第二十三話 つかれたー


 日が落ちて暗くなる。スピルードル王軍の陣で篝火が立ち、魔術師が魔術で明かりを灯す。

 残ったアンデッド集団はほとんど駆除されたが、まだ残りがいるかもしれないので警戒は続く。明日、明るくなってから一通り見て回り、それから北の砦に向かうことになるだろう。


「ふぅ、にゃ」


 治療部隊から離れ特大テントへと戻る。ゼラは疲れたのか蜘蛛の脚がフラフラヨタヨタとしてる。ゼラの手を引いて歩く。


「ゼラ、疲れたか?」

「ウン、治癒、こんなにいっぱい、使ったの、初めて」


 ゼラひとりであのテントの並ぶところの怪我人をほとんど治してしまった。だが、ゼラでもこれはグッタリするほど疲れることだったらしい。瞼が半分閉じている。


「テントで休もう。エクアド」

「あぁ、警備は任せろ」


 アルケニー監視部隊の夜営するところ、ゼラが入れる特大テントの中へと。いろいろあった一日だった。ヘチャリと蜘蛛の腹を床につけるゼラ。上半身を前に倒して休めるように蜘蛛の身体の前に重ねた毛布とクッションを運ぶ。そこにゼラは上半身を投げ出すように横になる。


「ンー、カダール、鎧、脱ぎたい」

「ちょっと待ってくれ」


 ゼラの赤いブレストプレートを外そうとすると、テントの外からエクアドの声。


「カダール、いいか?」

「どうしたエクアド?」

「来客だ」


 特大テントの中に入って来たのは、エルアーリュ王子。昨日と同じ壮年の騎士を連れて。この騎士が何やら大きな包みを持ってきている。続いてエクアドもテントの中に入る。

 エルアーリュ王子は楽しげに微笑んで。


「ようやく骸の置き土産が片付いてきた。できれば黒蜘蛛の騎士カダールとアルケニーのゼラとは、ゆっくり話をしたいところなのだが」


 王子と連れの騎士には椅子を勧めて、俺とエクアドはゼラが横になる毛布の山に座る。ゼラは鎧を外そうとカチャカチャしてるが、上手く外せないらしい。


「ゼラ、あとで手伝うからもう少し我満してくれ」

「うー、ウン」

「それでエルアーリュ王子は、何故わざわざこちらに?」

「あとで酒でも持ってくると言っただろう」


 王子の連れの壮年の騎士が、折り畳みの小さなテーブルの上に包みを置いて開ける。中から出てきた物にエクアドが、お、と声を出す。


「これは最上級のブランデー、ヴォンではないですか。王族専用と聞いてますよ」

「私の祝杯用に持ってきたものだが、騎士カダールがいける口と聞いているので持ってきた。もうひとつはアルケニーのゼラに」


 ブランデーの瓶の隣には高級そうな布包みが緑のリボンで留められて置かれている。


「ルブセィラよりアルケニーのゼラにはお茶が酒のようなもの、と聞いた。中央より取り寄せた上物の茶葉だ。なんでも子供が飲むと夜に寝られなくなるというくらい、濃い一品だと。今から私が淹れよう」

「エルアーリュ王子! その、ゼラにお茶を飲ませるのは、」

「泥酔すれば危険とも聞いてはいるが、量を飲まなければ問題無いのだろう? 一杯だけ付き合ってくれ」


 こちらが止めるが気にもせず、供の騎士と二人でお茶の準備を始めるエルアーリュ王子。携帯茶器も一式持ってきている。うむぅ、一杯だけなら、大丈夫か。

 まさかここで王子が淹れるお茶を飲むことになるとは。楽しげにお茶の準備をするエルアーリュ王子。


「こうして私が訪ねてくれば、周りが見る目も変わるだろう」

「王軍の総大将である王子が、一騎士を呼び出すでも無くわざわざ足を運ぶとなれば、そうでしょうね」


 王子と俺、黒蜘蛛の騎士、そしてアルケニーのゼラ。これはエルアーリュ王子の直下で、王子にとっては特別。だから他の貴族は手を出すなよ、と。

 王子は布包みを開けて茶葉を取り出して。


「これで小煩い輩からもアルケニーのゼラを守れる。その力を見せてくれたので、今後はアルケニー監視部隊もやりやすくなるだろう。予算でケチをつけるのも黙らせやすい。ただ、少しばかりやり過ぎたかな?」

「そうですね。あんな大きな爪痕を平原に残しては、今後は他の国からもゼラは警戒されますか?」

「それは私が何とかしよう。二人のことは私に守らせてくれ」

「王子はゼラをどうしたいのですか? 国の兵器にでもするおつもりか?」

「ドラゴンでも相手にするにはいいが、人を相手にするには強すぎるか。相手を怯えさせて敵意を買うつもりは無い。あぁ、治療部隊から話は聞いた。よくやってくれた。アルケニーのゼラを使うとすれば兵器では無く、治療薬として使う方が良かろう」


 いまいちエルアーリュ王子の真意が解らない。王子は俺を見て、眉を寄せる。


「私がアルケニーのゼラの手を取ったのは、王軍の兵の不安を払拭する為なのだが?」

「えぇ、解っております」

「解っているならあまり不機嫌な顔で私を見るで無い。頭で解って心で解らず、か?」


 片手で自分の顔を撫でる。俺はそんなに表情に出やすいのか?


「私も可能であればアルケニーのゼラの忠心を得たいとは思うが、それは騎士カダールにしか向けられんと知っている。それに私は二人の報告を聞くのが好きなのだ。騎士カダールとアルケニーのゼラの関係を見守りたいと思う。まるでお伽噺のような二人の邪魔をする不粋は許せんのだ」

「エルアーリュ王子が絵本のような話がお好きとは」

「ときに面倒ごと全て投げ出したくはなる。だが、王子としての立場も役目も捨てる気は無い。美しき心根の者をそのままに生かせる権力となれば、これは王子として上手く舵を切らねばならん」


 王子は慣れた手付きでカップにお茶を注ぐ。俺にお茶の入ったカップを手渡して、ニヤリと笑う。


「私に善政をやらせたいなら、私にロマンを見せてくれ」

「そんな難しいことを言われても」


 手にするカップから漂うお茶の香りは随分と濃く華やかだ。色も深い赤色。ゼラはふにゃりと寝そべったまま、肘をついて顔を起こしている。王子を前にだらけた態度だが、エルアーリュ王子は気にしない。ゼラにもカップを渡す。


「さぁ、蜘蛛の姫、いかがかな?」

「ふわ、いい匂いー」


 ゼラが目を細めて、お茶の匂いを嗅ぐ。


「ゼラ、その一杯だけだからな」

「ウン!」


 ゼラは両手でカップを大事に持って、ちょっとずつ舐めるように飲む。はぁ、と息を吐きながら。王子も自分の淹れたお茶を飲みながらゼラを見る。


「こんなに色気を魅せてお茶を飲む乙女は見たことが無い」

「ゼラにはお茶は酒のようなものですから」


 エクアドも王子の供の騎士も、一杯のお茶をじっくりと味わう。戦場で茶を飲むとは、贅沢な事だ。

 エクアドはお茶の入ったカップを見ながら。


「王子がアルケニー監視部隊を作り直下に置いたは、ゼラを意のままに使う為かと考えていましたが?」

「始めはその腹積もりもあった。だが、騎士エクアド、ルブセィラの両名の報告を聞き、今日のアルケニーのゼラを見れば無理と解る。これは灰龍の卵と同じ、人が扱う枠を越える。今は騎士カダールとアルケニーのゼラに、いかに私が見限られないようにするか、そう不安を覚えてこうしてご機嫌伺いに来たのだ」

「ご冗談を、エルアーリュ王子が弱気なことを」

「今の私が恐れるのは騎士カダールの身だ」


 エルアーリュ王子は笑みを消して俺を見る。


「今後は騎士カダールを取り込むことで、アルケニーのゼラを使える、などと考える愚物が出てこよう。これに気をつけてくれ。私からも牽制はかけるが」

「解りました」


 強く恐ろしい力、それは時として抗い難い誘惑にもなるだろう。俺を誘拐して人質にして、ゼラにいうことを聞かせる。そんなことを考える者が現れるかもしれない。

 王子は次にエクアドに向き直り。


「アルケニー監視部隊は騎士カダールの身を守り、接触しようとする者があれば即、報告してくれ。その為にエクアド隊長には独自に権限を持たせることも考える。何か提案があれば言ってくれ」

「それではエルアーリュ王子。早速ですが王子が信用できる商会をひとつ、ローグシーの街に引っ張ってきて貰えませんか? かつてのバストルン商会の二の舞を防ぐためにも」

「見繕っておこう」


 王子はカップに残るお茶を飲み干して立ち上がる。


「本当は報告書では無い、黒蜘蛛の騎士と蜘蛛の姫の恋話を聞きたいところだったのだが、色気のある話は次の楽しみとしよう。明日以降の砦攻めにはアルケニー監視部隊は後衛にいてもらう」


 エクアドと顔を見合わせる。ゼラが砦攻めに参加しては、取り返すべき砦が無くなってしまうかもしれない。後方で治療部隊の援護、というところか。

 テントを出る前にエルアーリュ王子は思い出したように振り向いて。

 

「それと、騎士カダールよ。万が一、アルケニーのゼラを人里離れた処へ隠そうというなら、事前に私に相談してくれ。灰龍を越える脅威が身を隠し、何処にいるか解らぬとなれば不安になる者もいよう。その時は工作が必要になる」

「それも、そうですか。簡単に逃げることもできませんか」

「何、駆け落ちの手伝いというのも面白そうだ」


 駆け落ちって。いきなり俗っぽくなった。だが、王子がいろいろと考えていたことも解った。


「エルアーリュ王子、いろいろとありがとうございます。ゼラ、王子にお茶のお礼を」


 物足りないと空のカップをペロペロ舐めているゼラを促して。


「ウン、お茶、ごちそうさま。おいしかった」


 寝そべったまま肘を着いてエルアーリュ王子に微笑むゼラ。王子はゼラを見て苦笑する。


「これほど私に不遜な者はいない。やはり、手放したくは無いな」


 明日以降の作戦会議があると、王子はテントを出て行った。

 

「エクアド、俺はまた妙なところに立ってしまったらしい」

「カダールは立って無いぞ。ゼラの蜘蛛の背に座ったんだ。妙なところに立たされたのは俺の方だ」


 俺もエクアドももはや只の騎士では居られないか。今後は気をつけることが増えそうだ。

 ゼラは寝そべったまま、俺とエクアドをキョトンと見る。片手で自分の蜘蛛の背中をポンポンと叩いて。


「座る?」


 無邪気に聞いてくる。そこは蜘蛛の体毛がふかふかで寝心地はいいのだが。

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