。

 だからみんながああでもないこうでもないと手紙をしたためているなか、私の便せんは白紙のままだった。

 そんなときだった。誰かが言った。


「仰木はプロ野球選手だろ?」


 仰木くんというのは野球部のエースでクラスの人気者。高校も遠い県の野球部に推薦入学することが決まっている。身体は他の男子よりも一回り大きくて、だけど笑ったときに目尻に寄るしわが少年みたいで可愛い人。

 私は一年生のときから、初めて見たときからずっと仰木くんのことが好きだった。

 一目惚れ。

 一年生のときは同じクラスだったけれど、一言も話すことはなかった。既に野球部のレギュラーだった仰木くんは当然のようにみんなの注目の的。持ち前の明るさやリーダーシップも相まって、彼の周りにはいつも誰かがいた。

 二年生のときはクラスが離れた。余計に話す機会なんてない。たまに廊下ですれ違う仰木くんを目で追うのが私の日課で、ささやかな幸せだった。

 三年生になったとき、また一緒のクラスになれた。クラス替え発表のとき、仰木くんは私に「一年のときも一緒だったよね」と言ってくれた。話したことすらなかったのに覚えていてくれたことが嬉しかった。また好きになった。

 それから挨拶くらいは交わす仲になった。私にしてみれば恐ろしいほどの進展だったけれど、それを進展だと思ってしまうあたりが私の限界をよく表していた。

 私たちはあと一カ月も経たずに卒業する。私は県内の、特に取り立てる要素もない普通の公立校に進み、仰木くんは夢を追いかけて遠い県の強豪校に進学する。

 卒業すればもう話すことも、会うこともないのだろう。私たちはたまたま生まれたタイミングと地元が一緒だっただけ。見えている景色はきっと違う。

 きっと仰木くんには一〇年後の未来が見通せている。少なくとも自分が見たいと思う未来を描くことができている。

 仰木くんのそんなところがまた好きで、同じようにはなれない私が嫌いだった。

 だからこの恋はここで終わり。三年間、ただ眺めていることしかできなかった、かっこの悪い私の初恋。

 相変わらず一〇年後の未来なんて私には想像できなかった。だから一〇年なんて大袈裟なことは望まない。ただ目の前の一歩を踏み出すために、私はこの気持ちを手紙にすると決めた。

 桜の花を紅く染める血の代わり。私は伝えることすらできなかった、かっこの悪くて綺麗だった初恋を桜の木の下に埋めた。


   ◇


 生々しくて拙い恋文を、私はそっと便せんに仕舞い込む。

 卒業と一緒に土のなかに置いてきた想い。今の今まですっかり忘れてすらいた青い日々の恋心。

 ままならない恋だった。だけど今日ここに来て、かっこの悪い初恋を思い出せてよかったと私は思う。

 一〇年後の自分に宛てた手紙。私のそれは未来に向けたものでも、自分に宛てたものでもなかったけれど、最後に書かれたたった一行だけはたぶん今の私に向けられたものだった。


〝次の恋はちゃんと頑張れ!〟


 全く余計なお世話だ。

 私はそう内心で独り言ちる。でも同時に胸を張りたい気持ちにもなった。

 昔は想像すらできなかった未来の先に私は立っている。あのとき欲しかった一歩を踏み出す勇気は着実に、私を前へと進ませてくれている。

 便せんをそっと戻した私の左手。その薬指には桜の花みたいなピンクゴールドの指輪が光っている。

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