大人になっても




 エレベーターが五階に到着したことを告げながら、すぅーっと扉を開けてくれる。



 祈莉いのりは一人で降りて、そっと周囲を見回した。

 まだそれなりに新しいようで、明るく綺麗な内装のビルだった。通路にはいくつか扉があるが、中では社員さんたちが働いてたりするから邪魔しないように、と願生ねがい伯父に言われている。……なんというか、伯父にお子様扱いされてるとしか思えない注意だ。


「一番奥、と」

 廊下の一番奥の、社長室。

 マナー的に正しいかはわからないが、まずはコンコン、とノックをしてみた。

「祈莉です。願生伯父さん、いらっしゃいますか?」

「あぁ、待ってたぞ。入れ入れ」

 呼びかけてみると、伯父の声。ちょっとほっとしながら、それなりに重厚感のある扉を開けて入る。


「こんにちは、伯父さん」

「今日はよく来てくれた、祈莉。誓子ちかこ大希だいきは元気にしてるか?」

「ママはいつもの通り。パパはいつもの通り、元気すぎてます」

「さすが大希」

 後桜川ごさくらかわ大希だいき――祈莉のパパは、とにかくパワフルで、そしてそのパワーが常に全力で放出されてるような人間だ。

 学生時代クラスメイトであった祈莉のママ――後桜川ごさくらかわ誓子ちかこに全身全霊で惚れ込み、猛アタックの末に結ばれた。……まではいいが、何を思ったか彼は愛する人の魅力を全世界に発信したいと、行動しはじめてしまった。

 結果、後桜川家のやんごとなきご令嬢である誓子を、アイドルとして売り出して大成功してしまったのだ。

 パワーも発想も、いろんなものが突き抜けている。


「我が父親ながら、あのパワーはどこからくるのか疑問です」

「愛ってのは偉大なパワーだもんなぁ」

 そんな風にわかったような口調でしみじみと語る伯父は、しっかりと独身である。


「それで、商品モニターのバイト……というかお手伝いって聞いたけど」

「あぁ。一から解説するから、ちょっと待ってろ」


 そう言って、伯父は祈莉にソファに座って待つように促す。

 素直に腰掛けて待っていると、伯父がテーブルにいくつかの冊子を置いた。

 一番上にあるのは『プリティドール・プリンセスの軌跡』と白文字で書かれているだけの、黒いシンプルな表紙。

「今回、祈莉にモニターになって貰う商品について、まずは知ってもらおうと思ってな」

「見ても?」

「どうぞ」


 黒表紙の冊子を手に取って開く。

 白、赤、緑、青、紫、金、銀。

 ふぅわりと、まばゆい光と色彩があふれ出るように、華やかな世界が広がった。


 そこにあるのは、大きく写し出されたお人形の画像たち。

「お人形……」

「うちで今、一番人気の『プリティドール・プリンセス』だ。もうすぐ発売から十周年を迎える商品で、根強いファンも多いんだ」


 あなただけのお姫様。


 そんなキャッチコピーが書かれた美しい『プリンセス』達が、百花繚乱とばかりに冊子の中で可愛く、華やかに、艶やかに、可憐に、咲き誇っている。


「まさか、これを」

「そう、祈莉にモニターになってもらう」

「こんな、可愛いお人形……」


 祈莉の心は……形容しがたいじくじくとした痛みで締め付けられていた。

 こんな、こんなに、可愛いお人形、でも、私は。


「こんな、可愛いお人形……」

 痛む。じくじくと胸が痛む。

 嫌悪とか、劣等感とか、劣等感を感じてしまうことすらおこがましいという気持ちとか、そういうもので締め付けられて。


「難しく考えるな、祈莉」

 からりとした伯父の声に、思わず顔をあげる。


「これはな、ただの商品、ただの人形だ。それ以上でもそれ以下でもないんだ。そりゃ当社としては思い入れを持ってくれたら嬉しいとは思う。だが、その前に単なる物品であることも忘れないようにしてほしいなぁとは思うんだなぁ」

 重課金はほどほどにしてほしいよなぁ、なんて言いながら伯父は笑っていた。

「はは……そう、だね」

 つられて、祈莉も少し笑ってしまう。


「今回は、祈莉のようなドールに馴染みのない、それも若い女の子にどうやってこの『プリティドール・プリンセス』を売り込むかっていうのを考えていて――それで社長の身内である祈莉にちょっとドールオーナーになって貰おうってことになった」

「ドールオーナー……」

 力強い頷きとともに、話は続く。


「祈莉はただ、ドールと一緒の生活を楽しんでくれて、その様子をちょこちょっとレポート用紙にでも記録して伯父さんに読ませてくれればいい。それを、こっちで勝手に商品開発とか営業とかに役に立てるだけだ。ついでに、祈莉の口座にお小遣いが振り込まれていく。どうだいい話だろう」

 さくさくと話をする願生伯父に、祈莉は目をまんまるくする。

 これで話をしているのが信頼している親戚の伯父でなかったら、怪しすぎるほどのうますぎる条件。

「それだけで、良いの?」


「ん、そうだな」

 じぃっと、伯父が祈莉の目を覗き込む。

 願生伯父の瞳は黒くてはっきりしていて、力強い。


「祈莉は、小さい頃お人形遊びとかしなかっただろ」

「……?」

「お前が小学校に上がる前ぐらいまで、誓子と大希は……デビューさせたがっていたし」


 言われてみて、幼い頃の薄い記憶を頭の中からどうにか掘り起こす。

 ……そういえば、物心付いたときから祈莉はあまりおもちゃらしいおもちゃで遊んだことはない、ような。

 代わりにたくさん与えられたのは、ピアノやバイオリンといった楽器、名作映画のDVDだとか、あとは母を初めとした有名アイドルのCD類。

 毎日毎日、レッスンやオーディションであちこちに行って、疲れ切っていて……遊ぶ、という発想すらそもそもなかった気がする。


「そういうわけだ」

「…………伯父さん」


「自分はな、人間はどんなに大人になっても遊んでいいと思ってる。むしろ遊ぶべきだと思ってるんだ。あ。これは会社とかグループの利益とかそういうのは関係ないからな!」


 その言葉に、祈莉はなんだかほんのわずかに心が軽くなる。


 今からお人形で遊ぶなんていいんだろうか。……ダメじゃ、ないだろうか。


 でも――あのお人形で遊べば、さっき一階の店舗で見たお客さん達みたいな「楽しそう」な顔に、自分もなれるのかも……しれない。

 なってみたい。

 違う、そうなりたい。


 可愛いことが売りのお人形というのは、まだなんだかちょっとモヤモヤする気持ちだけど、でも。



「うん……伯父さん、商品モニター……やってみます」


 小さい声だが、ちゃんと聞こえるようにはっきりと、そう宣言した。



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