第37話 そんな長文よく覚えたね

カナンデラは

「おら、フランスに行くだ」

と、おどけた。



大金を鷲掴みにして狂ったように笑いを漏らす。



「気持ち悪いよ、カナンデラ。手切れ金手にしていよいよ参ったか」


「黙れ、悪魔。何が手切れ金だ。おらとシャンタンはな……あ、ヤバい。バレてても話せない。兎に角おらはフランスさ行ってショッピングさしてくるだ」


「えええ、悪魔も連れて行け。こころを入れ替えて天使になるからさ。ね、カナンデラ所長ぉ……」



ラナンタータの片方の頬が痙攣る。



ラルポアが真面目な顔つきで

「ラナンタータ、今年フランスは国籍法を改正した。移民が急増して。ヴァルラケラピスはもしかしたらフランスに……」

と言った言葉をラナンタータは遮った。


「大丈夫。ラルポアが守ってくれる。其れに、カナンデラも意外と頼りになるよ、ね、所長」



カナンデラも珍しく真面目な顔つきになる。



「いや、今回は個人的な用事だから、一緒は無理だ、ラナンタータ。本当に悪い」



直ぐに相貌が崩れ笑いが込み上げる。



「酷い。カナンは自分独りで贅沢三昧するつもりだ」


「お前、やっぱり悪魔だ」 



カナンデラが愚痴りながら重いトランクを下ろした。ラルポアは笑いながら立ち上がってケトルに足す水を少量ガラス器に入れ、お茶のおかわりを尋ねる。



コツコツとノックが聞こえ

「ナリス様の使いで参りました」

若い女の声がする。



カナンデラが弾かれたように動いて

「ようこそ、どうぞ」

とドアから招き入れた。



ファーでトリミングしたマントの若い女性が、手にした紙袋を差し出す。カナンデラは女性の後ろに腕を回すようにしてドアに手を掛けるふりをした。自然に女性は数歩室内の奥に進み入った。



「イサドラ・ナリス様からの贈り物です」


「え、爆弾じゃないよね」



ラナンタータの言葉に驚いた女性は、目をぱちくりさせたが、ふふと笑って口元を押さえる。



「私はエマルと申します。イサドラ・ナリス様に言伝てを頼まれました。えっと、カナンデラ・ザカリー探偵事務所の皆様、お元気ですか。先日は並々ならぬご厚意を頂きましたのにも関わらず、あのような不始末に巻き込んでしまい、お三人様との運命を感じずにはいられません。此れは、フランスから取り寄せたマカロンです。是非、ご賞味くださいませ。イサドラ・ナリスより……」


「ほお、凄いな」



最初に感嘆の声をあげたのはカナンデラだ。



「よくそんな長文を覚えたものだ。凄い才能だ。探偵になれるぞ」



ラルポアに目配せする。



「素晴らしいですね」



相づちを打って、ラルポアは静かに退室した。



「でも、イサドラは謝ってないじゃない。慇懃無礼そのもの。何処にいるの、イサドラは」


「お前ね、イサドライサドラって友達みたいに」


「自分だって親戚みたいなものだと言ったじゃない。あの殺人鬼を」


「そうだっけ。で、何処にいるの、イサドラ・ナリスさんは。えっと、エマルさんはイサドラさんとはどのような……」


「はい、今日、通りすがりに雇われました」



答えは予め決められている。

エマルは、イサドラを裏切って住まいも何もかも暴露してしまいたい願望を、必至に堪えた。暴露とは、口の重いエマルにしては珍しい感情だった。



「エマルさんは何処かのお屋敷の方ですね」


「いいえ、私はただの行きずりの者です。では、此れでおいとまします。失礼しました」


「ま、ま、そんなに急がずに、お茶でも。ラナンタータ、お茶を」



カナンデラはエマルの身体を強引にソファーに座らせた。ラナンタータがストーブの上のケトルを掴むキルトを手にして頷く。



「いえ、私は買い物に行くのです。田舎の母に会いに行くので」


「何処ですか」


「バイエルンの近くです。スイスの」



ラナンタータがマイセンの和柄のカップに中華民国の花茶を淹れながら訊く。



「エマルさんはスイスの方ですか」


「祖父がスイス人です。私はクォーターです」



全てイサドラの脚本通りの進行に驚きながら、練習が生きてすらすら答えることに快感を覚える。其れでも、もう帰らなければならない。



「ですから、あまり時間が。済みません」



きっぱり断るエマルに、ラナンタータがキルトを持つ手を振った。



「いいえ、いいえ。折角だからお友達になりたかったのだけど、イサドラさんはお元気にしていますか」


「はい」



答えてからエマルは眉をひそめて、ラナンタータの目をじっと見た。其れからイサドラの脚本に戻る。



「初めてお会いした方なのですが、お元気そうでした」



必ず質問されるからと覚えさせられた台詞が、棒読みになった。



「でも、エマルさんはイサドラをよく知ってるでしょう。あの殺人鬼イサドラのことは新聞を騒がせていたんだもの」



ラナンタータが鋭く斬り込む。



「私は文盲です。新聞は読めません」



脚本にない展開だ。エマルは素直に答えた。



「そうだったの、エマルさん、お引き留めして変な質問してごめんなさい。次の機会があれば、ゆっくりアペリティフをご一緒したいです」



エマルが帰った後、窓の下にイスパノスイザが停まった。













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