守護神 ・山科アオイ

亀野 あゆみ

第1話 二人組

「アオイ、ETAまであと58分30秒です」

都心から少し外れた住宅街。2LDKのアパート。玄関から慧子が声をかけてくる。澄んで、落ち着いた、涼し気な声。

 アオイは、慧子のその涼やかな声に混じった微かな焦りを聞き漏らさない。アオイ以外の人間にはわからない、わずかな変調。

――なんせ、長い付き合いだ。通算で5年だよ。

 もっとも、この場合ETA(到着予定時刻)までの残り時間を伝えているのだから、アオイでなくても、慧子がせっついていることが分かると言われれば、それまでだが……

 

―—あたしが慧子だったら、怒鳴ってるよ。

ここから目的地の「スナック華」まで、順調に行ってドア・トゥ・ドアで1時間。 つまり、アオイと慧子は、すでに遅刻しつつある。それも、アオイがSUICAを見つけられないせいで。

――怒鳴られた方がまだ気楽ということもある。

 とつぶやきながら、アオイはごちゃごちゃと小物の詰まった引き出しからSUICAを掘り出そうとしている。


「もうあきらめて、現金でキップ買ったら?」

慧子の声のトーンが上がった。

「SUICAにチャージしたばかりだ。もったいなくて、現金なんか使えるか」

アオイは言い返す。財布のひもを慧子に握られているアオイは、つねに、キャッシュ・プーアだ。

 本当は、SUICAにチャージするのも惜しい。用心棒という仕事がら駅でスムーズに移動できないと困るので、泣く泣く常時3,000円をキープしている。

 なけなしの現金をつぎ込んだ、そのSUICAが見つからない。


「では、今日は、交通費は私が貸しましょう」

慧子が彼女なりの猫撫で声を出す。これも、アオイでなければ気づかない変化だ。

「貸し? 借金かぁ~、ここで、もう一声!」

アオイは、どこで慧子を押せばいいか、心得ている。なにせ、長い付き合いだ。

「それでは、私のおごりということで」

慧子が、今度はアオイでなくてもわかる諦め声で言った。

 アオイは「よろしく!」と大声で応え、玄関に飛んで行った。


 マンション前を通りかかったタクシーを捕まえたおかげで、アオイと慧子は定刻の5分前に「スナック華」の通用口に着くことができた。

 慧子はアオイのだらしなさを警戒して小遣いに渋いだけで、倹約家ではない。仕事では、すぐにタクシーを使う。外食の際は、急ぎでない限り、ファストフードやコンビニの買い食いでなく、ちゃんとした料理を食べる。もちろん、慧子のおごりで。


 アオイが慧子と初めて会ったのは7年前。その時28歳だった慧子は35歳になったが、見た目は出会ったころと、まったく変わらない。

―—28歳にしちゃぁ、老けてたからかもな……

 175センチ近いすらりとした長身。長い手脚と小顔。パリコレのランウェイを歩けそうなプロポーションの持ち主だが、街でスカウトされることはなかっただろう。 顔つきに難があるからだ。

 

 造形の問題ではない。むしろ、造形的には完璧だ。まっすぐ通った高い鼻筋を中心に見事に左右対称な細面。陶器のように白く、つややかな肌。ややきつめの切れ長の目。唇は厚からず、薄からず、ちょうどいい具合。

 だが、表情がいけない。理知的すぎて、愛嬌・色気とおよそ無縁。せっかくの黒くしっとりした長い髪をいつもひっつめにして後ろで束ねている上、黒のセルフレームの眼鏡をかけているから、マンガの「怖い女性教師」そのもの感がプンプンして、たいていの男性は腰が引けてしまうだろう。

 

 服装にも、まったく「華」がない。清潔さと実用性が第一。濃紺のパンツルックのビジネススーツと白のブラウスを常に着用し、ブラウスは当然、毎日取り換える。キャリアウーマン的服装に対して足元がウォーキング・シューズというところに不調和感があるが、用心棒はいざという時に走れてナンボだから、これは業務上の要請。ちなみに、上着もパンツもストレッチ素材でゆったり目なものを着ているので、せっかくの美しい身体の線は隠れがちだ。


 慧子が「歩く知性」なら、17歳のアオイは「歩く野生」だ。身長は160センチと高くはないが、ガチッとした骨格にみっちり筋肉がついて、精悍な肉食獣を思わせる身体つきをしている。実際、腕力が強く、敏捷だ。

 顔は、ものすごく特徴的。東アジア、東南アジア、南アジア、各地域のちょっと「ヤンキー」な女子をブレンドしたような顔。

 

 色はやや浅黒い。アーモンド型の目によく光る茶色の瞳。鼻が高いが、鼻筋が曲がっていて、かつ太い。唇は厚め。

 この顔はアオイの元々の顔ではない。追っ手から身を隠すために整形した顔だ。整形して目立つ顔になってどうすんだって話だが、東南アジアか南アジアに身を潜める案があったためこういう出来上がりになったと聞かされている。

―—それにしても、これはやり過ぎだろう。

 

 ヘアスタイルはいたって適当。茶色がかったクセ毛が、いつも鳥の巣のようにバサついている。

 服装も同じく適当。ボトムズはポケットが多い太めのカーゴパンツと決めていて、足元はローカットのトレッキングシューズ。上はTシャツ。そこに春はブルゾン、夏はパーカー、秋冬はハーフコートが重なる。寒さが厳しい時期はTシャツの代わりにウールのシャツを着る。


 この対照的な二人が、南新宿の「スナック華」の通用口に立っている。

「時間に間に合ってよかったです」

「歩く知性」・慧子がが「歩く野生」・アオイをやや見下ろすかっこうで言う。

「電車賃、ご馳になって、すんません」

アオイは肩をすくめてみせる。

「では、行きますか」

 と言って、慧子が通用口のベルを鳴らした。

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