あなたのためなら、一軍だって

第一話 ひげー、ひげー、……血?


「……おはよう、ゼラ」

「カダール、おはよ」


 朝、目を覚ますと目の前に赤紫の瞳がある。

 褐色の肌に、常に濡れたような艶のある黒く長い髪。眉は細く、唇は赤く、何より暗闇では薄く光る赤紫の瞳は、不気味でありながらもまるで宝石のよう。蠱惑的な輝きに引き寄せられる。この美しき異国風の少女に目を奪われない男はいないだろう。ただし、顔だけを見れば、だが。

 先に起きたゼラが俺の寝ているところを見ていたらしい。ゼラが見ていた、というか俺は顔に何かが触れる感触で目が覚めたのだが。今もゼラの指が俺の頬に触れている。


「カダール、ひげ」


 ゼラは言いながら俺の鼻の下を指で撫でる。くすぐったい。ゼラは何やら楽しそうにクスクス笑う。横から右手を伸ばして、俺の顔の隣に片ひじついて。チラリと見れば、その肘を着いた左手の上には立派な褐色の双丘がポムンと乗っている。

 ゼラは寝るときはすっ裸だ。胸を晒して恥ずかしいとは思う気持ちは無いらしい。そこは人の娘とは違う。う、むぅ、ふたつ、ポムンと大きい。柔らかそうだ。ちょっと、触ってみたい、いや待て、寝ぼけるな俺、朝おっぱいに意識を取られるな。正気に帰れ。目覚めろ理性。


「カダール? どしたの?」

「な、なんでもない」


 胸に伸ばしかけた手を方向を変えてゼラの顔に伸ばす。その頬を指で突っつく。ゼラは目を細めて、お返しなのか俺の頬を撫でて、伸びかけた髭を触る。

 俺は別に髭を伸ばしてる訳では無くて、伸びれば剃っているのだが。俺の髭は薄く、伸ばしてみても父上のように様にはならない。もう少し歳を重ねれば渋みが出て、髭も似合うようになるのだろうか? 父上は髪も髭も金色だが、俺は母上譲りの赤毛だからだろうか。


 我が家の屋敷の倉庫は少し改造し、家具も運び、前より住みやすくはなってきた。

 ゼラはアルケニー、上半身は少女で下半身は黒い大蜘蛛の魔獣だ。この蜘蛛の身体の部分が大きくて屋敷の扉を通れない。その為、ゼラが屋敷の中で暮らすのは無理。

 現在、俺とゼラが住む為の屋敷の建設が計画中。この街、ウィラーイン領ローグシーの街中、我が家の屋敷の近くには屋敷をひとつ建てるには土地がたり無い。

 ゼラが住めるように広く作ろうとすると、大きくなりそうなのだ。それもそうか、普通の扉のサイズではゼラが通れない。


「ひげー」

「……楽しいか? ゼラ?」

「ウン、むふん」


 ゼラが片手で俺の顔の髭を逆撫でする。ゼラが鼻から抜けるような呼気で目を細めるときは、機嫌の良いとき。なのでしばらく好きにさせておく。

 俺の役目はこのゼラのご機嫌をとること。灰龍すら凌駕する魔獣、アルケニーのゼラが怒って暴れてウィラーイン領壊滅、という最悪の事態にはならないようにするために。

 今のところはゼラが怒ったところは見たことは無い。笑ってるところと、ショボンとしてるとこは見てきた。上手くいっているのか、俺もこのゼラに慣れてきた。これまで一緒に寝て、こうして頬を撫でることもできる。親指で頬をふにふにと押すと、ゼラは俺の手に顔を押しつけるようにする。

 ……なんだか、新婚夫婦ってこんな感じなのか? 俺はまだ結婚もしていないのに。初めての結婚式はこのゼラに乱入されて中座したのに。なんでこうなったのか、おかしくて笑いそうになる。


 ローグシーの街は、灰龍の騒ぎで避難してきた民の為に、空き地には仮の住居として小屋を建てて土地が無い。

 避難してきた民は、灰龍がいなくなってからは少しずつもとの村に町に帰っているが、いまだ仮の住居に住んでいるのも多い。俺とゼラの屋敷は何処に建てるというのか。

 ゼラの頬から手を離して身体を起こす。


「髭を剃るか、ゼラ、水を頼む」

「ウン!」


 ゼラは俺の言うことは聞く。と、いうよりは俺の為になることをするのが嬉しいらしい。それが解ってからはゼラが出来そうなことを、俺から頼むようにすることにした。


「すいー、ぽ」


 ゼラが呟いて指を振れば、宙に水が湧き出て玉になる。たらいの中にバシャンと落ちる。ん? 今日の水は湯気が出ている? 手を入れてみれば温かい。お湯だ。


「出せる水の温度も変えられるのか? 凄いな、ゼラ」

「ゼラ、凄い? むふん」


 褒めるときにはゼラの頭を撫でる。こうするとゼラは喜ぶ。子供みたいに。その笑顔に俺の方が癒される。

 たらいのお湯を洗面器に汲んで剃刀で髭をあたるとしよう。使い慣れた剃刀を軽く粗布で研いで髭を剃る。ゼラが近くでじーっ、と、見てるので、少しやりにくい。

 野生の魔獣から見れば体毛を剃って落とすというのは、珍しく見えるのだろうか? 身嗜み、ということだが、さて人は、男はいつから髭を剃るという習慣になったのだろうか?


「つっ!」


 考え事をしていると、手が滑った。頬に指で触れると少し血がついている。切ってしまったか。あとで軟膏でも塗っておくか。


「あ……、血、」


 ゼラの呟きが聞こえてゼラを見ると、瞳の輝きが強くなっている。瞳が潤み、褐色の頬に血の気が上る。肌の色が濃くて解りにくいが赤らんでいる?


「どうした? ゼラ?」

「血、カダールの……」


 熱に浮かされたように口にする。ふらりと近づいてくる。何か様子がおかしい。


「お、おい? ゼラ?」

「カダール……」


 ゼラの顔が近づいて、俺の頬をベロリと舐める。背筋に鳥肌が立ち剃刀を取り落とす。身を引いて逃げようとするが、両手を掴まれて押し倒される。

 ゼラの手は細く十四、五の娘のようだが、見た目から想像できないほどの怪力だ。両手を押さえられて仰向けに倒されて身動きできない。

 血? 俺の血を見て急にゼラがおかしくなった?

 

「あぅ、カダールぅ……」


 舌を出して俺の頬をペロリペロリと舐める。傷口を舐められる度に背筋がゾクゾクする。もがいても俺の手はピクリとも動かない。

 ゼラは高ぶっているのか、蜘蛛の脚がガリガリと倉庫の床を掻く。


「ひう、ゼ、ゼラ、落ち着け、落ち着いてくれ!」

「血……、カダールの、はう……」

 

 酔ったような声で色っぽく吐息を吐く。頬の傷口から出る血を舐めている。俺の血に何かあるのか? 急にどうした?


「カダール、朝食を……」


 扉を開けて友人の騎士エクアドが顔を見せる。仰向けに寝たまま上を見上げれば、扉を開けて固まったエクアド。ゼラはエクアドには気がつかないのか、俺の頬をペロリペロリと舐めている。

 エクアドは眉をしかめて、俺と俺を押し倒したゼラを交互に見て。


「……邪魔をしたか? すまん」

「待てエクアド! 助けてくれ! ゼラの邪魔をしてくれ!」


 扉を閉めて出て行こうとするエクアドを必死に叫んで止める。

 状況を見直したエクアドが慌てて毛布を一枚持ってきて、俺の顔にかけてゼラに見えなくなるようにすると、


「あ、う……」


 ゼラはようやく手を離して俺を解放してくれた。不思議と命の危機は感じなかったが、エクアドが来てくれなかったらどうなっていたか。ゼラがおとなしくなったので、エクアドの後に続いてやって来た兵士に魔術師には、なんでも無いと言い倉庫から出てもらう。


「ゴメンナサイ……」


 俺とエクアドが並んで立つ前でゼラはしょんぼりしている。俺はエクアドに朝の状況を説明する。


「カダールの血を見たら、ゼラが正気を無くした?」

「そのようだ。ゼラ、俺は怒って無いから顔を上げてくれ」

「ウン……」


 ゼラは顔を上げて俺の顔を見ると指を振る。


「なー」


 ゼラの指が白く光って俺の顔に伸びる。ゼラの指が俺に触れる。エクアドはまた何かあるのかと身構えるが、ゼラの目はさっきと違い落ち着いて見えるので、そのまま好きにさせてみる。

 剃刀で切ったところが暖かくなる。俺を見るエクアドが、


「カダール、キズが治ったぞ。これは治癒の魔法、か?」

「そうなのか? 自分では見えんから解らんが」

「ゼラは幾つの系統の魔法が使えるんだ?」

「火の系統以外はいっぱい使える、と、言っていた。しかし、俺の血にいったい何があるんだ?」

「ンー?」

「ゼラが生肉を食べるとき、ニワトリの血も、ヒツジの血も口にしていたが、特におかしくはならなかっただろう? ゼラは人の血が好みなのか?」

「ンー、違う。人の血、どうでもいい。カダールの血、とくべつ」

「俺の血が特別?」

「カダールの血、舐める、世界が開く」

「はぁ?」


 俺とゼラの倉庫暮らしは、まだ続いている。

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