夜明けを駆けるうんち(下)

「はあ、うんちだ」

 夜道の同行者は苦々しい顔を浮かべる。

「佐伯さん、嫌なことでもあったんですか?」

「うんち…」

「そうですね、うんちですね」

「漏らしそう…」

「そっちですか!」

「ごめんトイレ行ってくる」

「このあたりコンビニもないですよ! 駅までなんとか耐えてください!」

 駅まで歩いて後十分程。彼女はそこにたどり着けるのだろうか。

「無理かも」

 佐伯さんは道に座り込んでしまった。

「先に帰ってて。終電が…」

「大丈夫、私は歩いても行ける距離なので」

 一時間程歩くことになるが。

「ともかく、お手洗いを探しましょう。どこかにあるかも」

「だ、だめ。先に行ってて」

 佐伯さんは近くの雑木林に駆け込んだ。

「佐伯さん!?」

「私は大丈夫だから!」

 声のする方に歩くと、ふんわりと臭い空気が漂ってきた。

「見ないで…」

「佐伯さん…」

 たどり着くと、佐伯さんは苦悶の表情でスカートを捲り上げていた。

 街灯の光りも届かないような暗がりで、佐伯さんは大地に栄養を還元していたのだ。そう、野グソだ。大人のレディが、野グソ。

 私はどうすればいいのだろうか。私にできることは、一体。

「佐伯さん…私」

「終わった」

 佐伯さんはこの世の終わりを眺めるように私を見ている。

「大丈夫、佐伯さん。私もやる」

「えっ?」

「うんちしましょう」

「私はね、佐伯さん。友達とは怒られるときに一緒に怒られてくれる人がいいと思っています。辛いとき、辛さを分かちあうのがいいと思うんです」

 私もスカートを捲ってパンツを脱いだ。そして、大地へ栄養の残りカスを解き放つ。本当の勇気とは、共に辱しめを受ける覚悟を決めることだ。

「前村さん…あなたは」

 佐伯さんはまた苦しみ出した。下から小刻みな破裂音がする。

「ご、ごめんなさい」と紅潮する。

「歌いましょう。セルフ音姫です」

「音姫って」と笑って「…じゃあ嵐の曲で」と手を合わせて頼むような仕種をした。

「任せてください」

 私たちはいくつかの歌をおぼろげながら歌った。排泄音を掻き消すように。恥ずかしい気持ちを忘れるように。このあたりに家が無いことをいいことに、夜空の星に届くような大声で歌った。

「前村さん、歌すごい上手いじゃん!」

「ふふっ、昔は歌手志望だったんです」

「ほんと!?」

「嘘です」

「も~」

 佐伯さんはいつものように破顔する。佐伯さんは笑顔が似合う。

「ところで、お尻拭くものある?」

「ティッシュなら…。いやでも、足りないかも」

 半分ほどへったポケットティッシュを半分に分けて手渡した。足りるだろうか。

「待って、レシートがある」

 おもむろに財布を漁り出した。

「それだとさすがに心許ないかもしれないですが」

「これならどう?」

 私に十枚程束になったレシートを手渡した。どれだけ溜め込んでいたのだ。だが、これならきっと戦える。肛門の排泄物を排除できるはず。

「ありがとう。チームプレーですね」と言って私は受け取った。

「どうもどうも」

 排泄し終えた私たちは、私が持ち歩いていたアルコール消毒で手を除菌した。


「前村さん本当ありがとう。意外な助け方だったけど」

「自分もこんなことするとは思いませんでした」

 私たちは夜道をふらふらと歩いている。もう終電は過ぎてしまっている。

「ほんと、こういうとき「うんち」って感じがする」

「確かに、「うんち」ですね」

「はぁー「うんち」!!」

 佐伯さんはおもむろに夜空を仰いだ。

「「うんち」!!」

 私も一緒に叫んだ。友達だから。そういえば、勝手に前村さんを友達扱いしているが、何だか馴れ馴れしい気もする。

「はーだいぶ酔いも覚めた。そういえば、私って昨日も色々やっちゃってね」

「まさか脱糞でも」

「もぉ~」 

 顔を赤らめると、顔を膨らませるような仕種をした。

「ごめんごめん」

「彼氏といろいろあってね。いや、私が私の誕生日すっかり忘れててさ。あり得ないって顔してるけど。ほら、忙しいとさ…」

「それで?」

「私の彼氏ってすごく良くできた人でね。なんと私にサプライズを計画してたみたい。お高めのレストランでね。でも、誕生日忘れてて約束も忘れてて、さらには疲れて電車で寝ちゃって終点。あり得ないほどミスのコンボでしょ? 結果、その日は何もかもおじゃん。彼氏は優しいから怒らなかったけどね。つまり、私ってほんと最悪って気分が続いてる」

 佐伯さんは一気に捲し立ててため息を吐いた。

「…一緒にやけ酒しません?」

「あはは…。まだ呑むの?」

 力なく佐伯さんは笑う。

「はあ、私ってほんと「うんち」」

「「うんち」!」

 私は、思いっきり叫んだ。

「前村さん?」

「こういうときは叫ぶのが一番です」

「最高に下品でいいね、乗った」

「せーの」

「「うんち」!」

 私たちは力の限り叫んだ。何もかも振りきるように。

 叫ぶと、少しだけ体が軽くなった気がした。溜め込んだものがどこかへ飛んでいったような清々しさを覚える。

「あはははっ。なんだか言ってることが小学生みたい」

「今日くらいは小学生になりましょう」

「いいね! なろなろ」

「水を差すようなんですけど、私たち終電逃しましたよね」

「忘れてた。どうしよ~」

「家まで歩きます? それとも駅の近くにネカフェありますけど」

「いや、ここはカラオケっしょ」

 確かに駅の近くに24時間やっているカラオケもあるが、そこで泊まるなんてことはしないだろう。

「もしかして、朝まで歌う気だったりします?」

「します。いや~せっかくなら前村ちゃんの美声聴きたいな~って」

「わかりました。今日は歌いまくりましょう」

「よし! 決まり!」

 佐伯さんは鼻唄混じりに歩いていく。見上げると夜更けの蒼い闇が広がっている。夜が明ける頃にはどんな色になっているのだろうか。

「なんだか、今日はいろいろすっきりしました」

「あはははっ。確かに出すもん出したし」

「汚いですよー」

「まあね。それにしてもこんな汚い形で仲良くなるの初めてだな」

「私もです」

「いきなりパンツ脱ぎ出して…」

「そろそろ市街地なんですから誰かに聞かれますよ!」

 私たちは談笑しながら暗い街の中に入っていった。夜明けを待ちわびながら、日々の苦しみを吐き出すように歌いあった。

 きっと溜まっていた「うんち」は、こうやって流せばよかったのだ。呑んで笑って叫んで、何もかもさらけ出せばよかったのだ。


 さようなら「うんち」、綺麗な朝焼けを連れておいで。きっと暗く汚穢にまみれた夜を越えてこそ、空は洗い立てのように美しく見えるのだから。

 

 

 


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