大宋金曲排行傍~宋国ヒット曲Best10

高麗楼*鶏林書笈

10位から6位まで

 朋友們、大家好!

 皆さま、お待ちかねの「金曲排行傍(ヒット曲Best10)」

の時間がやってまいりました。今回は趣きを変えて宋代(960~1278、南北を含む)のヒット曲を御紹介しましょう。しばらくの間、時空を越えてお楽しみ頂けたら嬉しいです。


 では、さっそく、10位から見てまいりましょう。

  玉惨花愁出鳳城、蓮花楼下柳青青。

  樽前一唱陽関曲、別箇人人第五程。

  尋好夢、夢成難、有誰知我此時情。

  枕前涙共階前雨、隔了窓児滴到明。

(あなたが鳳城を出る時、玉は傷つき花は愁いたけれど、蓮花楼の軒下の柳は青青するばかり。酒杯の前で陽関曲を歌い、あなたの後

姿をずっと見送っただけ。夢であなたを尋ねようとしたけれど果たせず、この気持ちを知る人はいるのかしら。私の枕の上に涙がとめどなく落ちるように外の階段に雨が降り注ぎ、窓の外は明るくなり

水滴を照らしている)

 鷓鴣天スタイルのこの詞の作者をお招きしました。聶勝瓊さんです。

― 聶勝瓊さん、 你好!

「……今日は。私の拙い詞が入ったのですか?!」

― はい。申請(リクエスト)もたくさん来てますよ。

「まあ、何て光栄なことなのでしょう。私より上手な方、たとえば易安(李清照)さんのような方が大勢いらっしゃるというのに。」

― 李漱玉(清照のあざな)さんは、残念ながら10位内に入っていません。今回の作品~私たちは「有誰知我此時情」と呼んでいるのですが、これには、とても素敵な逸話があると伺っているのですが、お話頂けませんか。

「はい。後日、私の伴侶となる李(之問)さまが、私の住む鳳城に赴任してきた時のことです。ある日、友人方と一緒に私の妓楼に遊びにきました。一目でお互いに惹かれるものがあり、そのまま同居生活を始めました。やがて李さまの任期も無事に終わり都に帰られることになりました。もとより李さまとの縁は、この地限りのものと思っていましたので、笑顔でお送りしました。しかし、あの方が私にとってどれ程の存在であったかすぐに分かりました。寂しさに耐えられなくなった私は、この詞を作り李さまのもとに送りました。

ところが、どうした経緯か私の詞は李さまの奥さまの許に渡ってしまったのです。当然のこと、奥さまは李さまに問い詰められたそうですが、何故か奥さまは私の詞が気に入られてしまい、私を側室に迎えて下さったのです。」

― 当時は、側室も正規の配偶者として認められていましたね。

「ええ。恐らく大半の花柳界の女たちは、私と同じように地味でも堅気の生活を望んでいると思います。私の場合、心から慕っていた

方のそばに御仕え出来るようになったのですから、当時の他の女性たちと比べても幸運だったと思います。」

― そうですね。私たちの暮らす時代と違い、勝瓊さんの時代は女性はもちろんのこと、男性でも配偶者を選べなかったですものね。

今日はわざわざお越し頂きどうも有り難うございました。

「こちらこそ。」


 続いて9位です。

  少年不識愁滋味、愛上層楼、

愛上層楼、為賦新詞強説愁。

  而今識尽愁滋味、欲説還休、欲説還休、却道天涼好個秋。

(若い頃は“愁”の意味も知らず、楼に上ることばかり好んで、新しい詞を作っては無理に愁の字を填め込んだ。だけど今は“愁”の意味を知り、語ろうとしては止めて、ただ爽やかな秋だと言うだけだ)

 醜奴児スタイルの渋い内容の詞ですね。作者は辛稼軒先生です。

まず先生のプロフィ-ルを御紹介しましょう。1140年すなわち宋が南遷した頃、山東省歴城でお生まれました。本名は辛棄疾であざなは幼安と言います。

― 稼軒先生、お越し頂き有り難うございます。先生は生涯、武官として活躍なさりましたが、当時は北方の異民族国家である金の南下により、宋国は危機的な状況下に置かれていたと歴史書などに記述されていますが……。

「その通り。なんとか異民族を追い払い、祖国を回復させたかったのだが……。」

― 果たせず1207年に亡くなられた……。

「節夫が功を焦り過ぎてな、あの時うまくことを運んでいれば……。」

― 少し説明を加えますと、1204年北伐の前進基地である京口(鎮江)の知事をなさっていた先生を、当時の朝廷の実力者だった韓侂胄(節夫)が、自分の言うことを聞かないといって解任してしまったのですよね。その後、韓節夫は攻撃を仕掛けたのだけど大敗してしまいました。

「まったく口惜しいことだ!」

― 話は変わりますが、私たちが「欲説還休」と呼んでいる先生の作品が9位に入りました。

「ほお―。これは確か晩年に作った詞だったな。若い時というのは、訳も分からないくせに格好ばかりつけたがるものだ。しかし、年令を重ねるに従い物事が分かってくると言葉一つにも慎重になってしまうものだ。」

― 本当にその通りですね。

「あんたは、まだそんな年令じゃないだろ(笑)」

― いいえ(笑)。

「いずれにしろ、わしの詞が長く愛唱されているのは嬉しいことだ。」

― よい作品は時空を越えるものです。


 さて8位にはどのような作品がランキングされているでしょう。

  我住長江頭、君住長江尾。

  日日思君不見君、共飲長江水。

  此水幾時休、此恨何時已。

  只願君心以我心、定不負相思意。

(私は長江の川上に住み、あなたは長江の川下に住む。日々あなたを思うけれど会うことは出来ない、共に長江の水を飲んでいるのに。この流れは何時止むのだろう、この恨みは何時終わるのだろう。ただあなたの心も私の心と同じことを願い、この思いに背かないで)

典型的なラブソングですね。私たちが「思君」と呼んでいる卜算子スタイルのこの詞の作者は李之儀氏。山東省無棣の出身で元豊年間(1079~85)の科挙に合格し、1086年枢密院編修官に

なりました。

― 端叔(李之儀のあざな)先生、 你好!

「你好! 私の詞が8位に入ったのですか?! 光栄だな~」

― “進士(科挙合格者)”御出身の先生が、このような詞をお作りになるとは意外に感じられました。

「そうですか。実は、これは地方に飛ばされた時、妻のことを思い出して作ったのです。」

― まぁ!!

「軟弱に思うでしょ(笑)」

― いいえ。親しみやすい内容と斬新的な表現で、とてもいい作品だと思います。だから多くの方々の支持を得られたのですよ。ところで先生は蘇東坡先生と交流があったとか……。

「はい。東坡先生が定州の知事をなさっていた時(1093年)、呼ばれて簽判という職に就き、お手伝いしました。そして毎日のように酒を酌み交わしては詩の応酬を楽しみました。東坡先生からは多くのことを学びました。思えば、この時期が私の人生で一番良かったのかも知れません。」

― 宋代、特に端叔先生の時代は、政界ではいわゆる新法党と旧法党の間の勢力争いが激しかったとか……。

「ええ。私は旧法側の人間と思われていたため、新法側が政権を執ると過去のことを穿り出して問題にし干されてしまいました。」

― でも新法党の王半山(王安石)先生にしても旧法党の酔翁(欧陽修)先生にしても、いつも庶民の生活のことを視野に入れていましたね。

「一般庶民の生活を安定させることが私たち士大夫の義務と考えていますので。」

― 政事を行なう人間の頭の中からこのことが忘れ去られた時、庶民は不幸になると思います。

「その通りです。」

― 有意義なお話ありがとうございます。


 7位にまいりましょう。

  玉楼深鎖多情種、清夜悠悠誰共。

  羞見枕衾鴛鳳、悶則和衣擁。

  無端画角厳城動、驚破一番新夢。

  窓外月華霜重、聴徹梅花弄。

(玉楼の奥深いところに閉じ込められている情愛溢れる種、清き夜を誰と共にくつろぐのだろう。羞かしそうに鴛鴦の刺繍された寝具を見ながら、衣を抱いたまま心を痛む。突然角笛が鳴り響き、今し方の夢は破られる。窓の外は月が明るく霜が重なっているけれど、ただ梅花弄の曲を奏でて聴くばかり)

 これはまた随分、浪漫的な詞ですね。でも作者である秦少游さんどちらかというと豪放な方という評判です。本名を秦観とおっしゃるの方が知られている少游さんは1049年江蘇省高郵のお生れ。元豊8年(1085年)科挙に合格し1088年東坡先生の推薦で太学博士となり、国史院編修官の職に就きました。

― 少游先生、今日は。

「你好!……ほぅ、私の詞が7位に選ばれたので

すか?」

― はい。少女の気持ちを代弁したような内容が幅広い世代の方の

支持を得たようですよ。

「……」

― 何か御不満でも?!

「詞というのは、あくまで枝葉のような存在でな。詩が評価されてこそ価値があると思うのだが、そちらの方は今一つ芳しくない。」

― そうなのですか?

「ああ。ぼやきが多いとか軟弱だとか言われている……。」

― でも、それは先生の実生活が不遇だったので仕方がないのではありませんか?

「いや、当時、官職にあった者は皆、似たりよったりさ。」

― 師匠に当たる東坡先生もそうでしたものね。ところで私たちが“清夜悠悠”と呼んでいる先程の詞についてですが……。

「桃源憶故人という曲調に合わせて作ったものだ。この旋律には、こうした内容が合うのでね。」

― 東坡先生以前の詞はこうした内容が主流でしたね。

「こうしたものが好まれたんだ。」

― 意外とこうした内容は普遍的なもののようで、いつの時代でも好まれるみたいです。そのため、後世では先生の詞は評価がいいのですよ。

「信じられないな(笑)」

― 本当ですよ。今日はわざわざお越し頂きありがとうございました。


 さて6位です。

  碧雲天、黄葉地。秋色連波、波上寒煙翠。

  山映斜陽天接水。芳草無情、更在斜陽外。

  黯郷魂、追旅思。夜夜除非、好夢留人睡。

  明月楼高休独倚。酒入愁腸、化作相思涙。

(天には雲が浮かび、大地は黄葉。秋色は波に連なり、波の上には寒さが立ち篭める。山は夕陽に映じ水は天に接する。芳しき草に情け無く、更には夕陽の外にある。故郷を懐い、旅を思う。毎夜の夢に心安らぐ。月の明るい夜は一人楼に上って愁いた腸に酒を注ぐと

相思の涙となってしまう)

 秋の風景に別れの寂しさを重ねて詠んだ蘇幕遮スタイルこの詞の作者は范希文先生。本名の范仲淹の方が知られている先生は989年江蘇省呉県の御出身。大中祥符8年(1015年)の科挙に合格し官界入りしました。

― 希文先生、您好!

「 你好。私は詞はさほど作らなかったのだけど、それでも6位に入ったんだね。」

― はい、先生の詞は私たちの時代には五首しか伝わっていませんが、どれも佳作だと言われています。ところで、私たちが“芳草無情”と呼んでいるこの作品は旅先での思いを詠じたもののようですが……?

「地方に赴任するとき作ったものだ。」

― こうした内容は、これまでは詩で表現するものでしたが、先生は詞になさいました。

「蘇幕遮の旋律が好きなので、それに合わせて作って見たのだ。」

― ところで先生は詞、詩を始め文章も上手く文学面では一級ですが、政治手腕のほうも優れていましたね。

「本職はそちらなので当然だろう(笑)」

― 当時、対立していた西夏国でも先生の存在は一目置かれていた

ようです。

「しかし、自分の勤めを十分果たしたかどうか……。」

― 先生の業績は、政治面、文学面問わず、後世で高く評価されています。

「そうか、それは喜ばしいことだ。」

― 今日はお忙しいなか、どうもありがとうございました。









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