第10話


 ニワトリを二羽食べ終えたゼラ。残った一羽は壁から吊っておく。ゼラの蜘蛛の下半身の大きさから見ると、少食なのか? 二羽でどれだけ持つのだろうか。


「カダール、むしむしした方が、おいし」

「そうか? どちらも似たような雌鳥だったが」

「匂い、ちがう」


 俺の手の匂いがついた方が美味しいと? どういうことだ? 深く考えると怖くなりそうで、頭を振って床を見る。


「掃除をするか」


 ニワトリの血が飛び散った床は赤く、辺りにニワトリの血と臓物の匂いが漂う。モップでも持ってきてもらおうかと倉庫の扉に向かう前に。


「くー」


 ゼラがポソリと呟き指をチョンと振ると、床の血もゼラの手と顔の血も薄くなって消えていく。みるみるうちに辺りが綺麗になっていく。


「これも、ゼラの魔法か?」

「ウン、えもの、狩る、匂い、消す」

「それは、狩猟の際、獲物に気づかれないように匂いを消した方がいいのは解るが」


 しかし、ゼラの着ているエプロンには赤い染みが残っている。乾いたようだが染み込んだものまでは綺麗にできないのだろうか?

 扉をノックして外に声をかける。


「すまないがエプロンをひとつ持ってきてくれ」


 新しいエプロンに果実水にコップを持ってきてもらう。ゼラには新しいエプロンを着てもらい、また裸のエプロンに。少し見慣れてきてしまった自分が怖い。

 果実水を飲みつつゼラと話をする。たどたどしく話すゼラの言うことは、ところどころ解らないが、話を聞いているうちに、俺は凹んできた。


「カダール?」

「気にするな、ゼラ、いろいろ納得しただけだ、はは……」


 ゼラはアルケニーに進化する前から、人の言ってることは少しは解っていたらしい。俺が八歳の頃、小さな子タラテクトのゼラから離れた。しかし、離れたつもりだったのは俺だけだったようで、ゼラはこっそりと俺のことを見守っていたという。

 八歳の頃から二十一歳になるこの十三年。

 騎士の訓練時代から、窮地に落ちてもそこから生還してきた。その度に手柄を立てることになった。エクアドが俺のことを、どんな窮地からも生還する不死身の騎士、などと言ってはいたが、よく同じ部隊になるエクアドも同じように不死身のアダ名で呼ばれている。

 これは死んだか、そう思う度に生き延びた。手柄を立ててもそれは俺の実力では無い、そう感じると実力以上の評価に居心地を悪く感じていた。


『運もまた実力のうちだろうよ』


 エクアドはそう言ってはくれるが、ゼラと話をしてこれまでの謎は解けた。

 俺が窮地に落ちる度にこのゼラが助けてくれていたのだ。ゴブリンのときも、スワンプドラゴンのときも、あんなときもあのときも、あれもこれも、しまいにはこんなことまで。

 このゼラが居なかったら騎士になれてたかどうかすら怪しくなってきた。それだけ、知らない内にゼラに助けてもらっていた。その話を聞くことになった。剣には自信があったが、それさえも今では不安になってくる程だ。

 ゼラが助けに来てくれなかったら、俺は何度死んでいたのか解らない。


「ゼラには何かと助けて貰ってばかりで、その、これまで、ほんとうに、ありがとう」


 もうこのアルケニーに頭を上げられ無い。ゼラはニコニコ笑いながら、


「ゼラ、カダールの。ゼラ、カダール、守る」


 たった一度、子タラテクトを救ったことが灰龍よりも恐ろしい魔獣の忠誠を得ることになるとは。

 今後のためにもゼラと話をしておく。ゼラは俺と話ができることが嬉しいらしく、話してる内に涙ぐむこともある。俺が小さな子タラテクトのゼラを助けたことが、今のゼラにとってはかなり大切な出来事だった、というのは解ってきた。


 その晩はエクアドから絵本を受け取った。寝る前にゼラに読み聞かせてみることにする。

 アルケニーになって言葉を話せるようになったというが、ゼラの言葉はたどたどしい。これからの会話の通りを良くするためにも、子供に教えるようにした方が良かろうと。

 ついでに人間とは違うアルケニーの情緒も探れる。物語の感想が人とどのくらい差があるのか、これで測ってみるという思惑もある。

 寝転ぶ俺の腹に頭を乗せるゼラに、開いた絵本を見せながら読む。ゼラは文字はまだ読めないらしい。

 一冊、読み終えたところで。


「あええええええん」


 ゼラが泣き出してしまった。俺の腰にしがみつくようにして腹に顔を埋めて。けっこう力があって少し苦しい。


「ゼラ、落ち着け」

「あええん。ひとさかなひめ、かわいそ」

「ひとさかなじゃ無くて人魚な、人魚姫」


 エクアドが選んだものは人魚姫だった。主人公がゼラと同じ半人半獣という辺り、エクアドも絵本を選ぶのに迷ったのだろうか。そして予想以上に主人公に感情移入したらしく、ゼラは人魚姫が泡になったところから泣き止んでくれない。


「声、無くしたら、足、人間?」

「いや、そんな魔法を知ってる魔女に心当たりは無いから」

「ンー、どうしよ? どうする?」

「いや、どうにかなることか? これは?」

「人間、魔獣、一緒、いられない、カダール、言った」

「昔、そんなことを言ったこともあったか」

「ゼラ、がんばる」

「がんばるって、何を?」

「灰龍、やっつけて食べた。進化した。半分、人間」

「アルケニーは人魚姫のように、上半身は人間か」

「灰龍より強い魔獣、見つける、やっつける、食べる。今度こそ進化、人間」

「おい? 進化って、そういうこと、なのか?」

「ゼラ、人間、なる。カダール、一緒、なる」

「ゼラが人間になれば、だと? そのために進化するのか?」

「ゼラ、考えた。ゼラ、人間、なる」


 ゼラと離れるときに、魔獣と人間は一緒にいられないと言った憶えはある。あのときの子タラテクトの宝石のような赤紫の目を憶えている。

 今、同じ瞳の輝きのゼラがここにいる。半分、上半身は人間になって。


「カダール、言った通りする。魔獣、次、人間、なる! 一緒、なる!」

「お前、俺が言ったから人間に進化するっていうのか?」

「ウン!」


 ……どうやら八歳の頃の俺の言葉が、この伝説の進化する魔獣の秘められた力を解放してしまったらしい。なんということだ。


「灰龍、より強いの、どこ?」

「そんな魔獣が簡単に現れたら、王国は滅んでしまう。灰龍より強いのなんてそうそういないぞ」

「ンー、」


 背筋が凍る。まさか子供の頃の俺の言葉が今のこの状況を作ってしまっていたとは。だが、これで灰龍がいなくなったのは幸運なのだろうか? 

 俺の腹に顔を擦り付けるゼラ。もしも進化したとして、次は何になるというのか? どんな怪物に進化するのか? だがそのために灰龍よりも強い魔獣をやっつけて食べる必要があるらしい。そんな魔獣が現れてしまったらどれだけの被害が出るか解らない。灰龍でさえ人には手出しできない生きた災害だというのに。

 そしてそんな魔獣さえもやっつけて食べると言う、そんな怪物が俺の腹の上にいる。人魚姫の話にグスグスと泣いている。


「次は、楽しい絵本を持ってきてもらおうか」

「他にも?」

「いっぱいある」

「ンー、楽しみ」

「今日はもう寝よう」

「ウン」

「おやすみ」

「おやすみー」


 昨夜と同じように俺を枕にしてゼラは眠る。

 その晩、不思議な恐ろしい夢を見た。赤く黒い巨大な魔獣が大地を踏み荒らす。そいつを相手にアルケニーのゼラがひとりで戦っている。辺りには火柱が立ち、爆発が起き、地面が破裂する。そんな地獄のようなところで謎の魔獣とゼラが戦い、その場を俺とエクアドが喚きながら、叫びながら逃げ惑う。妙に生々しい悪夢を見た。


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