爆弾

 私には、切り札がある。


「慌ててどうした?」

「ううん。何でもない」

 帰宅した夫が不審な目で私を見た。。私が隠したものが気になるようだ。しかし、決して、決してこれを見られてはいけない。切り札というものは見られたら最後、その場で切らなければならなくなるものだ。


「よぉし! パパのお帰りだよ~」

 意気揚々とベビーベッドの陽を抱き起こした。

「ちょっ、ちょっと!」

 止める間もなく夫が眠っている陽に目一杯キスをする。途端に目を覚ました赤子がたまげるような声で泣き始める。

「何やってるの!?」

「そうやって大声出すからに決まってるだろ? 俺のせいかよ…」

 やっと寝かしつけたのに。やっと休めていたのに。お前が父親をしていたのは何日だ。溢れだそうとする言葉を押さえつけて、夫から我が子を剥ぎ取ってあやし始める。

「ようやく寝てたのに!」

「また寝ればいいだろ! 怒んなよ!」

 夫の顔が一気に紅潮した。

「また寝ればって…」

 彼はすぐに癇癪を起こすのだ。簡単に短い導火線に火が点いて、大きな爆発を起こす。

 陽は泣き続けている。

「分別ない女だな…すぐヒス起こして」

 イライラと所在なく歩き回った後、夫はそのまま風呂場に向かった。程なく、シャワーの音がし始めた。

「あなたみたいに泣けたら楽になれるのに」

 どこから間違っていたのか。三十過ぎで焦って男選びを間違えたせいか。結婚しない人間が親族から受ける扱いほど、無邪気な陰湿さを帯びているものはない。仕方ないことだ、私程度にはこんな男しか見向きしてくれないのだから。顔が少し良いだけの男。

 陽は泣き続けている。

 母に頼ることができれば、母親友達がいれば…。

 今、私が頼れるのはこれだけだ。陽をあやしながら、ポケットの紙を思った。私の名前だけが書いてある紙を。

「おーい。バスタオルはどこだ?」

 落ち着いてうとうとし始めた陽の無邪気な顔が愛しい。私がこれを使ったらどうなるだろうか。私一人で育てられるだろうか。少なくとも、この子が一人立ちするまであの男の金がいる。

「美佐ー? どうした、機嫌悪いのかー?」

 五分前のことを忘れたような調子の夫が無邪気に尋ねてくる。彼の怒りは簡単に鎮火する。私はそれを根の優しさだとずっと思い込んでいた。

「今、行くわ」

 ポケットの中の不発弾が、今か今かと弾けるのを待っている。

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