第22話 暗雲

ラフな姿ではあったが、ツインテではなく髪を下ろしていた。肩より少し下くらいだろうか。これもまたギャップってやつだな。


「もう寝てるかと思ってたわ」

そう言いながら扉を閉め、部屋に入ってくる。


「お前こそ、まだ起きてたんだ。空乃達は?」


「疲れてたんでしょうね。寝ちゃったわ。」


「まぁ、あれだけ騒げばな」


「そうね」

軽く笑い合う。


「女子だけの積もる話とやらは話せたのか?」


「それはまた後にでも話すわ」


「そうかい」


「アンタは何してたの?」


「ああ、山下さんとRineしてた」


「……ふーん、仲良いんだ」


「僕は悪くないと思ってるけど、向こうはどうかな」


「私にはあんまり送ってこないくせに」


「いや、それはお前もそうだろ。というか、誰に対しても僕からは送ってないしな」


「て事は、山下さんから送ってきてるって事よね」


「まぁ、そうなるな」


「なら十分向こうも仲良く思ってるじゃない」


「そうだといいけどな」


「……何?好きなの?」


「何でそうなんだよ!」


「違うの?」


「ちげーよ!第一、僕なんかに好かれたら迷惑だろ」


「アンタってホント卑屈よねぇ」


「ほっとけ!」

ネガティブなめんな。


「……じゃあ好きな人いないんだ?」


「お前、今の話聞いてなかったのかよ……」


「ちゃんと聞いてたわ」


「だったら――」

「アンタに好かれても迷惑じゃない人もいるから」

僕の言葉を遮る様に、そう断言した。


「そういう同情されると余計虚しくなるから、やめてくれ」


「同情じゃないから」


「何だよそれ」

じゃあ誰なんだ。

もっと具体的に教えて欲しいものである。


「まぁ、いいわ」


「いいのかよ」

僕はちっとも良くないんだが。


「これ以上言っても無駄そうだし。じゃあ、私ももう寝るからアンタも早く寝なさいよー」


「無駄ってお前」


「おやすみー」


「……おやすみ」


満足したのか、そう言って扉を閉め去っていった。


何しに来たんだよ……。

でも僕もそろそろベッドに入らないとな。

多分寝付けないだろうけど。


それでも眠れないからって諦めて起きているより、眠れなくても目を瞑っているだけで疲れは取れるとかどうとか言っているのを聞いた事がある。だから僕もそうしてみよう。身をもって検証してやろう。


そう思いベッドに横になり、リモコンで電気の明かりを消す。


グンナイ。


目を瞑った瞬間、先程よりも早めのリズムで扉から音がした。


――コンコンコン


僕が返事をするより先に、再度扉が開かれた。

入って来たのは、たった今部屋から出て行ったばかりの音筆だ。


「眠れなくなってたんだけど」


「今さっきおやすみって言ってたばかりだろ」


「そういうんじゃなくて……いいから来て」


「なんなんだよ……」

僕は渋々身体を起こし、音筆に付いて行く。


「……見てこれ」

そう言って音筆が空乃の部屋の扉を開ける。


そーっと開かれた扉の隙間から部屋を覗くと、そこには気持ち良さそうに眠っている空乃と夢の姿があった。


あったのだが……音筆が寝るはずであっただろうスペースがなくなっていた。主に夢の寝相のせいで。布団は空乃が二枚用意していたので、それを隣同士にくっつけて三人で寝ようとしていたらしい。スペース的にはそれでも十分なはずなんだが……。


静かに音筆が扉を閉め、廊下で二人、無言で立ち尽くす。暫くしてから音筆が口を開いた。

「どうしよう……これ」


「どうしようって……」

このパターンは、まさかまた僕がベッドを譲る感じのやつなんだろうか……。またもや沈黙が流れる。


「……分かった。僕のベッド使っていいよ」

結局こうするしかあるまい。


「でもそれじゃあアンタはどうするの?」


「僕は書斎で寝るからいいよ」


その言葉に音筆がピクっと反応した。

「……書斎?今アンタ書斎って言った?」


「言ったけど、それがどうかしたのか?」


「ちょっと見してもらってもいい?」


「別にいいけど親父の書斎だから、よく分からん昔の本ばかりだぞ?」


「古書!?ますます見てみたい!」


急に声が大きくなるものだから、ビクっとしてしまった。何やら興奮している様だ。


「本当によく分からない本ばかり置いてあるからがっかりすると思うぞ」


「いいから案内して!」

目をキラキラ輝かせている。


「こっちだよ」

溜息をついて書斎まで案内する。


何を期待しているのか知らないが、僕にとっては緊急時に寝床にする以外使い道のない部屋だ。書斎の扉を開き、好きに見てくれていいよと音筆を促す。


入った瞬間、駆け足気味で棚に近寄り、ジロジロと見て吟味する音筆。


「漱石全集に澁澤龍彦全集、三島由紀夫全集、あっ、世界の名著まである!この辺はやっぱり定番よねぇ!ねっ!?」そう言って僕の方を見る。


「いや、ね?って言われても……」

何なんだコイツ、妙に詳しいな。


「何お前、知ってる本あるの?」


「うん、大体知ってる!」

とても良い顔をしていた。


「こういうの好きなの?」


「大好きね!」


「へぇ……」

これは意外や意外。僕には何の本なのかも分からないってのに……。


「こういうのって面白いの?」


「読んだ事はないわね!」


「ないのかよ!じゃあ何が大好きなんだよ」


「雰囲気かしら?なんかこう、見てると落ち着くじゃない?」


いやそんな疑問形で問われても……。


「そうなんだ……」


「いいわねぇ、やっぱり古書は」


「ごめん、すっごく意外なんだけど」

その言葉で我に返ったのか、ハッとして急に恥ずかしそうにする。


「何よ……悪い?」

その様子を見て、思わず笑ってしまった。


「何笑ってんのよ!どーせアンタも変だって言いたいんでしょ!?」


「違う違う、気を悪くさせたのなら悪かったよ。僕は良いと思うぞ、その感性。内容は僕も分からないけど、雰囲気が好きだってのには同意できるしな」


「そう……?」


「うん、全然変なんかじゃないって。またこれもギャップだな。今日は音筆のギャップにドキドキさせられまくりだわ」


「……ドキドキしてたの?」


おっと、これは口が滑ったな。

「まぁな、その下ろした髪も良いと思うし」

何を言ってんだ僕は。


「へっ……!?あり……がとう」


「おう……」


それから多少のやり取りを交わし終え、音筆には最終的に僕の部屋で寝てもらった。最後まで音筆は納得していなかったけど、女の子をソファで寝かして僕がベッドで寝る訳にはいかないだろう。勿論僕は書斎のソファだ。そういう方が僕には合っている。



――――親父の再婚宣言から始まり、空乃と出会い、新しいバイト先にも恵まれ、ここまでだけでも僕にとっては濃すぎる程の日常生活だった。これまででは考えられない程の日常生活だった。到底想像すら出来ない程の日常生活だった。在り来たりな言葉だが言わせて欲しい。この先、更なる非日常的な生活へと変わっていく事を、この時の僕はまだ知らない。


有り体に言えば、この数か月後、僕はされる事となる。この先、更なる非日常的な生活へと変わっていくというのは、その事が引き金になったのだ。


日常的で非日常的な僕の日常生活も後半に差し掛かり始めている。僕の語りも一旦はここまでの様らしい。この先暫くは、まだ何も知らない僕の事を温かい目で見守ってやって欲しい。哀れな僕の事を。


――それでは月日は二ヶ月程飛んで八月。

引き続いて楽しんでもらえれば幸いだ。

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