支配人 しはいびと

林 のぶお

第1幕 全ての始まり

      ( 1 )

 もう三月だと云うのに、ここ二,三日は、真冬に戻ったかのように、外を歩くと頬を北風が突き刺して通り抜けて行く。

 京都を出た時も寒かったが、東京駅に降り立った白川は、ぶるっと身震いをした。

 今まで温かい新幹線の車内から、急に外気の気温に触れたせいだろうか、それともこれから行く、東京本社での会議のせいか。

 白川は、京都都座の支配人の職についている。

 都座は、京都で唯一の商業演劇の劇場で、年末の「披露見世興行」が有名である。

 昨日、突然都座に一本の電話がかかる。

「白川くんはいるかね」

 声の主は、竹松株式会社の副社長、嵐山武雄からだった。

 竹松は、映画、演劇の製作、興行を行う、一部上場の企業で、都座は、竹松の直営劇場である。

「はい、白川です」

「明日、すまないが東京本社に来て欲しいんだ」

 嵐山は、挨拶もなく、いきなり用件を切り出した。

「明日ですか」

 白川は、声のトーンを落とした。

「何か用事があるのか」

「地元商店街の寄り合いがありまして」

「そんなもの、副支配人にでも、替わって貰え」

「はあ」

「明日午前十時だ」

「用件は、何でしょうか」

「来てから話す。それから、この事は内密だ。事務所の人間には、休みと云っとけ」

 白川が返事する前に、電話が切れた。

 嵐山は、その強引な押しの性格、リーダーシップで、副社長にまで上り詰めた。

 竹松は、代々創業者が、社長を務めていた。

 初の創業家以外からの社長誕生が目前と噂されていた。

 竹松東京本社は、銀座にある。

 昨年、建て替えて三〇階建てのオフィスである。

 竹松の副社長室は、二九階にあった。

 一階の受付で、顔馴染みの受付嬢が、

「御苦労さまです。皆さんお待ちです」と云いながら微笑んだ。

「皆さん?」

「ええ、皆さん勢ぞろいです」

 白川の知らない情報を口を滑らせたと思った受付嬢は、思わずぺろっと舌を出して両手で口を押さえた。

 エレベーターで上へ上がる間、白川は、(皆さん)のメンバーを思いやった。

(一体誰が待っているんだ)

 現在、竹松は副社長が二人いた。

 演劇担当の嵐山。もう一人は、映画担当の東山守。

 東山の副社長室は二八階である。

 この階数を巡っては、子供の陣地取りのような抗争が繰り広げられた。両者とも三〇階の社長室の一つ下を要望。

 最後は、社長の査定でこうなった。

 と云うのも、竹松は、現在演劇部門が絶好調だった。

 隣接する(江戸歌舞伎座)が昨年全面建て替えられて、高稼働を維持していた。

 一方の映画部門は、作る映画が片っ端から大コケで赤字を生み出していたからだ。

 漆黒の扉をノックした。

「入れ」

 嵐山のこのだみ声を聞くと、白川は、腹が痛くなる。

 部屋の中には、嵐山、清水龍二元社長、その息子の清水利之、竹松の顧問弁護士の千本純一がいた。

 嵐山は、机にいて、他の三人は、目の前の応接セットにいた。

 一同の視線が白川に注がれた。

「おお、待ってた」

 嵐山は立ち上がると、今まで見たことのない笑顔を浮かべて白川に近づいた。

「おはようございます」

 すくっと千本が立ちあがった。

 清水親子は無言で頷いた。

「まあ座れ」

 白川が座ると秘書がコーヒーを持って来た。

「暫く、電話も訪問もなしだ」

「かしこまりました」

 一礼して秘書は立ち去った。

 嵐山は、秘書が扉を閉めていなくなるのを確認してから、用件を切り出した。

「実は、清水社長を暫く、京都で預かって欲しいんだ」

「預かる?」

 白川は、嵐山の顔を凝視しながら聞き返した。

「嵐山くん、正確には私は、元社長だ」

 少し自嘲気味に清水龍二は付け足した。

「もう白川さんもご存じでしょうが、かなりのマスコミが未だに、私も親父もつけ狙われてまして」

「本当にマスコミの奴らは、ストーカー行為同等の行為を繰り返してますからね」

 横から弁護士の千本が云った。

「あの事件から、まもなく一年だと云うのになあ」

 嵐山がそう云ってからコーヒーをすすった。

 昨年の五月、世田谷の清水の自宅で事件は起きた。

 清水龍二と息子の利之は、親子喧嘩を始める。

 喧嘩の要因は、利之の結婚問題である。

 利之は、竹松の専属女優、今出川恵美と結婚したがっていた。

 しかし、父親の龍二は、

「お前は、自分とこの商品に手を出すのか」と一蹴し猛反対した。

 息子の利之は、この後、車で家を出る。

 龍二は、この後、酒をたらふく飲み、酔った勢いで、自宅に放火してしまう。

 この火災で、お手伝いの北野梅子が焼死した。

 龍二は逮捕されるが、顧問弁護士の千本の尽力で無罪を勝ち取った。

 犯行当時、龍二は、心神耗弱の状態で物事の適正な判断は出来なかった。

 これが判決理由で、検察側も新たな証拠が出ないと判断。

 控訴を断念した。

 この事件を受けて竹松の株価は、一気に値下がりした。

 当時、ネット、週刊誌、新聞、テレビ、等が面白可笑しく報道した。

「老舗“竹松のお家騒動”」

「清水親子の衝撃の喧嘩内容」

「女優今出川恵美、悲痛の叫び」

「どうなる竹松の行方」

「ライバル“西宝”が買収合併か?」

 等の好き勝手な見出しや、ネットで盛んに囁かれた。

「竹松」でネットで検索すると、今でも一万を越える項目が列挙され、個人のネット、ホームページは、世界で百万を越えている。

 白川は、龍二を見た。

 これが、昨年まで社長を務めていたとは、到底思えぬ、顔からは、覇気が消滅して、生気のない表情を露呈していた。

「白川くんとこの、京都の別邸に預かって欲しいんだ」

「このまま父親を、東京でいさせると、うつ病で死んでしまいます。ですからお願いします」

 利之が深々と頭を下げたので、白川は思わず同じく頭を下げた。

 竹松は、清水竹次郎、松次郎の双子兄弟が、京都の芝居小屋の売店経営から始まっている。

 松次郎は、白川家へ養子に行った。

 つまり、利之も白川も創業者の血を引いているサラブレっトなのだ。

 後年東京の劇場は清水家、関西の劇場は白川家が担当した。

 しかし戦後から始まる東京への一極集中で白川家の力は失墜。

 今は清水家が隆盛を極めていた。

 その流れの中での不祥事は、清水家、竹松に取っても大きな痛手となって、今日まで跡を引きずっていた。

 白川家の没落に伴い、株も不動産も売却。

 現在残っているのは、京都、南禅寺近くの敷地五百坪の別邸のみであった。

 白川は、桂に自宅があるため、この別邸は、一年を通して、殆ど使われていなかった。

「わかりました。私が責任を持ってお預かりします」

 きっぱりと白川は断言した。

「で、京都へ行かれるのは、お父さんだけですよね」

「はい。私は東京で仕事がありますから」

「お父さんお一人では、食事とか、身の周りの世話とかが大変でしょう」

「白川くん、それは心配ご無用。すでに手配している」

 笑みを増す顔で嵐山が返事した。

「誰ですか」

「北野桜子さんです」

 嵐山が答える代わりに、千本弁護士が答えた。

「桜子さんって、梅子さんの娘さんですよね」

「確かに。自分の母親を死に追いやった人の世話をよくやるよなっと思っているんだろう、白川くん」

 今まで黙っていた龍二が口を開いた。

「私が云い出して、千本弁護士が中を取り持ち、説得してくれた。

 桜子が、京都に住んでいてお茶の教室を開いているのは、白川も知っていた。

 しかし桜子が、世話をすると聞いて複雑な思いが白川のこころの中を通り抜けた。

「さっそく、京都まで御同行して貰いたい」

「わかりました。じゃあ行きましょう」

 白川が立ちあがった。

「まあ待て。まずは、敵さんの状態を見よう」

 嵐山は、机のリモコンを手に取ると、応接間にある五十型の液晶テレビのスイッチを入れた。

 画面が六分割されて、どの画面も竹松東京本社の出入り口六カ所を映し出した。

「どの出入口にもしつこく張り付いていますね、週刊誌記者」

 千本弁護士は、顔をしかませてつぶやく。

 その言葉に、嵐山は大きくうなづいた。

 画面には、赤い矢印が、その顔に表示された。

「モニター画面も進化しまして、顔認識追跡装置が装備されてます」

 千本が説明した。

「不審人物の顔を一度設定すると、以後出たらこのように、表示されます」

「不審人物!」

 嵐山が画面に向かって叫んだ。

 画面には、

(不審人物八名)と表示された。

「テロ対策のために、監視カメラが五十台装備されています」

「じゃあ、どうやってここを出るんですか」

「おい、例のもの持って来て」

 嵐山が机の電話のボタンを押して云った。

 ほどなく、秘書二人が、台車、段ボール箱、作業服を持って入って来た。

「何ですかこれは」

 思わず白川は叫んでいた。

「きみは、これから引っ越し業者に変身だ!」

 嵐山は、大笑いしながら云った。

「親父をここへ連れて来る時も同じ戦法でやりました」

「戦法ですって!」

「白川さんと私が、この引っ越し用作業服に着替えます。親父には、この段ボール箱に入って貰います。すでに準備しているワゴンに乗せて、東京駅に向かいます」

 利之が冷静に答えた。

「ワゴンの運転手も新幹線の切符も手配済みだ」

 さすがは、動きの速い嵐山だと白川は感服した。

「作業衣は、そのまま上から着て下さい」

 白川と利之が着替えた。

「じゃあ、親父また入ってくれよ」

 少し口調がぶっきらぼう気味の利之だった。

「あいよ。世話をかけるねえ」

「こんな小道具、どこで用意したんですか」

 白川は聞いた。

「もちろん、子会社の竹松衣装、竹松小道具に決まっているだろう」

 得意満面の顔の嵐山だった。

 ワゴン車に段ボール箱を載せて白川と利之が同乗した。

 ワゴン車が東京駅へ向かう。

「親父、もういいよ」

 利之が段ボール箱を外からノックした。

 蓋が開いて龍二が顔を出した。

「いやあ中はあったかいねえ」

 白川は、コントの一場面を見た感じで錯覚した。

 東京駅で利之と別れた白川は、龍二と新幹線に乗り込んだ。

 龍二は疲れているのか、殆ど寝て過ごしていた。

 しかし米原を過ぎて、琵琶湖を通っている時だった。

「兄貴が水死した琵琶湖だ」

 とぼそっと呟いた。

 創業者竹次郎には、二人の息子がいた。龍二と四つ年上の兄の、竹太郎だった

「兄貴が中学二年の時、家族で琵琶湖に海水浴に来てたんだ」

 その話は、白川も知っていた。

 しかし直接龍二から聞くのは初めてであった。

「私と違って、兄貴は頭がよくて、やさしくてねえ。親父は嘆き悲しんでねえ。この水死事故以来、決して関西には行かなくなったんだ」

「関西は白川家。東京は清水家。この線引きが強くなったんですよねえ」

「そうだ。兄貴が生きていたら、竹松は今と違ってもっと隆盛していたはずだ。西宝よりも、もっと稼ぐ会社になっていたはずだ」

「社長、前を見て歩きましょう」

「社長じゃないよ、もう」

 ふっと龍二の顔に笑みが浮かんだ。


   (2)


 京都駅では、北野桜子が待っていた。

「お待ちしてました」

 歌舞伎好きな桜子は、都座へ何度か足を運んでいた。

 白川は、年末の披露見世の歌舞伎公演の切符の世話を何度かしていた。

 色白で面長で着物が似合う姿は、京おんなの匂いをふりまいていた。

「やあすまないねえ」

「嵐山さんから連絡貰いまして」

「そうだったんですか」

 南禅寺の袂にある白川別邸は、今回のような急の来客に備えて、水道、光熱は、いつでも使えるようにしていた。

 寝具も揃っていた。

 鍵は、白川がいつも所持していた。

 敷地は五百坪。

 正面の扉から、母屋への小路は、緩やかなカーブを描いていた。

「あら素敵な所。さすがは、竹松創業者の所は違うわ」

 まず桜子が声を上げた。

 小路の両側は苔と低木が植えられていた。

「清水家と違って、西の白川家は、戦後株も、土地も建物も多く売却して、これだけが唯一の資産なんですよ」

 と白川は説明した。

「あの別棟の建物は」

「お茶室です」

「素敵ねえ。私、お茶を教えているんです」

 と桜子は云った。

「どちらでですか」

「京都御所の西側の京都府庁の近くです」

「云い所ですね」

「誤解しないで下さい。そこは、借りてるだけです」

 母屋に入ると、白川は、龍二を応接間に座らせた。

 次にカーテンを開けて、戸も全開した。

「少し寒いけど我慢して下さい。空気の入れ替えしますから」

 桜子は、自ら台所に立ち、お茶の用意を始めた。

 空気の入れ替えを終えると、すぐにエアコンと床暖房を入れた。

「三月と云えど、まだ京都は寒いんです」

「静かな所がいいね」

 龍二は、ゆっくりと口を開いた。

 お茶の用意が出来て、三人が応接間に集まった。

「私、明日から毎日ここへ通います」

「無理をしなくてもいいよ」

 と龍二は、気づかいの言葉を述べた。

「自宅はどちらですか」

「今出川です。同志社大学の近くです。ここなら自転車で来れます」

「京都は、坂が少なくて、自転車には、ぴったりの街なんです」

「東京と違ってこじんまりしている。それがいいなあ」

 一口お茶を呑んで、しみじみ龍二が呟いた。

「桜子さん、本当に今回はすまないねえ。私のせいで、あなたの大事なお母さんを死なせてしまったからなあ」

 深々と龍二は頭を下げた。

「清水社長さん、どうか頭を下げて下さいませ」

 桜子はそっと龍二の肩に手を置いた。

「そうですよ」

 白川も手を貸して龍二をソファに座らせた。

「あの時、梅子さんは、私の手を振りほどいて、また屋敷に戻ったんだ」

 この件は白川も知っていたが、龍二の口から直接聞くのは、これが初めであった。

「いったん、外へあなたと一緒に出たのに、何故また梅子さんは、戻ったんですか」

「大事な物を忘れたと云ってな」

「大事な物って一体何ですか」

「どうせ、通帳や印鑑の類でしょう。そんなもの燃えてもまた、何とかなるのに。あほなお母さん」

「いづれにしても、火をつけた放火魔は私だ!どうか許してくれ」

「あなたは、裁判で無罪となったんです。決して放火魔だなんて、云わないで下さい!」

 温和な白川が、珍しく語気を強めて云った。

「そうですよ」

 これには、裁判で近所の人の証言も裏付けとなった。

 検察側は、この証言を逆手にとり、

(そう云う判断能力があるのだから、決して心神耗弱ではない)と主張して来た。

 一方千本弁護士は、どれぐらいの酒量だったか、再現して、また日頃あまり飲まない龍二が、たらふく飲んでいた事を立証した。

 会話が途切れた。

 窓からまだ蕾の固い桜の樹木が見えた。

「桜の季節、きれいだろうなあ」

「ええ、あと二週間もすれば咲きだすはずです」

「竹松にも清水家にも、桜は咲くのかね」

「きっと咲きます」

 と白川は云い切った。


 京都は年間五千万人の観光客が訪れる日本一の観光都市である。

 特に、春は花見と桜の花を見ようと内外から多くの観光客で賑わう。

 京都都座は、その中でも祇園にあり、劇場前の四条通りは、昼夜を問わず、賑わう。

 そんな流しの観光客をターゲットに始めたのが、

(都座・探検!見て触って大発見!)と題した、バックステージツアーだった。

 入場料千円で、花道から舞台に上がり、セリ、盆の回り舞台や楽屋を探検するのである。

 安い金額と、いつでも入れる気軽さで大入りが続いていた。

 この日も、白川は都座の地下事務所にいた。

 突然事務所内にブザーの鈍い音が鳴り響いた。

 ブザーは二回鳴った。

「今、ブザー二回鳴ったよね」

 天井を見上げながら白川は、隣のデスクの縄手副支配人に確認した。

「確かに、一回ではなくて、二回でしたね」

 ブザーのスイッチは正面玄関受付にある。

 一回は、嵐山副社長、二回は東山副社長が来られた時に押すように鳴っていた。

 受付のファイルには、大きな二人の顔写真が挟んであるのだ。

 長押しは、不審者侵入の合図だった。

「という事は東山副社長!」

 映画畑の東山副社長が、都座を訪れるのは、滅多にない事だったので、白川も縄手も大急ぎで、背広を羽織って玄関に向かった。

 丁度正面ロビーで鉢合わせした。

「東山副社長!」

「よお!白川支配人」

 その隣には息子の和夫までいたので、白川は大層驚いた。

「お二人お揃いでどうしたんですか」

「中々盛況ですね」

 白川と同期入社の和夫は、笑みを浮かべて話しかけて来た。

 見ると二人とも、正規の入場券を持っていた。

「連絡すれば、お伺いしますのに。すぐに返金します」

 白川は、縄手に指示した。

「ああいいから、白川くん」

「そうです。ここは竹松の演劇の中枢の劇場。映画の我々からすれば、嵐山さんの牙城でもあるんです。お金を払うのは当然です」

 と和夫は云った。

「で、今日は」

「うん、我々も舞台体験をしたくなりましてねえ」

「用件はのちほど」

 二人は客席の中に消えた。

 二人は、回り舞台も楽しんでいた。

「回りますから気をつけて下さいね。決して赤い線から出ないで下さい」

 案内係の注意を無視して、東山守がはみ出した。

「お客様!駄目です!」

 客席にいた白川は、ひやひやものだった。

 しかし、注意を受けた守は楽しそうだった。

 日頃、竹松の映画部門の王者として君臨しているので、人から注意を受ける事は、まずない。

 余計それが新鮮なのだろうかと白川は思った。


    (3)


 その日の夜、白川は、東山親子の招待を受けて祇園のお茶屋「やすい」で食事をとっていた。

「白川さんは、生粋の京都人だから、我々よりもよく知っているから、気恥ずかしいよ。こんなお店しか知らない田舎者だからな」

 そう云いながら、東山守は、白川に酒を注いだ。

「でも、父さんは、元々京都生まれでしょう。うちの資産のほとんどは、京都にあるし」

 都座からほど近い、八坂神社近くにある、東山会館は、守の資産であることは、有名な話だ。

「そう私も元京都人だ」

「京都はいいですね。どの街も絵になる。各社の撮影所があったのは、頷ける」

 白川は、東山親子がいつ本題に入るか、息をひそめて待った。

「ところで白川さん、清水元社長が東京からいなくなったのはご存じですか」

「いえ、知りませんでした」

 白川はすっとぼけた。

 自分の別邸にかくまっている事は、極秘中の極秘事項だった。

「本当ですか」

 じっと守は白川を見つめた。

「まるで尋問ですね」

 同じ副社長でも嵐山と東山守とでは、気持ちの入り方が違っていた。

 自分は演劇畑にいるので、映画のお偉い方でも、どこか、違う会社の人の様な感じだ。

 今でこそ、新入社員を中心に、「映画」と「演劇」の人事の交流が始まっているが、白川が入社当時は、全くなかった。

 白川が大学を出て入社して、二十年の歳月が流れているが、映画館勤務は、半年間の研修期間だけで、あとは演劇座館、巡業課とずっと演劇畑一筋である。

「それで、どうしたんですか。もう清水元社長は、あの事件以来竹松の業務を外されていますから、態勢に影響はないでしょう」

「ある!おおいにある」

 突然大きな声を守は上げた。

「と云いますと」

「次の竹松の体制だよ」

「このままでいいでしょう。息子の利之さんが、社長で」

「いやよくない。第一世間が許さない」

 守の云う(世間)とは何を指すのか、白川は皆目理解出来なかった。

 ここで、口に出して云うのがたやすいが、守の反撃が煩わしかった。

「では、嵐山さんか、東山さんかどちらかが社長ですか」

「そうなるねえ。でも今は、映画部門がかなり悪くてねえ」

「もう壊滅状態ですね」

 しれっと白川が云いのけたが事実だったので、守も和夫も苦笑いを浮かべるだけだ。

 昨年の竹松の映画の年間の興行収入は三五億円。

 ライバルの西宝は、三百七十億円。

 ひとけた違うのだ。

 一方演劇部門は、興行収入二百八十億円。

 西宝の演劇部門は百七十億円である。

「今、嵐山さんから、体制の話を切り出されたら、正味部が悪い。

 そこで、元社長の動向を押さえておこうと思ってね」

「息子さんに聞けばいいじゃないですか」

「もう何回も聞いたよ」

「で?」

「あいつ、さあどうでしょうかねえと云いやがった。あいつも相当の狸になりやがった」

「それにしても、歌舞伎ブームはすごい」

 と和夫が話題を変えた。

「おかげさまで」

「僕も人から歌舞伎の切符を頼まれますが、中々取れなくて」

「無理して江戸歌舞伎座を建て替えてよかったよ」

「これで、映画が復活すれば、大万歳ですね」

「それが、中々うまくいかないんだよ」

「まもなく、忍法NINPОが完成するようですね」

「ええ、竹松の京都撮影所で最後の追い込みです」

「竹松の今年の最大のヒット作でしょう」

 と白川は持ち上げた。

「そうなるといいんですけどね。京都に来たのは、その陣中見舞いを兼ねてです。あと一つありまして」

「何ですか」

「次の僕の企画ですけど、この歌舞伎ブームをほって置く手はないと思いまして」

「はあ」

「あの女形歌舞伎役者の花園朱雀を今度映画に出したいなあ」

「映画ですか?」

「そう。もちろん主役。それと」

 ここで和夫は言葉を区切り、白川を凝視した。

「それと監督もやってもらう」

「映画監督を朱雀がやるんですか!」

 思わず白川は聞き返した。

「幾ら何でもそれは無理でしょう」

「白川さん、何そんな素人みたいな事云ってるんですか。もちろん、それは話題作りのため。もちろん、僕が横について助言しますよ」

「朱雀が映画監督かあ」

 今度は、守が重ぐるしく呟いた。

「父さん、これ、いい企画でしょう」

「そうかなあ。朱雀は舞台の人間だろう。映像で入るかなあ」

 案外まともな事を守が云ったので、白川は見直した。

 過去、何回も同じ様な試みを竹松はやった。

 しかし、舞台の役者をそのまま映像にしても、中々客は、入らないのだ。

 そこが興行の難しさであった。

「主演と監督の朱雀。これは絶対に入る!もう題名まで決めてますから」

 完全に和夫は、自分の言葉に酔っていた。

「もう映画の題名も決めています」

「何と云うんですか」

「カブクです」

「カブクねえ」

 カブクとは、歌舞伎の語源でもあるかぶくから来ている。

 奇妙な物、へんてこなものに身代も捧げて城が傾くほどである。

(カブクで、竹松の屋台骨が傾かなければいいけど)と白川は思った。

 白川も守も同時に深いため息をつきながら、呟いていた。


 数日後、白川は愛媛の松山を目指していた。

 今、歌舞伎役者の花園朱雀は、歌舞伎の巡業中であった。

 東山和夫の話は、放っておこうと思っていた。

 しかし、今度は嵐山から電話があった。

「お前、朱雀をくどいて来いよ」

「はあ。いいですけど、嵐山副社長、カブクの映画入ると思いますか」

「入るわけないだろう。もし十億の興行収入行ったら、俺は裸で銀座歩いてやるよ」

 そこまで云って大きな高笑いが聞こえた。

「お前は映画の入りを気にする必要はないよ。じゃあ頼んだよ」

 いつものように、そう云って電話は一方的に切れた。

 松山城の近くの市民会館で歌舞伎の巡業公演は行われた。

 本日は、昼の部一回で、この後、広島へ移動となる。

 終演後は、移動でゆっくりと話が出来ないと考えた白川は、開演前に楽屋を訪れた。

 頭取部屋から連絡が行き、白川が楽屋に顔を出すと、顔の拵えを済ませた朱雀が待っていた。

「お早うございます」

「まあ、白川さん遠路はるばる大変でしたね。さあどうぞどうぞ」

 白川がのれんをくぐって中へ入ると、朱雀の顔が一瞬にして、華やいだ。

「すみません、開演前の忙しい時に」

「いいのよ。今がいいのよ」

 朱雀が楽屋の後ろに控えていた弟子に目配せした。

 弟子は、白川に一礼して楽屋を出てドアを閉めた。

「ちょうどよかった、白川さんに相談しようと思っていたの」

「私もあるお願いがありまして来ました」

「じゃあ白川さんからお話して」

 と云って朱雀は、ぐっと白川に近づいた。

 朱雀は、すでに、白塗りで衣装に着替えていたので、完璧な女形である。

 化粧と朱雀の身体から滲み出る、女形の色気に白川は圧倒された。

 目の前にいるのは、自分より五つ年下の男なのに、妙にドギマギしていた。

「竹松の映画担当の東山」

「ああ、副社長のね」

「いえ、息子の東山和夫です」

「私、お父さんとは、面識があるの」

「そうですか」

「面識があると云っても、会って少しお話しただけよ」

「その息子の和夫も映画担当で、実は私と同期なんです」

「その方とは、まだ一度もお話したことないわ」

「彼が、今度の映画に、ぜひ朱雀さんに出演して貰いたいと云って来ました」

「私が映画に!」

 朱雀は、上半身を少しのけ反らせて芝居がかったように、仰々しく反応した。

「しかも、監督も朱雀さんにお願い出来ないかと云ってます」

「私が映画監督!まあ白川さんったら、御冗談を」

「いえ、本気です。本気で彼は云っているんです」

「私に映画監督なんか、出来るわけないでしょう」

「その点は、ご心配なく。彼がつきっきりで面倒みると云ってますから」

「私、白川さんに面倒見て貰いたいの」

 朱雀は、そっとその細長い手で、白川の手を握り締めて、自分の膝の上に置いた。

「私は、無理ですよ。映画界の事も知りませんし、映画監督が、具体的にどんな事するのか」

「ううん、そうじゃなくて、撮影の間、出来る限り私のそばにいて欲しいのよ」

 朱雀は、今度は白川の手を自分の胸元に持って行った。

 楽屋モニターから長押しのブザーが二度、析の音が二回鳴るのが聞こえた。

(二丁)

 つまり開演十五分前を知らせる析の音だ。

「わかりました。撮影は竹松京都撮影所なので、都座から近いので、私も全力で応援します」

「よかった」

「では、出演と監督快諾と云うでいいですね」

 白川は念押しした。

「ええ。私白川さんと一緒がいいの。ついでにあなたも映画に出たらいいのに」

 朱雀は、白川の唇にキスをした。

 白川は抵抗せずに、受け入れた。

「ごめんなさい」

 朱雀は、慌てて白川の唇を懐紙で拭った。

「私は無理ですよ。竹松の社員だから」

「京映の若手重役、自分とこの映画に出てるわよ」

「あれは特別です」

 ドアをノックして遠慮気味に弟子が顔を出して、

「そろそろ、スタンバイお願いします」

「じゃあ、お芝居見ていって。今日はとんだお愛想なしですみませんでした」

「こちらこそ、お忙しいとこをすみませんでした」

 楽屋を出て、すぐに白川は、和夫の携帯へ、朱雀の内諾が得られた事をメールした。

 その日は、和夫から連絡は来なかった。


     (4)


 翌朝、都座に出社して、デスクのパソコンを立ち上げて、メールボックスを見た。

 和夫から返信があった。

「昨夜は、NINPОの撮影追い込みで返信出来ずにすみませんでした。

 有難うございます。あの人気女形歌舞伎役者の朱雀さんが、僕の映画に出てくれるなんて今から気分がワクワクしてます。

 一度竹松の京都撮影所に遊びに来て下さい。今日でもいいですよ」

 とあった。

 白川は、今日伺いますと返信した。

 車では、行かずに阪急電車で四条河原町から乗り、四条大宮で降りて、嵐電に乗り換える。

 正式名は、京福電鉄だが、地元の人は、嵐電と呼んでいる。

 あの一両だけで、自転車よりも遅いのではないかと思うくらい、ゆっくり進むスピードが白川にとって心地良かった。

 今の世の中は、スピード一辺倒なので、その対極にいる嵐電が好きだった。

「帷子の辻」で下車。

 竹松京都撮影所へ行くと、太秦安弘(常務取締役・映画担当)が、立っていた。

「太秦さんこちらに来られていたんですね」

「ええ、もう私は東山親子のうしろをずっと、金魚のフンのように、

 ひっついていますから」

 笑顔で答えた。

「丁度今から、Aスタジオで、撮影が始まりますから」

 Aスタジオは、昨年東山守の肝いりで完成した最新の撮影スタジオである。

 数年巨額の赤字を垂れ流している映画部門だが、設備投資は、怠っていなかった。

 それどころか、今度は、役者の楽屋やレストランが入る俳優会館の建設に着手しようとしていた。

 白川は、撮影所見学にやって来た見学者の様に、あちこちに視線を走らせていた。

 ここに入るのは、同志社大学を卒業して研修で来て以来、二十年ぶりであった。

 一端演劇に配属された人間は、ずっと演劇畑である。

 今でこそ、若干の若手の人事の交流があるが、未だに、竹松には、

「映画」と「演劇」の二つの会社が存在する奇妙な会社である。

 そして、それぞれの所に、副社長とはいえ、君臨するのが、演劇の嵐山であり、映画の東山だった。

「撮影は順調ですか」

「だといいんですが」

 太秦は、少し戸惑いの色を顔に浮かべた。

 東山和夫は、白川が姿を見せると、満面の笑みを浮かべて椅子から立ち上がり、近づいた。

「よく来てくれました」

「今追い込み撮影で大変なのに、すみません」

 スタジオの中は、町家が作られていた。

 吹き抜けの上部には、大きなライトと、反射板が備え付けられていた。

「いえ、こちらこそ、朱雀さんを説得してくれまして有難うございます」

「NINPОは、今月末公開ですよね」

「ええ、しかし遅れてまして。まあ映画では、よくあることで、何とか間に合わせますよ。」

「映画も大変だな」

 と白川が呟いた。

「監督を紹介しますよ」

 和夫は、丁度姿を見せた鞍馬泰蔵を紹介した。

「こちら、京都都座の支配人の白川さん。僕と同期入社です」

「白川です」

「鞍馬です。よく小さい頃、祖母に連れられて都座へ行きましたよ」

「へえー鞍馬さんは、京都の方ですか」

「ええ、西陣です」

 鞍馬は、口髭と顎鬚をはやし、黒淵の度の強そうな眼鏡をかけていて、一瞬強面に見えるが、笑うとその眼鏡の奥から、子供の様な無邪気な優しい眼差しが見えた。

 白川と鞍馬が話している間に、和夫は、太秦に指示してセットの中にいた女優を呼んで来た。

「次は、綺麗どころをご紹介します」

 少しおどけた口調の和夫だった。

 見ると竹松を代表する三人の女優が白川の前に立っていた。

 宝が池道子。

 和夫の彼女ともっぱらの評判である。

 修学院有子。

 東山守の彼女。

 今出川恵美。

 清水利之社長代行の彼女。

 父親との喧嘩の原因は、恵美との結婚問題であった。

「まあ、まだお若いのに、都座の支配人だなんて」

「支配人、今度都座の舞台出させて下さい」

「私は歌舞伎役者と共演したいです」

 三人は、口々に話した。

「君たちは、そんなに都座に出たいのか」

 笑いながら和夫が聞いた。

「当たり前でしょう。何しろ師走の吉例行事である、

 披露見世歌舞伎興行で有名なんだから」

 和夫の彼女の道子が云った。

「君たちねえ、生の舞台は大変だぞう。ねえ支配人」

「はあ、まあ」

 どこまでも談笑が続く感じだったが、

「さあ、始めるぞ」

 鞍馬が叫んで、談笑も終りを告げる。

 会話に水をさされた和夫は、一瞬むっとしたが、白川の手前、すぐに表情を戻した。

 太秦が、白川用にパイプ椅子とシナリオ(決定稿)を持って来た。

 そして、これから撮影するページを広げてくれた。

 鞍馬、和夫、白川が並んで撮影を見守った。

 シーンは、町家で道子と有子が話している時に、天井から二人の忍者が、飛び降りて来て、二人を拉致。

 表に出たところで、恵美と鉢合わせすると云うものだった。

「シーン35。用意」

 カチンコとブザーが鳴る。

 白川は、姿勢を正した。

 生まれて初めての映画撮影体験である。

 忍者が飛び降りおりると、ワイヤーで吊られた小型カメラも作動して、空中からの撮影も開始された。

「カット」

 鞍馬が先ほどの撮影をチェック。

「はい、オッケイ」

 と鞍馬が云う。

 スタッフが次の段取りをしようとした時だった。

「何がオッケイなんだよ」

 和夫が立ちあがって叫んだ。

「何かありましたか」

「お前の目は節穴か」

「どう云う意味ですか」

 鞍馬が詰め寄った。

 一気にスタジオ内の空気に険悪の剣先が幾つも突き刺さる。

 出演者、スタッフ、助監督らが集まった。

「おい、そこの忍者二人。お前ら忍者見た事ないのか」

 現代に、本物の忍者は存在しない。

(変な事を云うなあ)と白川は思った。

「お前らの今の芝居は、忍者じゃなくて、山賊だよ。もう一度やり直し」

「いえ、今のでオッケイだ」

 鞍馬が、食い下がった。

「ここは、撮影所。映画監督は私です。東山さんは、黙っていて下さい。さあ次のシーンの準備だ」

 再び二人からスタッフらが去ろうとした。

「黙れ!この映画のプロデューサーは、私だ」

「それは、わかっています。映画撮影の責任、演出は監督の私ですよ」

「鞍馬、よく聞け。映画作りで一番偉いのは、監督ではない。プロデューサーだ」

 和夫は、腰に手を当て、鞍馬にまた一歩近づいて云った。

「私は、監督が偉いとかプロデューサーが偉いとかの論議なんか云ってませんよ。シーン35の演技に関して云っているんです」

「だから、撮り直せとプロデューサーの東山和夫が云っているんだ」

 和夫も負けていなかった。

 さっきの柔和な顔から一転して鬼と化す。

「だから、演技はオッケイを出したのは、映画監督の鞍馬が云いました!」

 もうこうなると子供の喧嘩である。

「ねえ、いつまでも子供の喧嘩繰り返さないでよ」

 年かさの恵美が云った。

「じゃあどうするんだ」

 和夫が詰問した。

「ここは、第三者の冷静な判断が求められているって事」

「そんな奴、ここにいるのか」

 今度は鞍馬が聞いた。

「ここに目の前にいるじゃない」

 恵美は、白川と目を合わせた。

「私ですか!」

「そうだ。都座の支配人がいた」

 和夫は顔を輝かせて云った。

「いやあ、私は、映画作りは素人同然ですから」

「都座の支配人なら、いつも芝居を見ていて、目が肥えているはずです。聞きましょう」

 鞍馬が冷静に云った。

 一同の視線が、白川に注がれた。

 まさかの展開である。

 目を瞑り、よく考えて白川は云った。

「両者ともご意見があると思いますが、ここは、プロデューサーの東山さんの意見を取り入れてやり直す。でも公開時のフィルムは、どちらを採用するかは、色々な人を交えての合議制で決めればいいと思いますけど」

 一瞬の間を挟んで、和夫が拍手した。

「素晴らしい意見だ。どうですか、鞍馬監督」

「じゃあ、そうしよう」

 渋々鞍馬が従った。

 撮り直しは一回で済んだ。

 忍者の動きが山賊から、忍者に変わったのか、白川には、皆目わからなかった。

 撮影が終わると、白川は撮影所を出た。

 門のところまで、和夫と太秦がついて来た。

「今日は、ぶざまな所をお見せしてすみませんでした」

 ぺこりと和夫が頭を下げた。

「いえ、貴重な経験でした」

「白川さん、また来て下さい」

「はい行きます」

「約束ですよ」

 白川は、和夫が手配したハイヤーに乗り込んだ。

 窓越しに見ると二人はずっとこちらを見ていた。

 思わず車内で、白川は何度も頭を下げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る