第39話 国際駅前で

鉄柵で囲まれた二階建ての中央はトンネルになっていた。鉄製の門扉で閉じられているが、トンネルの中は国際列車から降りた客で賑わっている。


フランスに行けばオリエント急行に乗れる。


「ヤバい。オリエント急行に乗られたらヨーロッパの殆どの国に行けるぜ。そうなるとイサドラ逮捕は無理だ」


「彼処のレストランから警察に電話しよう。アペロの時間だし」


「良いね。お腹空いたし。ねぇ、オリエント急行は小間使いの給料一年分だと聞いたことがあるけど、小間使い連れて本当にオリエント急行に乗ると思う。あ、出て来た」


エマルがプジョーの脇に立って毛皮の女の手を取った。顔が見えない。貴婦人のような立ち居振舞いの其の女を三人が追う。



ラナンタータは生まれた時からアントローサ家の宝だった。誘拐されかけた直後に母親を亡くし、夜中によく泣いた。おねしょすることもあった。

アントローサは仕事柄夜中の呼び出しもあり、ナニーを雇ったが、ラルポアの両親もラルポア自身もラナンタータの面倒を見ることになった。


ある夜のこと、ラルポアの父親が車の音を聞いて外に出た。月明かりの中に白い頭のラナンタータを抱いたナニーがいた。ラルポアの父親は木陰に隠れてゆっくり近づく。


ナニーは車に乗り込む前に自分の荷物を男に運び込ませている処だった。ラルポアの父親は木陰から飛び出して男を投げ飛ばし、ラナンタータを奪い返した。車からもう一人の男が降りたが、降りたのか引きずり出されたのか其の男もラナンタータを抱っこしたままの片手で投げ飛ばした。ラルポアに柔道の技を伝授したのは此の父親だ。ついでに、空手の有段者だったから、空手技で男たちを気絶させた。


ナニーは震えて泣きながら一人の男に取りすがり、騒ぎを聞き付けたラルポアの母親ショナロアと家政婦も起きて来た。此の時のことはラナンタータの記憶にない。ショナロアと家政婦は新しいナニーの採用に反対した。


ラルポアは十歳になるまでラナンタータと一緒のベッドで寝た。兄と妹という感覚は其の八年間に強固なものになった。



「ラナンタータ、あの女、イサドラ・ナリスに見えるかい」


ラルポアが振り返った。


「貴婦人然としてる毛皮の……顔が見えない」


「おいらが確かめて来るぜ」


カナンデラは、車から降りる前に自動小銃をラナンタータに渡した。


「これを持っておけ。嫌な予感がする。お前が妙なことを言うからだ」


「変なことって」


ラナンタータは差し出された自動小銃を触った。


「もし、オリエント急行に乗るのでなければってことだ。ほれ。持っていろ」


「ああ、成る程。僕たちはイサドラ・ナリスに嵌められたことになるわけか。ラナンタータ、必要になるかも知れない」


ラナンタータに自動小銃を押し付けてカナンデラは歩き出した。


「だからね、もしもあれがイサドラじゃなかったら……」


と、ラルポアはイスパノスイザをバックさせる。ゆっくりバックして、スムーズに方向転換した。冬の間は立てっぱなしにしておく幌屋根を下ろす。


「逃げる」


ラナンタータの片方の頬が痙攣る。


「カナンデラ捨てて逃げよ。寒いよ、ラルポア」


カナンデラはプジョーに近づいて貴婦人に呼び掛けた。


「マダム、マダム・ナリス」


イスパノスイザはカナンデラの後から一定距離を保ってバックのまま近づく。遠く離れるのは危険だ。

ラルポアは優秀なショーファーだ。どう動くべきかわかっている。


カナンデラは結構な声量がある。はっきりと聞こえたはずだが、貴婦人もエマルもちらりとすら反応を示さない。


「なんだかな……」


カナンデラの周りに数人の男たちが集まって来た。カナンデラは早足で貴婦人を追う。


「ラルポア、カナンデラを助けよう」


ラナンタータは身を乗り出す。

貴婦人が振り返った。美しい白い輪郭。


「あ、あなたは……人違いです。失礼しました」


貴婦人がサングラスを外す前に、カナンデラは後退りした。エマルが会釈する。カナンデラはエマルに訊いた。


「イサドラ・ナリスには何処で会ったのですか」


「イサドラさんって、どなた」


貴婦人もエマルに尋ねる。

其れが合図だったのか、カナンデラの周りの間合いが縮む。バラバラと黒服の男たちが湧いて出た。


「カナンデラ、乗って」


遅かった。イスパノスイザで強引に割り込む。人割れがしてカナンデラの側に左ボディの助手席を付ける。ラナンタータはトランクにお尻を乗せた妙な格好で自動小銃を抱え、貴婦人に銃口を向けた。


男の一人が拳銃を出す。

ラナンタータが銃口を空に向けて発砲した。ラナンタータとしては一発だけ撃つつもりだったのに何故か連射になった。


ダダダダダ………


「「「「「「わわわわっ」」」」」」


「ひええっ……」


自分で撃っておきながらラナンタータも怯んだ。




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