3話 邂逅 



 ふと聞こえた声に、その場にいる全員が驚いて男3人は後ろを振り返った。

 

 男たちのすぐ後ろ、手に持ったナイフの間合いのほんの少し遠くに身の丈175センチ弱の青年が立っていた。


 あまり見かけない極東の衣服を身に纏い、腰にまたも珍しい刀を携えて、あくびでもしそうな程の緩い雰囲気のまま軽く頭を掻いている。


 そんな青年に男たちだけではなく、シルヴィアすらも背筋に悪寒が走る。


 男たちの背後、特にエルから見て正面に相対しているにも関わらず、声が聞こえるまで存在を認識できないほどの気殺けさつにふとシルヴィアは考えてしまった。もし青年が斬るつもりだったのであれば、誰もが斬られるまで彼の存在に気付けなかったのではないか、と。


 現れた少年に警戒を露わにし、男たちは武器を構える。

 もはや隠す素振りは微塵もない。ここまで至近に寄られたという事実が、彼らの隠密での行動という原則を破らせていた。


「一見すると少女に集団で迫る暴漢、といった構図だけど」


 どこまでも自然体で、顎に手を当てながら少女と男たちを見比べる青年。


 隙だらけなようでどこにも切り込む隙のない、言いようのない圧力を携えながら青年はなおも疑問を重ねる。


、なんて事はこの国では有り触れた事なの?」


「…っ、な、何を意味のわからないことを言ってやがる!」


「貴様、騎士団の手のものか!」


 反乱軍の3人の緊張がさらに高まる。


 騎士団というのは王国に仕える兵士。魔力を以て剣を振るう国を守る砦。今は国王の影響で見る影もないが、それでも国の秩序を司る部隊だ。反乱軍にとっては最も警戒するべき相手であることに変わりはない。


「きしだん、っていうのはちょっとわかんないけど」


 突きつけられる敵意をこともなげにあしらいながら、何の気負いもなしにこの場にそぐわない声色で、腰に添えられたに手を置きながらはっきりと告げた。




「どんな事情があったにせよ、無抵抗の女の子に殺意を持って迫る人たちを放っておくわけにはいかないんだよ」




「黙れ、邪魔をするな小僧が!!」


 叫び、懐からナイフを取り出して男の一人が青年に飛びかかる。


 魔力を使った身体能力の強化。この世界では基礎中の基礎の戦闘技能だが、軍で鍛えられたであろう反乱軍の男は淀みなく行使。一足飛びで間合いを詰め青年に切りかかった。


対する青年は刀に手を当てることすらせず、戦闘態勢に入る素振りも見せない。微かに魔力を巡らせながら、それでも自然体を全く崩さない青年に男は容赦なく刃を振るう。


「ぜあっ!!」


 胴体に対して横薙ぎの一閃。十二分に鋭いその刃に対し青年は軽くステップバック。

 なおも追い縋り再び刃を振るおうとする男に対し、袖口から何かを取り出して男の上に向けキンッと小さく音を立てて指で弾いた。


 「っ……!」


 飛ばしたものに思わず男は目線を向ける。その一瞬の油断の間に青年は体勢を立て直し、虚を突くように即座に男の横に並ぶ。


 ぎょっとする男のナイフを持っていない左腕を取り、足を掛けて瞬く間に地面へと転がした。そして青年はそのまま再度体制を整えてエルの方へと駆けていく。


「なっ……!」


「く、くそっ!!」


 一瞬の隙を突いて真ん中に立っていた一人の脇をすり抜ける。その奥、小さな刃を手に持ちこちらを見ている相手に駆ける青年が焦点を合わせた瞬間に、通り過ぎた後ろの男が振り返りながら逃がすものかと声を上げた。


「『燃え盛る炎よフレア』!!」


 それは炎の意を込めた一節で形作られる簡易な魔術。しかしながら人一人を焼くには十分すぎる熱量を持った炎が、青年の目の前へと立ち塞がる。


 狭い路地を覆うように炎が視界を埋め尽くしている。左右は壁で目の前は焔、飛び越えるには前のめりに勢いが付きすぎた。普通ならブレーキを掛けて後ろに下がるしかない状況で、青年は何を思ったのか地面を蹴って更に加速をした。


 破れかぶれの特攻か、そう思った術者の男は動揺に目を見開いた。


 あくまで男たちの目的は怪しげな少女シルヴィアだ。


 最初の男は動転と勢いの余り全力で刃を奮ってしまったが、魔術師の男は幾ばくか冷静だったのだろう。少年から少し離れた、しかしシルヴィアと青年の間を遮るように炎の壁を置き、あくまで牽制と断絶のために魔術を奮ったのだ。


 このままでは青年は唯では済まない。そんな場違いな思いやりのような思考は、その後の光景を目の当たりにした瞬間に異なる驚愕に支配され、その光景が理解が出来ずに真っ白になった。




 防ぐも躱すも叶わぬ炎のカーテン。眼前を埋め尽くす灼熱を目の当たりにした青年は腰に添えられた刀にようやく手を当て。




 心地良い鍔鳴り音とともに抜き放ち、逆風に振り切った一刀を以て、立ちふさがるほむらの壁を左右に割いて斬り伏せたのだ。




「……え?」


「……は?」


 理解が追いつかないのか一瞬硬直する男。襲われている身でありながら、シルヴィアですら驚愕と戦慄に身体を震わせた。


 普通は魔法に対する対抗手段は基本的には3つ。避けて効果範囲レンジから抜け出す。対抗魔法あるいは相手以上の魔法を以て相殺または上回る。そして、魔力を込めた剣閃で受け止め効果を軽減する。


 今起きた現象に一番近いのは3つ目の対抗手段だろう。

 しかしそれは本来は魔力で以て魔術を治める、剣はいわば補助に過ぎず魔力という同形質の力で押し返しているに過ぎない。干渉するのは魔力であり、剣は魔法を防ぐ術では無いとされている。


 しかし青年が行ったのは全くの逆。最低限の魔力で以て刃で魔術を切り伏せる。自分たちの常識がひっくり返され、吐息で嵐を掻き消すが如くあべこべだ。

 未知の技術と光景に何もかもが理解に届かず、男は呪文を詠唱した格好のまま微動だに出来ないでいる。


 その隙に尚も青年は駆ける。相も変わらず風のようなスピードで、3人目の男の目の前まで迫る。


 だが流石に今まで経験を積んだ故か、一瞬の驚愕から目覚めた最後の一人は迫りくる青年に咄嗟に構えていた短剣を突きつけた。


 「ふっ……!!」


 しかしその心の入っていない刺突に何の意味があろうか。無造作に突きつけられたその刃に対して青年は迷わず跳躍、危なげなく躱しながら男の視界から青年は一瞬で消失する。


 勢いのまま青年は男の上を飛び越えて反対側へと着地。

 自身を見失っている男をひとまず放置し瞬く間にシルヴィアの元へとたどり着く。


「『そびえ立て土よグラディア』!!」


 しかし決して逃がすまいと男は詠唱を唱え、エルの背後に巨大な土の壁を生み出した。左右の家と変わらない高さの壁に、普通ならば最早壁の向こうに逃げることは叶わないだろう。


 しかしその青年を押し留めるには、その程度の壁では足りなかったようだ。


「ひゃっ……!」


 駆ける速度はそのままに、流れるように青年はシルヴィアを抱きかかえる。

 首とひざの裏を抱えられ、小さく悲鳴を上げながらも思わず右手を彼の首の後ろに回してしまうシルヴィア。


 左手に抱えた買い物袋をぎゅっと抱きしめたまま、ふと彼女は思い至った。これはいわゆる『お姫様抱っこ』ではないか、と。


「大丈夫?」


「……は、はい」


「よかった。それじゃ、しっかり捕まってて」


 彼のその優しい声に、自分でも意外なほど逡巡無く頷いたシルヴィア。

 首に回した右手を強く引き寄せ、彼の胸元に顔が近づく。身体を固定させるためと自分で分かっていながらも、シルヴィアの胸の内はほんの僅かに高鳴った。


 そんな彼女の様子に気付かないまま彼は勢いよく飛び上がり、右の建物の窓枠へと足をかける。


 そのままひっかけた足場を再び蹴って反対の家の屋根へと飛び上がった。三角飛びの要領で、人を一人抱えているとは思えない身軽さで、微かに音を立てて着地する。


「なっ……」


 その信じられない光景、人一人抱えながらも壁を駆けあがった絶技に放心する三人衆。


 こちらを振り返らずに立ち去る姿を見送ることしかできず、何事かと窓から顔を出した主婦が見たのは、放心している男たちの手からナイフが音を立てて落ちる何とも奇妙な光景だった。









「……あの赤い屋根が私の家なので」


「うん、わかった」


 屋根伝いに街を駆け抜けて、少ししたところでシルヴィアが声を上げた。彼女を抱えたまま走っていた青年は小さく頷いて、指定された家へと向かう。


 その家の屋根へとたどり着き、上った際の逆再生のようにぴょんぴょんと軽やかに飛び降りた。ふとシルヴィアは微かに聞き覚えのある小さな悲鳴が家の中から聞こえたが、アキホは特に気にせず玄関の前へと着地する。


「お疲れ様。ごめん、何も言わずにここまで連れてきちゃって」


「いえ……」


 ゆっくりとシルヴィアは降ろされる。僅かに崩れたスカートの裾を小さく払って、身なりを確認して青年へと向き直った。


「改めて、ありがとうございました。私の名前はシルヴィエスタ・アスティル。長いので他人ひとにはシルヴィア、などと呼ばれています」


「僕はアキホ・ヨシカワ。姓がヨシカワで、名がアキホ」


「はい。……あの、本当に感謝しています。あの場をどう切り抜けようかと、考えても思い浮かばなかったものですから」


「ううん、こっちが勝手にやったことだから気にしないで。それじゃ」


 顔の前で小さく手を振りながら何でもないように青年は笑う。そしてそのまま身を翻して、それ以上は何もないと言わんばかりに立ち去ろうとした。そんな彼にシルヴィアはつい再び声を掛けてしまう。


「え、え?ちょっと、待ってください」


「?」


「そんな首を傾げられても……あの、どうして見ず知らずの私を助けてくれたんですか」


 抱えられている時にも何度も思い浮かんでいた、どうしてもわからない問いをシルヴィアは彼に投げかけた。


 あの場で彼が自分を助ける理由なんて何処にも無かったはずだ。事実、関わったせいで凶器を向けられ、最悪の場合死ぬことすら在り得るほどの魔術を向けられたのだ。あのまま見て見ぬふりをするのが当然の行動だろう。


 しかし彼にとってはそうではなかったらしい。不思議そうに首を傾げながらその問いに応える。


「どうしてって言われても、多分さっき言ったと思うんだけど」


「……?」


 言葉のどこにも虚偽の匂いを見せないまま、まるでそれが当然だと言わんばかりに彼は告げる。


「無抵抗の少女に殺意を持って迫る集団を見過ごせなかった。あれ、言ったと思うんだけど」


「――――――っ、それだけ、ですか?」


「それだけって……人を助ける理由なんて、大概そんなもんじゃないかな」


 どうしてそんなことを聞くのかと言わんばかりに、困った顔で頬を掻いているアキホにシルヴィアはわずかに言葉を失う。


 この国でそんな当たり前のように他人に手を差し伸べられる人が居たことに、シルヴィアは少なからず驚いていた。


「………あっ」


 その時急に強く風が吹いた。日が沈みかけ僅かに冷えた春風が、攫うようにシルヴィアが被っていた帽子を彼女から剥がした。


 落ちた帽子を即座にアキホが拾う。小さく帽子に付いた砂埃を払って、汚れが無いことを確認してからシルヴィアに渡そうとした。その拍子に目が合ってしまい、『顔を見られた』という事実に体が硬直してしまう。


「………っ」


「………?」


 しかし彼からのリアクションは無い。今まで出会った人々の様に恐怖に怯えたり憎悪に震える様子もなく、未だ帽子を受け取ってくれないシルヴィアに対して、どうして受け取ってくれないんだろうと疑問符を浮かべながら小首をかしげている。


「……何も、言わないんですか」


「……何を」


「私の顔を見て、何か言う事は無いんですか?」


「うーん、特に。綺麗な髪だなぁとは思うけど」


 その言葉に再びシルヴィアは言葉を失った。呆然としているシルヴィアを不思議に思いながら、問答は終わったのかとアキホは再びその場を離れようと背を向ける。すると、


「……待ちなさい」


「え?」


「まだ、助けてもらった礼をしていません」


 立ち去るアキホの手を握って、逃がすまいと話さないシルヴィア。不服そうなその目で立ち去ろうとしている彼を睨みつけている。


「えっと、アレはこっちが勝手にやったことだから」


「知りません」


「知りま……え?」


「そちらの都合なんて知りません。私が世話になった礼をしないと気が済まないだけです。だから貴方には無理矢理でも、こちらの謝礼を受け取ってもらいます」


「随分強引なお礼だね」


「そうですね。ただ、勝手に私を助けた貴方に勝手に礼をする私を否定する権利は無いと思いますが」


 半ば口論に近い形で各々の都合を通そうとする二人。声量こそそこまで大きくはなかったが、語気は強く双方ともに譲る気配はない。


 どうにかして借りを返しておきたいと説得を考えていたシルヴィアが、ふと目線を感じて振り向いた。その先にドアを少しだけ開けてこちらを覗いている、にやついた自らの義母を見つけて言葉が引きつる 


「っ、お義母さっ……」


「………痴話喧嘩?」


「っ、違う」


 茶化すようなその声を即座に否定する。しかし聞く耳持たない彼女はドアを音を立てて開き、アキホとシルヴィアの傍まで駆け寄って、ルンルン気分でニコニコしていた。


「屋根の上から大きな音がしたから外に出てきてみたら……まさか娘が買い物って名目で殿方と逢瀬おうせを楽しむようになっていたなんて。あぁ、娘の成長にお義母さんは時の速さを感じてしまいます。でもそれはそれとして、私は応援してるからね!」


「違うってば……」


「違うって……だってこんな家の前で帰ります、行かないで、なんて話してたらそういう関係としか思えないでしょう?」


「そういう話してないし……」


「大丈夫大丈夫。誰がその恋を否定しても、お義母さんは大切な娘の味方なんだから!」

 

「…………ああ、もう」


 嵐のような彼女の勘違いに何もかもが面倒になり、シルヴィアは無理矢理二人の腕を掴んだ。


 急に腕を握られたアキホとその若い女性は目をぱちくりさせ、直後にぐいと強い力で引っ張られる。


「あ、あら……?」


「え……」


「お義母さんがうるさいから、続きは中で」


 うふふふふ、と笑いながら引きずられる女性と困ったような笑顔で引きずられる青年。シルヴィアは二人を強引に家の中に押し込み、そのままばたりと音を立てて玄関のドアは閉じられた。

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