第14話 罠と罠

 火のついた布を巻いた矢が何本か打ち込まれた。二本ばかり部屋に入り、外壁にも数本突き刺さったが、家が燃え出すほどではない。

 しかし三浦と小磯は、すっかり興奮し、

「卑怯者め、目にもの見せてくれる」などと威勢のいい言葉を次々に放ち、それぞれの武器をつかんで外に出ようとした。

 ピンときた軍平は、「しばし、しばしお待ちを」と、止めようとしたが二人は我先に飛び出そうとする。


「ぐえっ」三浦が絞め殺されそうな声をだした。小磯も咳き込んでいる。軍平が力任せに二人の襟首をつかみ、引きずり倒したのだ。

「な、なんのつもりだ」小磯が喚いた。

「この、馬鹿力め」これは三浦だ。

「鉄砲です。狙っています」

「え」思い当たるところがあったのか、急に三浦は体を低くして闇を探った。

 また火矢が飛んできた。しかし、今度は小磯も慌てずにそっと様子を伺う。

「うむ、なにやらにおいが漂ってくるぞ。火縄か」

「それは、火矢のにおいではないのか」

 二人がつっこみ合いをはじめたのを放置し、軍平は裏口からそっと暗い外に這い出た。身体はまだ熱っぽく、ひんやりした外気が心地よかった。


 五感をすませる。残念ながら、夜目が効くようになったわけではない。しかし鼻の性能は少々改善したらしく、ここにないはずのにおいの存在が嗅ぎ分けられる。

 はなれた茂みの奥から油の焦げるにおい、緊張した汗のにおい、すえたような体臭、そして火薬の匂いがした。ささやき声や気配もわかる。敵は四人はいる。

 さっきの様子から、戊亥衆が裏切って中の様子を伝えたも考えられるが、

(いや、まてよ)もっと上、狸家老自身の裏切りもあり得る。両者共倒れになって彼に不都合はない。もしかすると、最初から上意討ちを成功させるつもりは家老側になく、自分たちの罪をおっかぶせる先が必要だっただけかもしれない。

 そう思いつつ鼻と耳を最大限に働かせていると、裏口からまっすぐ先、木陰のあたりでちゃぷちゃぷと液体の揺れる音がした。

 複数の足音、あらい息遣い。だんだん近寄ってくる。


「これは、まずい」思わず声が出た。

(油で家を焼き払うつもりだ)

 なかなか出てこない三人を、無理に飛び出させるつもりだろう。そのあとは鉄砲が待っている。

 体は熱があり、だるいままだ。ひとり逃げることも考えたが、振り向くと目の前に男二人分の尻が迫ってきた。部屋の中からあとずさって裏口まできたのだ。

 つい皮肉が出た。

「おふたりとも。目にもの見せるのは、おやめになりましたか」

「いや、考えれば待ち伏せに突っ込むようなものだ」

「たしかにお主の言うとおりだ。鉄砲ぐらい用意しておるぞ、きっと」 

 てっきり猪突猛進の口かと思った二人にも、先は読めるらしい。

「実は」軍平が言った。「さきほど、ここから外をさぐりましたところ、油らしきものを運ぶ音がしました」

「なに」小磯が声を荒げた。「くそ、家を燃やすつもりだ。おそらく野口だな」

「どなたです、それは」

「先手組の野口だ。火術を心得ておる。笹子の取り巻きの筆頭だ」

「火術」軍平の声が少々裏返った。「いまどきなんですかそれは」

 若くて家中に親しい人間も少ない軍平には、そんなけったいな藩士がいるとは、だれも教えてくれなかった。


「む」三浦が壁の隙間から外を見てうなった。「たしかに、誰かおる。逃げるなら、早い方がいい。こんなあばら家、燃え出したらあっという間だ」

 軍平は黙って傷んだ床板をひっぺがし、軒下に入った。彼にとっては簡単な作業だったが、残った二人はその力技にあきれ顔をした。しかし、すぐに軍平についてきた。

「やつら、どうせ派手に燃え上がるのを待っておるだろう」三浦が囁いた。

「ええ、その前に茂みにでも隠れて機を待ちましょう。外が炎で明るくなってしまうよりも、先に」


 三人は可能な限り低くはいつくばり、家の側面から林の中へと逃げ込んだ。

「俺たちがなぜ、逃げなければならないんだ」小磯がぶつぶつ呟いている。三浦が振り向いて睨んだ。声を出すなというわけだ。

 なんとか茂みに隠れて様子を見ていると、裏口のあたりに小さく炎が揺らめいた。すぐに家の中へと火が移り、煙がたくさん上がったなと思うと、瞬く間に盛んな炎へと変わり屋根に燃え広がった。

「ほおっ」軍平は思わず感嘆の声をあげてしまった。なるほど、これが火術か。ただ油を撒いただけでは、ああはうまく燃え上がらない。

 火術なんて剣術以上に太平の世では顧みられない技だ。きっと、ここぞとばかりに張り切ったに違いない。

 妖術はどうかな。などと軍平が考えていると家の表と裏、二方向から人影が出てきた。


 小磯が前に身を乗り出し、火影にうかんだ敵の姿を見つめている。彼がなんのつもりかはわかった。笹子を探しているのだ

「おい、奇襲をかけるか」三浦のささやきに、小磯がささやき返した。「伝助がおらん。おそらくどこかにひそんでいる。笹子と一緒にな」伝助は常に笹子のそばにいる。笹子はここにはいないか、あるいはどこかで身を潜めている。

 ふきあがる炎で確認できたのは、男が四人いて、武器を携帯しているとわかるのは三人。うち一人が弓を持っている。火矢を放ったのはこいつだろうか。

「やっぱり、こっちも飛び道具を持って来ればよかった」

 軍平は思わず愚痴った。相手の方が、よほど勝負に真剣な気がする。

 「おい、宇藤木」小磯が声をひそめて呼んだ。「手伝え」

 見れば、なにか黒い塊を持っている。例の分銅ではない。かろうじて表情の見えた小磯の顔は、笑っていた。

「そんなもの、持ってきていたのですか」


 小磯の抱えているのは火縄銃だった。猟師の持つ銃よりずっと太くて短い。侍筒というやつだ。

「ああ。おれの家はもともと、この筋だからな。御家老から話のあった時、鉄砲を使わせろと言ったんだ。本気でやるなら、これが一番だ。だが断られた。飛び道具は卑怯とか、成功してもおおっぴらに褒めにくいとかなんとか。だが、あっちが先に襲ってきたのだからな、どうとでもなる」

 尋常の勝負に凝り固まっているのかと思ったら、そうではないらしかった。

 片手がやや不自由な小磯を助けて、軍平は火をおこす手伝いをした。鉄砲に使う火薬と弾は、早合という紙製の筒にあらかじめ入っていて、銃口から押し込み装填するだけだった。そこまで手伝うと、小磯は器用に銃を抱え込んで火皿に火薬をのせた。火をつけた火縄は、金属の板で作られた専用の道具で保持している。火をつけても持ち歩けるし、夜でも火があまり目立たないようできている。軍平が感心して見ていると三浦が、

「おい。鉄砲はいいが、この暗さだ。簡単にはあたらんだろう」と、口を挟んできた。彼は槍の出番しか興味がないらしい。

「なに、これは戦場で使う散り弾だ。一度に数十の弾が出るから、多い人数を相手にするならうってつけだぞ。せめて三発は続けて打ちたいから、このまま手伝ってくれ」小磯は軍平に頼んだ。

 上意討ちから、いきなり戦のような状態になったが、むざむざ殺されるよりはましである。軍平を加えた三人は、再び匍匐前進を続け、敵が群れ固まっているところの近くの茂みで止まった。


「まだか」「逃げたのでは」「はじめからいない?」

 敵も烏合の衆らしく、かなり混乱している。笹子らしい人物がいないかを探っていると、荷物の多い小磯が音を出してしまった。

「おい」弓を持っているのが鋭い声を発し、となりの男の肩を叩いた。

 とっさに軍平が足元にあった石を遠くにほり投げると、がさっと音がした。

「おっ」犬のように敵の何人かがそれを追った。そのすきに移動しながら、小磯は発射準備を終えた。「あっちだ」また気づかれた。こちらへ向かってくる。

「えい、くらえ」腹を決めた小磯が発砲した。

 闇にすさまじい音と煙が巻き起こった。発射音から耳を塞ぎ損ね、聞き取りにくかったが悲鳴らしい声がしたように思える。


「それ、宇藤木急げ」大慌てで再装填を手伝う。

「やつら、鉄砲を持っているぞ」と叫び声がした。

 すぐに矢が飛んできたが、「そりゃっ」小磯が射手のいそうなあたりに再度鉄砲を放った。再びすごい破裂音のしたあと、今度ははっきり悲鳴が上がった。

「はははは、ざまあみろ」これまでとは一変し、小磯は実に生き生きしている。

「よしっ、行くぞ。おれに弾を当てるなよ」三浦が自慢の槍を振りかざして掃討にかかった。近くに残っていた敵方を見事に突き刺す。

「ぎゃっ」

 どうせ敵方も雇われ組だろう。軍平はこの場から離れたかったが、小磯が彼をすっかりあてにしている。仕方なく再装填に付き合った。

「よーし、もう一発」火薬の匂いがただよわせながら、小磯が立ち上がったのを、

「あぶない」軍平が引きずり倒した。

 発砲音がして近くに着弾した。敵方の鉄砲撃ちが発砲をはじめたのだ。闇夜の鉄砲は、どこから撃ったかわかってしまうのが難点だ。

「くそ、どいつだ」小磯は撃たれても手放さなかった鉄砲を再度確認し、火花の上がったあたりめがけて撃ち込んだ。今度は悲鳴はあがらなかった。しかし人の言い合う声がして、沈黙した。その後、あたりは静寂に包まれた。

「おい」三浦が声をかけた。「あっちの鉄砲使い、逃げたみたいだぞ」

「よーし」小磯が鉄砲と分銅付きの棒の両方を抱えて駆け出した。


 軍平も一緒に駆けたが、足元に倒れていた人間を蹴飛ばしそうになり、立ち止まった。男だ。髷は武士ではなく町人風だった。じっと見ていると、顔にたくさん古傷らしいのがついているのがわかった。

(こいつ、前に会ったかな?)そう思ったところに、乾いた破裂音がした。

 慌てて身をすくめる。

「うっ」うめき声がした。小磯が地面に膝をついた。

「調子に乗りすぎだ。そのぐらいにしておけ」別の声がした。

 傘をかぶった旅姿が一人、こちらに堂々と歩んできた。

 人影は笠をあげ、顔を見せた。右手に小さな棒のようなものを持っている。

 笹子彦次郎だった。


 笹子はすぐに棒を懐に隠したが、武器なのは分かっていた。短筒にしては小さいから、あれこそが噂に聞く西洋式連発銃だろうか。

(もはや刀槍で立つ世の中じゃないなあ)軍平は心の中でため息をついた。(あんなに剣術剣術と言ってたのに。刀による上意討ちなんて、流行遅れもいいところだ)

 三浦が飛び出た。小磯が後を追おうとするが、すぐには立てない。

「しぶといな、お主たち。驚いたよ」

「まてまて。笹子、上意だ」三浦がそう言って書状を突き出した。

「あほうか」とだけ笹子は言った。


 笹子は笠をすっかりぬいだ。月光に浮かび上がった彼の頭は、鎖ずきんをかぶっていた。着衣の膨らみ具合から見ると鎖帷子も着用ずみだ。待ち伏せ情報はしっかり漏れていたようだし、彼の方が準備に手間と金をかけている。

「あーあ」笹子は大げさにため息をついた。「頼りない助っ人どもは、逃げ出した。これだから仲間だって信用はならん。だがこれからは、自前で雇った助っ人だ。こっちはなかなか強いぞ」

 三浦と小磯、遅れて軍平が対峙した。軍平は笹子の銃が気になり、前に出るのはやめた。

 「ほほう。あらためて見ると、おかしな取り合わせだな」

 笹子は落ち着いた仕草で一同を見渡してから、「おい、出番だ」とどなった。 

 彼の後ろの暗闇から巨大な影が飛び出てきた。笹子の従者の伝助だった。

 ようやく立ち上がった小磯が笹子に駆け寄ろうとすると、伝助はまよわず突撃して邪魔をした。鉄の板で補強した六尺棒を持っている。

 身体を反転して避けた小磯は、片手打ちで分銅を飛ばすが、巨躯のわりに敏捷な伝助にかわされた。すさまじい打ち合いがはじまった。

 その争いを横目に、三浦が笹子に接近を図ると、彼の後方から新たな影が二つ出てきた。それぞれ抜き身の刀を下げている。

「残念、まだいるさ。彼らの腕だって、お前らに負けない」

 嬉しそうに笹子が言った。






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